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今朝の業界紙一面から
19日、JA全中と共同通信社がオンラインで食料安保に関するシンポジウムを開いた様子が載っている。
全中の会長は、コロナ下の農産物の輸出規制に触れ「私達の食の危うさが浮き彫りになった」と強調し、国消国産の推進を訴えた。
農水省の食料安全保障室長は「日本の農業・農村を守るには農地を守る重要性にも注目すべき」と述べた。
農林中金総合研究所の部長は、食肉工場や市場で働く人の感染が各国で食料の流通を滞らせたと指摘し「フードチェーンが動かなくても、輸入量不足を拡大させる」と述べた。
JA全青協の副会長は、国消国産は「国民と生産者との相互理解だ」と言う。
他からは、食品ロスを減らすには、急速冷凍や粉末化などの技術も活用とある。
このニュースを読んで。
コロナ禍からの教訓としての食料安全保障を議論しているが、これはすでに4~50年前から人口爆発に伴い問題提起されている話しだ。
自分事だが、40年程前、アメリカワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンが毎年「地球白書」を発行していたが、その中では「宇宙船地球号」と言う考え方を知った。森林破壊や水問題、有限な化石燃料とフードマイレージ、富の偏在と貧困による飢餓などなど、地球を俯瞰しなければ人類全体の生存に係る課題が見えて来ない。
人類が生存して行く上で最も大切な物は食料だ。
昔、ロシアがソビエト社会主義連邦共和国だった頃、計画経済の破綻を隠す為、日本始め西欧諸国の食品スーパーの映像を映し出し、溢れんばかりの食品棚の映像のキャプションに「これら自由経済主義の国は、一部のブルジョアが富を独占していて一般市民は食料も買えない為、食品が溢れかえっている。しかし、我がソ連は計画経済が市民の隅々まで行き渡っている為、食品棚に食料を余している事など皆無だ」などとうそぶいていた。
何れにせよ、自国の消費分の食料は自国で出来るだけ生産する事(国消国産)が大切だ。それには、1人でも多くの共鳴してくれる消費者が必要だ。
その消費者を育てるのは我々農家自身。
現場に来てもらい、話しを聞いてもらい、生産の喜びや苦労を共感して貰う事だ。
これが私の言う「21世紀の農作業」なのだ。
COV-NAVI
昨日札医大の小山先生の受診の際、コロナワクチン接種が始まったら、是非受けると良いですよと勧められた。
先生によれば、最近千葉大の先生たちがコロナウイルスやワクチンについての最新情報発信を目的とした「COV-NAVIコビナビ」と言うサイトを開設したそうだ。
皆さんも私と同様、正しい情報で正しく恐れましょう。
そうそう、昨日の受診結果、まだまだ常人よりは大きいが、心臓のサイズが更に小さくなっているようです。
西蔭幸代さんお元気ですか⁉︎
今朝の業界紙を読んで。
ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染や、国内では札幌雪まつりから感染が広がった謎のウイルス騒ぎが始まって丁度一年になる。
そのコロナウイルスの感染拡大を防ぐために、夜の飲食業界は時短営業や三密を避ける為客席の制限が求められ、倒産が相次ぐなどの悲鳴が新聞紙上からも聞こえてくる。しかしその飲食業に連なる様々な業種も苦況を強いられている。業界紙では、「つまもの」であるワサビや大葉の生産農家も大打撃とある。
さて、3年前の今頃農業委員会の視察で四国を訪問した。その一つに徳島県上勝町がある。そこで尋ねたのが株式会社いろどりだ。その会社は料理の「つまもの」を卸している会社だが、山間地に溢れるほどある木々や野草の葉をお金に変えてしまうと言うものだ。その「葉っぱビジネス」の草分けで、年間売り上げ一千万円以上を稼いでいると言うおばちゃんが西蔭幸代さんだ。80才とは見えないバイタリティ溢れているおばあちゃんだった。
今でもお元気とは思うけど、その「葉っぱビジネス」大丈夫かな。
因みに上勝町では、葉っぱがお金になると言う事で高齢者が山間を歩き回るようになり、結果足腰が丈夫になり高齢者介護が激減したそうだ。
おじさん図鑑
2月8日付け道新11面、エッセイスト飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」を読んで...
相変わらず高齢者を的にした、ある種脅迫的なテレビコマーシャルが横行している。加齢による身体の不調は避けようが無い。そこに企業が目をつけた。
サプリメント類の多くは「治る」ではなく、これを常用すれば「若々しさを保てる」と「老いの不安」に付け入る。更に「今から30分以内に申し込めば、1ヶ月分が半額に」とあおりたてる。
90才になる軽度の認知症のおじいさんは、その種のCMに接すると焦燥を覚えるらしい。「30分しか時間が無い」と焦りつつ、メモした電話番号に注文の電話をしてしまうそうだ。
ところが、先方から「電話番号とご住所をお願いします」と言われると、立ち往生してしまうそうだ。電話番号も住所も記憶からすっぽり抜けて、答えられない。
つまり認知症が防波堤になって、なんとか窮地を脱していると言う、笑うに笑えない話しだ。
さて自分も気がつけば、94才の父や90才の母に比ぶべくも無いが、70才まで後一息の立派な高齢者だ。
自身、還暦を過ぎたあたりから体調不良が始まり、10万人に3~4人が発症する難病の特発性拡張型心筋症と診断され、余命宣告を受けて過ごしてきたこの10年は、一日一日が「生を続ける」為の戦いの日々だった。
そして、治験に出会い、取り敢えず死を意識しなくても良い身体にしてもらった。そして気がつけば70才間近。
自分で感ずる老い。そして残された人生を思う。
先ず食が細くなった。夕食時に頂くビールは500ml缶一つを94才の父親と分けて丁度良い。これは身体が省エネモードに入った。これは立派な社会貢献だ。
二つ目。忘れた事を忘れている。いくら指摘されても知らない物は知らない。これって最強だ。
三つ目。新聞の死亡広告をみると、80代で亡くなる方が断然多い。とすると、自分に残された時間も後10年と少々。悔い無く生きようと足踏みばかりで、時間だけが進んでいく。
四つ目。老人の話しは同じ事の繰り返し。嫌われる元だ!
考えて見ると、おれは30年来酪農教育ファーム「十勝農楽校」を続けているが、これって同じ話しの繰り返しだ!しかし、都合のいい事に同じ学校、同じ学年でも生徒は毎年新陳代謝。話す度にギャグが入ったりクイズが入ったりと磨きがかかり、来年度の修学旅行なども既に、体験申し込みが入りはじめている。
家内は、病を得て肉体労働が出来なくなったおれに、これからは「口だけオヤジ」は、口だけで老後の糧は稼げそう。心配ないね。と自立をうながす。
「あれも出来なくなった、これもダメだ」じゃ無くて、「まだあれが出来る、これもだ」と、老後を楽しみたいものだ。
サンタさん⁈
昨日退院し、早速私の隠れ家である第一牛舎へ。
奥のドアを開けたら...サンタさん⁉︎
自然の造形。先日アップした首飾りが一つ増えていて、新たに加わった首飾り。
背景と合わせると、まるでサンタさんみたい。