ホーム > ウエモンのよもやま話
オンラインショップ

十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2020年7月 5日(日) 16:11

オヤジ93才

 今日はオヤジの付き合い。
上札内行きだ。
数日前両親が上札内元更別の山小屋の周りに熊が徘徊し、糞までしている痕を見つけてしまった。「とうとうウチの山小屋も熊に森林と認められたらしい」などと気軽にヤマに遊びに来れなくなった負け惜しみをうそぶいていた。
 丁度山林を売りたい人がいるとの情報を森林組合から受けたオヤジが、下見に行きたいと言うので、山小屋の足跡確認と合わせてのヤマ行きだ。
 山林を下見中のオヤジ10F53EBF-3922-472E-AED5-4AD6A61964BF.jpeg
左が今回売りに出たカラ松林3BC31AA8-3EBF-4C69-9F7D-B84407DAE20D.jpeg30年〜35年生のカラ松だが、一度も間伐をしていないらしく、見るからに密でひょろひょろ。材木としての価値は余り認められない。
 そんな下見を終え、山小屋へ。
足跡‼︎本当に沢山ある。しかしどう見ても牛の蹄の痕だ!オレは本格的な、と言うか牛を飼う事で生涯を過ごして来たので間違いない。オマケに落ちている糞は間違いなく「牛の物だ」。何よりも我が家の山小屋から150間南側には、中札内村村営の元更別公共育成牧場が広がっているので、牛の大脱走なんて当たり前。
 しかし、間違いないと断定しても裏付けが無い。
 今の時代は便利だ。中札内村にも酪農家の友人も数人いる。その中の一人中札内村西札内のM崎さんに電話(勿論携帯電話)。確認を約束してくれる。そして3時間後、公共牧場の場長を伴い山小屋へ直行、間違いなく先週日曜日に脱走した牛の足跡と確認したと、電話があった。
 更にこの話にはオマケが!
 この公共牧場の場長は、中札内村でいちばん仲良くしているミドリ牧場社長の息子だとか。
 何れにせよ熊の足跡と思っていても怯まなかったオヤジ。93才!
老いて益々盛ん!山小屋通いはマイペースで続きそう!そして母の心配も留まる事を知らず!
 
 

LINEで送る
2020年7月 5日(日) 07:44

ようやく、しかし恐る恐る

 30年続けてきた所謂酪農教育ファーム活動。今年はコロナの影響で開始出来ないでいたけれど、3日共栄台幼稚園、4日帯広幼稚園と相次いだ。
3日の共栄台幼稚園のアイスクリーム作りの様子4A799A19-1002-4B2D-8531-D12A655E3412.jpeg
B755C729-F2FF-46BA-8F6A-8C5559520BFB.jpeg年長さんで5〜6才の子たちだが、この年頃はすぐに群れたがる物だけど、先生方の指導の成果か。事前の手洗いも間合いをとって順番を待っている。
こちらは4日帯広幼稚園の子達で子牛との触れ合い風景。5136B44E-83AF-45E7-B614-C5BA03269971.jpeg
290A995A-EEA1-4F8A-801C-89F580147940.jpeg一つの体験には20〜25人で収まるように工夫して実施。
勿論、以前から実施している事だが、子牛との触れ合いの後も必ず手洗いをしてもらう。
 今迄は体験教室には最大80〜90人位入れて講義などを行なってきたが、今年は旧馬小屋を講義専用の部屋に模様替え。01FA0870-BD39-436E-8422-3ECEC6BBF105.jpeg
1AB90373-4F10-47F0-B754-E551B8C656C9.jpeg
B188EEA4-31DF-4F0A-8329-E4636EFD8AF0.jpeg
1本の長椅子に年齢によって2人乃至3人に腰掛けてもらい、蜜を避ける工夫をした。写真の椅子に予備の椅子を加えると最大35人程度、人一人分ずつ空けて講義が出来る。
 酪農、農業、延いては食糧の生産現場の現状を知ってもらうライフワーク、所謂「21世紀の農作業」を、ニーズがある限り今後も続けていける。

