足止めとはつゆ知らず...
19日、11:00丁度発JAL506便にて羽田に向かうため、新千歳空港のロビーで寛いでいる眞由美さん。
出発30分前なのに僅かばかりの搭乗客で閑散としている。
飛行機の出発便も大半がcancel
ジェラートのショーケースを横浜に下見に行こうと空港に行ったのだ。
コロナが下火にならず移動自粛が叫ばれる中、上京が憚られた。が、空港に居る限り田舎のシャッター街かと錯覚する程だ。
さて、搭乗案内があり、搭乗率30%位の乗客が順次乗り込む。
出発予定の5分前にはドアハッチも閉まり、いよいよ...⁉︎
そこから悪夢が始まる。
札幌をJRで出発時晴天だったが、今機内から窓の外を見ると降雪が凄い!
矢張り出発を遅らせる旨のアナウンス。
雪が小降りになるのを見計らい、2時間遅れの午後1時過ぎ漸く動き出す。
結局、羽田空港に着いたのは午後3時少し前。
機内に4時間以上いたのだが、この時間は台湾に行く位か⁈
練習はこれ位にして、いつかは親日国と言われる台湾に遊びに行ってみたいものだ。
いずれにせよ、疲れた‼️
軒先サギ?
94才になる父がここ一週間ほど、熱は無いのだが咳と痰に悩まされていて、更には食欲も殆ど無い。脱水症状を起こしていると危険なので、今日市内のとある病院を受診してきた。
初めての受診なので、コロナ禍の現在、発熱外来も有り安心して受診出来ると聞き、行ってきたものだ。
事前にクルマのナンバーを伝えて置き、予定通り指定された駐車場に着き、電話をする。
「〇〇様ですね。電話をきって少々お待ち下さい」
電話を切り30分程待つと漸く電話が。
「患者さまの様子は?」
「咳と痰ですね。痰の色は?熱は?最近何処に出かけましたか?」などと聞かれ、「そこで電話を切って少しお待ち下さい。」
又15分程後、再び電話が鳴る。
「家族構成を教えて下さい。...えぇ〜っ!家族8人⁈どう言った構成ですか?」
「奥様が同じ様な症状で...。ハィハィ、違う病院で、咳止めと痰を切る薬を頂いた⁈成る程、少々お待ち下さい。」と三度待たされる。
又「少々」か⁈と内心舌打ちしながら待つ事20分。
「患者様、その他の症状は⁈」
「下痢も有る⁈ハアー⁈少々お待ち下さい。」
得意な「少々」の安売り。歳を取って気が短くなったのか段々と頭に血が登ってくる。
「もしもし、何度も済みません。あの〜、PCRの検査、受けて下さい。今お車の止まっている駐車場の直ぐ横に、ドライブスルー形式の外来が有りますので、車を横付けにして、窓を開けずに窓越しに保険証を提示してください。次に唾液の採取と検査料金5,000円お預かりします。」
保険証はまだしも、サンプル採取ビンやお金は窓を開けずにどうやったら受け渡しが出来るんだ?と思いつつ
「何度も待たされ、挙句にPCR検査を受ける様にとの指示だけど、結果が出るのにどれ位時間がかかるの?」と聞くと「結果は明日か明後日にはわかりますので、こちらからお知らせします。」
「ハァ⁈明日?じゃ、診察はいつして貰えるの?」
「ハイ、お薬はもうでていますので、隣りの第二駐車場にてお待ちください。その駐車場の目の前の建物が薬局になっていますので。」
「薬が出ているって、先生の診察も受けていないのに⁇」
「ハイ、大丈夫です。」
「大丈夫って、何が⁈」
対応してくれている看護師との噛み合わない事態に段々と頭に血が登ってくる。「これってリモート何ちゃらなの?だったら窓越しにでも先生が顔を見せ、自分の言葉で伝えて欲しいものだなぁ!」
「ハイ⁈」の後無言......。
「もういい、分かった‼️第二駐車場で待てば良いんだな!」と言葉使いも荒くなってくる。
さて、指定された駐車場で又10分ほど待つも、何の音沙汰も無い⁈
「もう薬は出てると言った割には遅い...」
シビレを切らし薬局内へ行くと受け付け事務と薬剤師2人、合わせて3人の目線がこちらに向く。そして「何か⁈」とのたまうでは無いか。
「廣瀬と言いますが、先程から駐車場で待っているんだけど、薬はまだかな⁈」
「ヒロセさん⁈少々お待ち下さい。」
また、少々お待ち下さい、か!
