ウエモン祭り、地蔵盆
7月24日。
博昭山荘で恒例になりつつある地蔵盆を開いた。
老父博昭の実母しずが、昭和20年6月19日39才の若さで亡くなっていてる。今年は77回遠忌も重なり、先祖供養にも力が入っている。
18才の時に母を亡くした時の悲しみを脳裏に掠め、また実母の77回忌を自らの意思で行える幸せを噛み締めるような老父の挨拶で会食が始まる。
お参りしてくれた妹夫婦や平尾さん夫婦も一緒に会食、会話が弾む
孫の鈴や葵も参加
老父は自分の思いがひ孫にも受け継がれる様、山荘の庭に自生したカラ松に「鈴のマツ」、「葵のマツ」と名付けてだいじにしている。
夫々のマツの前で博昭、美代子を交えて記念撮影
博昭山荘よ永遠なれ
博昭山荘
老父が山小屋を建設してはや15年。
その山荘への経路は当時重機で開削したままなので、雪解け直後や長雨が続いた後などは轍が深くえぐれたり、スリップして出られなくなる事もしばしばだ。
予てから、悪路となってしまった山荘への小径を整備したいと話していた。
先月末頃更別の土建業、山内組にその整備を依頼してあった。
そして昨日5日、ブルドーザーとダンプ一台が作業に来てくれた。
これで老父は、雨天でも心置きなく山荘通いが出来る!
訃報
昨日の道新だ。
えっ。忠行が死んだ?
遠軽町若松。
69才。
間違いなく酪大(耳で聞くと、落第に聞こえるが...)の同級生の忠行だ。
彼も親の代からの牛飼いだ。
奥さんを農夫肺(牧草のカビを吸い続ける事による肺機能の低下。ロールベーラーが多くの酪農家で導入が進むと、多発する様になる。牧草の乾燥具合が足りないとカビが生え、給与作業者は毎回そのカビを吸い込み続ける事で発症する。)で亡くしている。もう17年も前の事になる。
自分の学生時代の仲間は、良くも悪くも感情を直截に表す間柄で、現在も言いたいことを言い合い付き合っているが、忠行は飲み会でも、話し合いの場でも。その一歩外側に付かず離れずに行動している男だった。例えるなら地球から一定の距離を置いて周回する月の様な存在か!
そんな忠行と偶然に会ったのが、1977(昭和52)年12月(25才の時)カナダのトロントで開かれていた農業の祭典ローヤルウインターフェアーでの事だ。
乳牛版ミスユニバースをメインに見に行った物だが、大型バスでメモ用のバインダーを首から下げた子供達がゾロゾロ降りて来るでは無いか。
なんで子供達が⁉︎と思い、ついて行くと(ストーカーじゃ無い、決して!)その会場には羊、山羊、ブタ、ニワトリなどの小動物や色々な農作物の栽培展示、小農具など農業関連の物が様々展示してあった。
そこで子供達は夫々のブースの担当者に質問したりメモを取っていた。
流石農業大国カナダ。子供の頃から農業関連の勉強をするのか!と驚きつつ見入っていると、背後から「おい、広瀬じゃないか!」と声をかけられる(ハーイ、ヒロセ!なんて言う英語では無く勿論日本語で)。
驚き振り向くとそこには「忠行」が立っているではないか⁉️
久しぶりでしかも異国の地で邂逅する奇遇にお互いビックリ。
その夜は2人でトロント市内のバーを2軒ほど飲み歩いた。同級生とは言え、こんなに長時間、忠行と向き合って話しをしたのは初めてだった。
直後はお互いの家を訪問し合うが、矢張り自己主張の少ない忠行。年賀状だけの付き合いになり、奥さんを亡くしてからはそれも途絶えがち。
風聞で、忠行は癌を患っている事は聞いていたが、とうとう亡くなってしまった。それは食道癌で見つかった時には手が付けられない程進んでいたらしい。
又一人、友人が逝った。
合掌
スクープ映像
5月25日に小欄でアップした、クマ撃退音発生装着を設置した話しだ。
7月1日夕方にそのクマの映像が撮れた。
設置業者から約1分半程の録画を送ってもらい、驚きと感動の気持ちで見た。
そして、そのままアップしようと思ったら、自分の技術ではこのブログに載せられ無かったので、静止画を上げて見た。
クマが悠々と歩いているので不思議に思ったら、センサーの指向外に現れた為、撃退音と言うか忌避音が鳴らなかったらしい。
扨、明日24日、我が家ではこのクマの出没地点から僅か100mと離れていない博昭山荘で、同朋寺住職の読経の下地蔵盆のお参りをする予定なのだ。
写真が博昭山荘の遠景。この写真の左手後方から山荘に至る林道脇で、クマ動きが撮られたのだ。
実物を見せつけられると、何というか、尖閣近海に現れる大型機関砲を装備した中国海警局の船と日本の巡視船か、はたまた竹島で、ライフルを肩に常駐する韓国軍を彷彿とさせる。
クマさんはこの地で家族子供が食べて行ければ何の問題も無いだろう。翻って老父博昭は童謡「ふるさと」に唄われている心境でさんそうに通っているのだ。
話し合いが出来ればなぁ!
日中、日韓関係の様に悪意ある対立では無く、クマさんとの共生が上手く行くように願うばかりだ。