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十二代目 宇右衛門の廣瀬文彦が語る ウエモンのよもやま話

2021年7月 3日(土) 15:51

in沖縄

 昨日2日午前10時20分、帯広空港を沖縄に向けて出発。
羽田に着くまで眼下は真っ白で雪原の様な雲海の連続。そして乗り換えの羽田空港は、大雨。沖縄行きまで1時間半ほどあり、軽い昼食を摂る。
順調と思いきや、搭乗口の変更、更には出発遅延。6AB84CB6-AB9A-4CC6-A679-C137ABA33C6A.jpeg
そして午後5時半過ぎ那覇空港到着。シーサーがお出迎え!6C796DA3-553A-4370-9E80-0B4EC925EE77.jpeg
北海道から約3,000km南に位置する南国。蒸し暑い。
そう言った気候だけあって、北海道では超高級な花胡蝶蘭も沢山並んでお出迎え。胡蝶蘭に負けずとカメラに収まる美魔女2人。1人は今回結婚式を挙げる新郎の母親で私の妹。1人は家内だ。
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そして無事到着し一安心の新郎の父親、山本学君50C34C40-C925-4F91-B6D9-3506CAFE2119.jpeg
空港でレンタカーを借り、結婚式の行われる読谷村のヨミタンリゾート沖縄、ホテル日航アリビラに一路向かうも、沖縄はコロナで未だ緊急事態宣言が解除されないため、夕食は午後7時まで。
と言う事で途中夕食をとる。D520981A-EA69-4D82-A93C-53CD89DB2F86.jpeg午後8時過ぎ漸くホテルにチェックイン。
結婚式の様子は明日⁉︎

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2021年6月25日(金) 18:58

JAスタンドイベント

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明日26日(土)、明後日27日(日)の2日間、帯広川西農協の4カ所の給油所で、20L給油毎に1枚のウエモンズハートソフト又はジェラートの無料券が頂けるイベントが開かれる。
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1スタンド1日800枚限定だそうです。
奮ってご参加ください。
ソフトやジェラートとの交換の期限は7月25日(日)までと十分に有ります。

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2021年6月24日(木) 03:35

隠居

 よく晴れて温かな有る日の午前、小鳥達が「我が秘密基地」の中庭に遊びに来てくれた。
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3〜4羽、チチチ、チチチチチチと囀りながら、木の枝を右から左、上から下へと片時もじっとしていない。
縄張り争いの様な気もするし...
いや、少しけたたましいが、恋のささやきかも⁉︎

20〜30分程、椅子に腰掛けノンビリと観察。
中庭の外では牧草サイレージを作るために長男達は忙しそうに走り回っていると言うのに、この長閑さ。
御隠居様気取りだ。

恋のささやきで思い出した。
今日6月24日は我々の43回目の結婚記念日だ。
なるほど、69歳にもなる筈だ。
思えば遠くまで来たもんだ!

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2021年6月23日(水) 16:46

99%

 物置きの積年の遺物(ほぼほぼゴミに等しい)の片付けを始めたのが1か月前。亡祖父種治の墨書や妹の幼稚園から小学校にかけての日記帳などの入った段ボール箱などが30〜40年ぶりに陽の目を見たが、それら想い出の品は残しながらも、大半は焼却した。
そして蜘蛛の巣を取り払い、埃やゴミを掃き出し、棚を付けてもらった。
そして1週間前の17日早朝、片所の義兄の形見となったプレハブを搬入。
先ず大型のクレーンが到着。FDF2E659-9675-491F-974D-850DF9DB4B80.jpeg
設置場所は旧住宅兼物置きの二階建ての建物の裏側なので、クレーンで屋根を越し電線も越えてプレハブを設置する。92EF45C0-6C51-4C68-B945-74C836542E47.jpeg
クレーンの操縦者と設置場所を指示する人の阿吽の呼吸でピタッと予定位置に収まる。
E4195CC4-7C44-4F7C-8B66-49A3760E0E27.jpeg二つに分けて運び設置するのに約2時間。あっという間の作業だ。その後中の造作および電気工事もほぼ終了した。

そして納屋の北面(裏側)の壁に穴を開け、ドッキングしたプレハブへの出入口をつくる。そして内部。B94F4517-B9AE-4262-A261-86C3F63F7C37.jpeg
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プレハブの方には発泡や段ボールなどの包材が入る予定。
今後少しずつ時間をみて、これらを移動させる予定。

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2021年6月14日(月) 05:31

ザワワじゃないよ、たわわだよ

 我が家の庭のコデマリが今満開だ。A2A96F53-84C5-4EE1-B865-74AE5E0FFCCA.jpeg
現在94才の老父が、自分の母親の命日に必ず咲く花として、大事にしているものだ。
 時は昭和20年6月19日。今から76年前の大東亜戦争(第二次世界大戦)の敗戦直前事だ。胃潰瘍が元で亡くなったのだが、未だ39才と言う若さだった。現在ではきちんと投薬、療養すればいずれ完治する病気で、亡くなるなど考えられない事だ。父曰く、当時は戦時経済で、生活物資や食料は配給制。満足な医療など受けられ無い時代。
つまり「時代に命を奪われた」のだ。C8BDBABA-8A7A-4945-8E89-792AEE486311.jpeg床の間で家族を見守っている39才のシズばあちゃんの遺影。
当時は我が老父も満18才で東京に遊学中。神田の湯島に住んでいて、3月10日の東京大空襲で木造の家屋が燃え盛る中、逃げ惑いつつ一命を取り留める。徴兵検査も甲種合格。12月の入営を待つばかり。そんな初夏の6月19日「ハハキトク スグカエレ」の電報を受け取ったのだ。
 馬と人手に頼る当時の農家に取って18才と言えば、重要な担い手なのだが、家族の勧めが有ったとは言え、東京に遊学。
口には出さないけれど、苦労をしている母親の手助けなど全く出来ない内に無くしてしまい、後悔してもしきれない人生だった様だ。
 そんな母親の死を毎年思い出させてくれるのがこのコデマリで、老父は「シズばあちゃんの木」と名づけ、咲くのを楽しみにしているのだ。798225DC-8DFB-4C98-B2C3-BE50F391F11B.jpeg
シズばあちゃんはどの花かなE881D883-9D13-42C9-B24E-A20836FAC19F.jpeg
きっとこの花だ。9207CDA2-8418-4DF5-A2B9-A401FE4D8EB6.jpeg

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