すると薬剤師とおぼしき男が、まだ調剤指示書が届いていないんで、少々お待ちください。
「少々お待ち下さい、少々お待ちくださいと言われ続けて早2時間以上待たされて居るんだ。しまいには医者の診断の一言も無く、何を根拠に薬を出すんだ?これって医療なのか?こんな事なら初めっから薬局に行って相談し、市販薬を貰えば良かった。ま、兎に角今時間が無いので夕方薬を取りに来るから!」と言い捨てる様にして薬局を後にした。
午後3時半に、薬を貰いに行く。
所要時間はその薬を受け取りに再び出かけてきた時間も含めると、合計4時間。
今回の受診では医者の顔は一切見る事無く、終了。
病院脇にプレハブがあり、一枚の紙に「発熱外来」表示してあり、そこには防護服やマスク、ゴーグルを身に纏った看護師が一人いるのみで、一人で全てを取り仕切りっていた。
なんだかキツネにつままれた様な感じ。今風に言うとオレオレ詐欺ならぬ軒先サギのようだ。
「コロナは絶対持ち込ませず!」の意気込みは判らなくは無いが、気分が悪くなる対応だった。
正月明け、上札内で購入した山林の樹種とその疎密を調べる為、ドローンを所有している三男に頼み、上空から撮影調査した。その時は日中も−10℃前後にしか上がらず、父は大半、車の中に居たのだがそこから余りにも長く症状が続いている為、受診したものだ。
一歩間違うと、老衰なんて謂れかねない年齢。
なんでも良い。
早く治ってくれ。
因みに父が受けたPCR検査の結果は、翌日病院から連絡があり(ー)だったので、皆さんご心配無く遊びに来て下さい。
怪我の功名
昨年は未知のウイルスに世界中が振り回された年だった。そして新しい年を迎える昨年末から第三波の感染拡大が起こり、年が明けてもいよいよ勢いを増しているようだ。Go-Toトラベルも休止。飲食店は時短。都市間の移動制限なども厳しくなっている。
個々人は3密を避けたり、外出時はマスク着用。手指の消毒などは新常識に成ってきている。マスクなど忘れようものなら、買い物は元よりすぐ外すであろう喫茶店なども入りづらい程だ。
衛生環境が整わず、マスク不足で困っている国に対して、マスクを無償で提供する「マスク外交」なる新語も生まれている。
マスク着用が当たり前になって気が付いたのだが、出先などで「こんにちは」などと声をかけられる分には良いのだけれど、こちら側が「あれ、知り合いかも⁈」と思った時が困るのです。顔から出ている部分だけで誰かと、一瞬の判断が必要な時なんですが、そんな時こそ帽子を目深に被って、ハゲなのかロン毛かはたまた白髪など特徴も分からず、かと言って目を見つめる事は大いに困るのです。
例えば、この様に
(いやぁ目元がたるんでるわ!)分かりにくいですよね⁈
つまり、余り人の目を見つめて、知り合いかどうか判断する事になれていないのだ。
男だと「なにをジロジロみてるんだよ。ガン付けてるのか!」とか、女性だと「私、アンタの事なんか知らないのに、いやらしい。」などとおもわれるのが恐ろしく、焦点の定まらない目つきになってしまう。
自身、過去には欧米に何度か視察に出かけているが、そう言えばエレベーターで一緒になったりした時には、欧米人の大半は目が合った時には一面識も無い我々にも必ずと言って良いほどニコッと微笑んでくれた。
「目が合って」そして「ニコッと」。
聞く所によると、彼らは「あらこんにちは、私には害意は有りませんよ」と言った意味で微笑むそうだ。
これを奇貨に、日本人も何気無く目が合っても、お互いにほんの一瞬「ニコッ!」とできる社会になれば良いなぁ!
でもなぁ⁈
目が合って「ニコッ」は良いけど、何秒で目線をはずすのか?
難しいなぁ!
今冬初
早朝より降雪。少しずつではあるが終日止まず、今冬初の積雪になった。
西23条南一丁目、JA金融店のある交差点
今日は積雪初日だからまだ大丈夫だけど、しばらくツルツル路面となる。身体も運動不足に加え老化が進んでもいる。歩行、走行ともに注意が必要だ。
農校
数年前、イラン系の俳優のサヘル・ローズさんがとある番組の収録で我が家に訪ねて来てくれた。
皆さんもご存知のエキゾチック美人。
しかしその美貌を鼻にかける事もなく、日本語も流暢。
気さくで相手に気遣いをしながら話しかけてくれ、すっかり虜になってしまった。
記念撮影をお願いしたら気軽に応じてくれた。
撮影後写真を見てみたら、美人のサヘルさんが一線を越えるのではないかと思われるくらい寄り添ってくれたので、ドギマギしながらも嬉しく、年甲斐も無く照れ隠しが表情に現れている。
その番組の内容は忘れてしまったけれど、我が家のパーラーでの搾乳風景を撮影し、実際に搾乳体験もしてもらった。
最後にサインをいただき、店長も交えもう一度パチリ!
写真の日付を調べてみると2016年6月29日なのでもうまるまる5年も前の事だった。
さて今朝の我が業界紙日本農業新聞の一面にあの懐かしいサヘルが、笑顔をこちらに向けてくれいるでは無いか。
一瞥以来で懐かしく、活字を追ってみる。
サヘルは実は農業高校の卒業生だったのだ。
彼女はイランで生まれるも幼い頃親に捨てられ養母に育てられた。その後7才の時、その養母と共に日本にわたる。日本で入学した小中学校ではいじめにあっていた。入学した農高でも人と関わるのが怖く、一人殻に閉じこもっていた。そんな私を見て、国語の先生が声を掛けてきた。
「失敗や回り道は未来の糧。自分らしさを否定する理由などなくて、自分を好きになれば、出会った人の個性も分かるし、人をどんどん好きになれる。」と、自信を持つ大切さを教えてくれた。
それから自分の人生が開かれてきたそうだ。
最後に「冷め切った心を耕し、温め直してくれた園芸高校。農業が生業では無い私ですが、農業が持つ普遍的な価値を語る自信はあります。私の人生そのものですから。」