明治9年(1876)生まれの曾祖母「はつ」ばあちゃんは、小学校に上がったばかりの自分(文彦)に、たくさんの寝物語を聴かせてくれた。今思えば、生きる上での「知恵」だ。そしてそれは自分の中で次第に大きくなって来ているのだ。
一つ:「いい百姓とは、畑に小判の跡をたくさんつける人の事じゃよ。」と教えてくれた。
「はつばあちゃん、小判のアトってなぁに?」
「小判の跡ってワラジの跡の事じゃが。何度も何度も畑に足繁く通い、撒いた豆や麦、野菜などの困り事を見つけて、助けてやる事じゃ。」
「困り事って?」
「水は足りてるか?雑草に負けてないか?虫や病気がついていないか?ってこと。」
「ふぅーん。」
「作物は物を言わんで、早め早めに見つけて手当てしてやらんとなぁ。放ったらかしにしたら、採れへんで。」
一つ:「夏の風は太ってるし、冬の風は痩せているんじゃよ。」
「えぇっ、ばあちゃん、風も太ったりやせたりするの?」
「それを証拠にな、夏の暑い日にはいくら窓を開けても、風は入って来れんのじゃ。太っとるからのぅ。それに引き換え、冬の風は窓をきちんと閉めても、隙間からいくらでもシューシューと入って来るじゃろ。あれは痩せとるからじゃよ。」
「そっかー」
一つ:「キツツキはな、前世で悪さばかりしていたから、エサを食べるたんび、頭をカンカン、コンコン打ち付けて痛い思いしなきゃならんのじゃ。」
「はつばあちゃん、ゼンセってなぁに」
「人はなぁいつかは死ぬんじゃが、生きている間いい事をしていた人は、いつかまた人として生まれて来れるんじゃ。だけどなお前の様に悪さばかりしているとキツツキに生まれ変わり、お腹が空くたんびに頭を木に打ち付けんと、エサが食べられんのじゃぞ。」
その一:「ののさんが見てござるでな、悪さはあかんぞ。」
「はつばあちゃん、ののさんってだーれ?」
「ののさんてのは、仏様やあの仏壇の中に居るご先祖様じゃ。誰も居ない、誰も見ていないと思ってもいつでもどこでも、ののさんが見てござるでな。」
ー文彦は、幾つものいたずらや悪さが走馬灯の様に巡るのだったー