渋谷でパーティ
NHKの朝ドラの「なつぞら」、皆さん見てますか⁈今週は、主人公の「なつ」と坂場一久夫婦に「優」と言う女の子が誕生し、子育てと仕事の両立に悩みつつアニメの世界を開拓する女性の姿が描かれている。
このなつぞらも後1カ月。9月いっぱいで終了予定だけど、撮影も8月20日に無事終了。それを記念して27日に東京渋谷のセルリアンタワー東急ホテルで開かれ、関係者として声を掛けて頂き出席して来た。それは統括責任者の磯智明氏の挨拶から始まった。
そのパーティは関係者のグループ毎に登壇し、紹介と挨拶が行われた。
我々は十勝の関係者として帯広観光コンベンション協会の梶原会長や鈴木専務、関係町村長や協力者、そして自分が一団として紹介され梶原会長と酪農監修を担当した自分が十勝を代表として挨拶させてもらった。
その他、劇中の泰樹さん始めとする柴田牧場の家族従業員一同。雪月一家。銀座中村屋と言うようなグループの他、アニメ担当のササユリチーム、照明係、美術、音声など総勢550人以上の参加で行われた。
予定時間を大幅に超過していたけれど、途中子なつ役の粟野咲莉ちゃん、ササユリの代表舘野仁美さんと中心アニメーターの刈谷仁美さん、助監督の方々。撮影が始まって間もなく名古屋放送局に移動した増田静雄さん達も次々に挨拶に来てくれ、本当に楽しい時間だった。
9時過ぎからは場所を変えて二次会。
その二次会の司会は雪月の小畑雪次郎役の山田勇貴君で大盛り上がり。
12時からは三次会、四次会、五次会と朝まで続いたそうだけど、梶原会長、鈴木専務そして我々高齢者は二次会終了後疲れ果ててホテルに直帰。
疲れた〜〜!でも楽しかった〜!
李 善福君
イ ゼンボク君と読む。
韓国人で、2年間徴兵従軍し休学していたソウル大学を卒業し、半年間我が家で酪農実習した人だ。
韓国最高峰のソウル大学を卒業したのに、親の猛反対を押し切って公務員の道を選ばず、何故か酪農の魅力に取り憑かれ、実習に来たものだ。彼の夢は、朝鮮族が多く住む中国東北部で大規模農場を経営する事だった。
彼は物静かで礼儀正しく、既に日本語もマスターしていたが、朝4時半からの搾乳時には既に起きていて、日本語や文化の勉強に余念がなかった。
それは我が広瀬牧場がフリーストール、ミルキングパーラーを導入した翌年の平成5年(1992)の事。ロールベーラーも導入されず、コンパクトベールされた牧草の積み下ろしや小豆も栽培しておりまだまだ手作業が多い時代だった。仕事にも陰日なた無く、牧草のテッターかけや集草などのトラクター作業にも直ぐに慣れていた。
日本食も美味しいと言って食べてくれていたが、月一ペースでのジンギスカン鍋は特に喜んでいた?
時は流れて自分が地域交流牧場全国連絡会の会長を務めていた平成19年(2007)韓国酪農振興会から講演の依頼が有り、家内を伴い始めての訪韓を果たす。韓国の関係者も酪農を仕事にしている関係からか直ぐに打ち解け、ソウル観光や牧場訪問も含め楽しい5日間だった。
講演終了後、会場で懐かしいイ ゼンボク君の顔を見つけ翌日夜彼の奥さんも交え食事をともにする。
彼は未だ大農場の夢は果たせずいたが、飼料会社に勤めていた。
その後韓国の酪農振興会や農学系の大学とは個人的にも交流が続き、所謂六次化や教育ファーム活動などの視察が続いていたが、その後の口蹄疫発生に伴い自然消滅してしまった。
WTO締結時も中酪の職員と釜山と福岡は高速船で2時間の距離。西日本は韓国の牛乳に席巻されるのでは...などと話していたが、その事を当時広瀬牧場を視察に訪れた韓国の農学系の教授と学生の一行に冗談めかして話すと、教授からは「イヤイヤ、世界一乳質が良く美味しいと言われている北海道の牛乳が、既に山口県まで毎日運ばれていて、逆に韓国に来るのでは⁈と心配している」などの会話も思い出される。
近年の日韓関係は最悪と言われるほど悪化しているが、見えないお化けが怖い!と昔から言われている。
政治は政治。民間は民間と割り切って交流しては...