LINEで送る
2020年7月 3日(金) 08:38

揖斐川

 又々昔の話し
 
中学生の頃だったか、日本は小さな島国ではあるが南北に長く約3,000kmにも及び、気候を大きな区分で言うと温帯に属するらしいが、北海道などは亜寒帯に属し、沖縄など南西諸島は亜熱帯に属するなどと習った。
 その長い日本列島を二分する線が幾つか存在すると言う事も習った。
例えばフォッサマグナ。多分中央構造線だったか⁈
新潟から静岡へと本州を東西二つに断ち切る地層がある。日本列島が乗っかっているプレートが幾つかあってそのプレートが別方向に動き真っ二つに割れ、さらに西半分には太平洋側からのプレート圧力により、日本列島は弓なりに曲がったとか。
 また動物の生態系を分けるブラキストン線。これは津軽海峡を境としていて、例えば本州にいて北海道に居ない生きものはイノシシ、モグラ、ゴキブリ、ニホンザルそしてツキノワグマ。そして北海道にはヒグマ、ナキウサギ、エゾシマリスと言うふうに列島を2分出来るようだ。
 そして揖斐川!3382EF47-3C0F-4138-8EEF-9D3D3BC38232.jpeg
昨日の農業新聞に載っていたコラムだ。
我が家のふるさと「揖斐川」と言う文字が目に飛び込んできた。
普段何気なく関東人は物言いがきついとか関西弁は柔らかく聞こえるなどと、何処を境にと何の根拠も無く、関西人、関東人などと峻別していた。
 しかしこのコラムによると、同じ言葉でもアクセントは明確に関東、関西で違うが、その境はハッキリと揖斐川にある。その川の西と東でガラッと変わるらしい。この境界線は1929年に言語学者の服部四郎と言う人が突き止めたらしい。
 さて我が家のふるさと揖斐川町北方は揖斐川の東側に当たる筈だが矢張りアクセントは関東なのか...
 伊吹山地を挟んで西側に滋賀県や京都に連なる土地で、尋ねるたびに関西と言うより、雅な京言葉に随分近いと思っているのだが。

LINEで送る
2020年7月 2日(木) 09:43

遠い記憶

 ウエモンズハートの裏庭では、クワの実が食べ頃を迎えている。A6E39ADC-B665-4758-8E71-F714E9B0081A.jpeg
3.4粒摘んで口の中にに放り込むと、ほんのり甘く幼少期を思い出す。
 12号道路を挟んで我が家の東には、佐々木さんと言う農家が有った。そこには9人兄妹の最後の3人のまっちゃん、タイちゃん、そして京子はオレと年が相前後して良く遊んだものだ。その佐々木さんの小さな馬小屋の前には、大きな⁈クワの木があり、遊び疲れ腹が空くとそのクワの木にてんでに登り、クワの実を次々と頬張ったものだ。17314F05-46FA-480B-A13C-F5058FD3134F.jpeg
 これは昭和30年前半の記憶だと思うけど、産めよ増やせよの戦時中から戦後のベビーブーム時代で、農村部には子供が溢れていた。
 イチゴ、グスベリ、クワの実、オンコの実、すもも、ヤマブドウ、コクワ、スッカンコ、果ては野菜のトマト、キュウリ、マクワウリ、畑ではだいこん、ニンジン、鶏小屋からは産みたての卵を殻に小さな孔を開け卵を飲み込んだり...
 今考えると、その頃の子供達は野山の幸をふんだんに漁っていて、現在インドからパキスタンを悩ませてせいるイナゴの大群が襲来した後のような惨状を呈していた、かも⁈そんなに酷くはないか。しかし今で言うアトピーや食物アレルギーなども殆ど聞いた事も無く、所謂野生児だったんだなぁ!
 近くに聳えているトド松にはキツツキが開けた孔が沢山ある。333EF3EF-65FC-436A-A3C4-D7322C812534.jpeg
一つひとつは結構大きな孔だ。801C7214-F55F-40D0-80DC-B621752F4E26.jpeg残念な生きもの図鑑の中の残念な生き方の項に載っていた、キツツキが餌を探した跡だが、クチバシだけでこれだけの孔をあけて、この孔には何匹の虫がいたのかなぁ⁈
 非効率的と言うか、頭に相当ショックを受ける作業だが、周りにはあんなにも美味しい木の実が沢山あるのに...‼︎
 オレは人間でよかった‼︎
 

LINEで送る
2020年7月 1日(水) 09:53

やっとかめ

 体調の優れない日が暫く続いた。
6月22日札医大受診ではbnpを始め大方の数値は現状維持していて、それほどの問題点もなかったのだが⁈
 医大受診の数日前に孫の風邪を貰ったみたいで、咳と痰それに鼻水が酷かった。その風邪と車で札幌往復をした事が重なっての疲れなのか...
 昨日あたりからようやく身体を動かす気が出て来て、"やっとかめ"に隣の酪農家前塚勇君を訪ねる。彼は入り婿だけあって頭の毛が無くなった現在も勤勉そのもの。
 昨日午前道路っぷちにある、機械修理小屋の前で刈り払い機の修理をするふり⁈をしている彼を見つけ声を掛ける。
 お互いに立派な高齢者。
 その小さな修理小屋に招じられ、てんでに道具箱に腰掛け、早速体調報告の交換。
続いて、それぞれが現役だった頃の「オレだったら」と言った「たら」「れば」の話しを一頻り。お互い慰め合い、溜飲を下げ、別れを告げる。
 少し気が楽になったかも...

LINEで送る

2024年11月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

バックナンバー

最新記事

カテゴリー