川越少年の翼
今年で10年以上続いている、「川越市少年の翼」研修団のメンバー44名が我が十勝農楽校を訪れ、2時間の酪農体験に挑戦してくれた。
体験の締め括りには、ウエモンズハートのジェラートシングルをプレゼント。体験は兎も角、美味しいものを食べると全員笑顔になる。その勢いで記念写真を...
中学生と言う若い子たちのエネルギーは不老長寿の妙薬!一昨年のハートシート移植手術の追加措置みたいだ。
そんな中学生達と盛り上がっていると、引率者10名の内の比較的若い男女がニコニコしながら見守ってくれている事に気づき声を掛けてみると、何と5年前にこの少年の翼の団員として、我が家に体験に来てくれていたそうだ。
一緒に記念撮影をさせて貰ったのがこの一枚。
この写真の中の男の子がオレ(何、急に若返ってるんだ。見りゃ老いぼれた♂だって分かるべ)と岡部君。女の子は店長の真由美(年増のイケてる女性の方。これも見りゃ分かるべさ)と(......さん)⁈名前忘れてしまった?ごめんなさい!
この研修旅行の参加者は5年後の成人した年(20歳になった年)に、男女各1名ずつ先輩リーダーとして引率の任にあたっているそうだ。
兎も角、未知への期待と不安を抱えていた半世紀前に引き戻されたひと時だった!
廣瀬観音まつり
岐阜県揖斐郡揖斐川町北方には、上善明寺と言う古刹が有る。
前身は文明年間に空海が開いた光耀山天上寺で、1400年代後半に我が廣瀬家の先祖廣瀬家胤がその天上寺の住職となる。
家胤空道が後に蓮如に出会い、浄土真宗に改宗。寺名も上善明寺と改め現在もその法灯は守られている。
我が廣瀬家もその上善明寺に連なる家系で、昨年上梓した渡道百年記念誌「賢者は歴史に学ぶ」の影響で、わが出身地揖斐川町に住まう廣瀬家とも密な交流が始まっている。
そんな中、揖斐川町の廣瀬誠君が、天上寺発祥の地に建つ廣瀬観音のおまつりの様子を写真で送ってくれた。
例年8月17日に廣瀬観音まつりが開かれるそうだが、1500年代に強い絆で結ばれた林家と廣瀬家で周りの草を刈ったり、飾り付けを数日前から始めてこの日を迎えるそうだ。
共に汗を流す事は絆の強さの確認でもあり、この祭りが500年も前から続いている由縁だろう。
一度参加して見たいものだ!
ナマンダブ、ナマンダーブ、なまんだーぶー!
返ってきたユソーカン
人気の朝ドラ「なつぞら」放映もいよいよ終盤。
十勝ではこの時とばかりに、あやかりイベントが目白押しだ。
13〜14日は子夏役の粟野咲莉ちゃんが、勝毎花火大会と平原祭りのオープニングイベントにとんぼ返りの慌ただしさで帯広に来ていた。
華やかに見えるけれど古希間近な老人から見たら、オトナのエゴでいたいけない少女を引き摺り回している「蛮行」の様にも見える。
さて、十勝管内の撮影地ではあの手この手で我こそは撮影のご当地と、名乗りを上げているが、自分はと言うとなつぞらのオープニング映像に酪農監修廣瀬文彦と名前が出ているのと、自分の両手が泰樹さんの代わりに出演しただけだ。いずれにせよ文化庁で言う「無形文化財」みたいなもので、自分がリアクションしなければ何の「あやかり」も無い。
そんな中昨日15日午後、なつぞら撮影スタッフの方々が我が家で唯一出演した「牛乳輸送缶」が12本帰ってきた。輸送缶には個人ナンバーが書かれているのだが、我が家は「市5」だが、番組上では泰樹さんの柴田牧場は十勝管内音問別村にあるので「音5」の缶ナンバーで出演していた。
責任者の毛尾さんからはこの缶ナンバーのままか、消すかしてお返ししますとの相談があり、「音5」では帯広の隣町の音更町と混同するので消して貰った。
左から吉住、美術プロデューサーの毛尾、自分を挟んで前芝、大月の各氏が挨拶がてらきてくれ、暫し撮影の裏話などに花が咲いた。貴重な時間を共有出来た仲間ならではだ!
帰って来た「ユソーカン」に腰を掛け「ハーイ、パチリ」