山際大臣
一昨日上京し、昨日東京自由が丘にある、ミルクランドホッカイドウの常設レストランを尋ねた。
自動レジの詳細を体験し話を聞くためである。
昨日朝、今日は土曜日で国会が休みか⁉︎
とすると、山際大志郎くんに連絡が取れるかも、と思いたっての突然の電話にも関わらず、自由が丘のミルクランドまで会いに来てくれた。
1時間近くミルクランドの2階レストランで話しをさせて頂いたが、30年前の学生のままの山際君で嬉しかった。
是非日本の為に死力を尽くして下さい。
本当にありがとう。
白鳥
毎年、早春の恒例となっている白鳥の飛来。
今年の初飛来は3月28日で、ほぼ例年通り。
毎日の行動は時計を持っているかのごとく、毎朝7:00頃どこからとも無く飛来し、午後5:30には飛び去るのだ。
今年は雪解けが遅れたが、黒土が見える所に数羽来てくれた。
数日毎に20~30羽ずつの集団が加わり始め、4月9日には100羽程の大きな集団となって羽を休めて居る。
14~15日頃には150羽を超える白鳥が集まっている。
そして16日。
白鳥達の動きが何かしら慌ただしさを感じる。
最後には画面奥の防風林を迂回するように次から次へと隊列を組み、、ヨタヨタ歩きで整然とその向こうの牧草畑に歩いて行くのだ。
そしてその16日午後には裏の畑はもぬけの殻。
昼間なのに、一羽もいなくなって居る。
その後17.18日、そして今日全く来なくなった。
きっと我が家の畑で150羽程の白鳥が20日ほど掛けて結団式を行い、首脳同士がシベリア(多分)へのコース取りや20羽前後のグループ作りや飛び立つ準備をしていたのだろう。
また来春の飛来が楽しみだ。
只、現在北海道では鳥インフルエンザが流行り、あちこちでニワトリの淘汰が進められて居るが、白鳥さん達鳥インフルエンザに感染はしていない事を願うばかり。
『「感動」に違和感』に、違和感
今朝の道新のコラム、〝政官ウォッチ"から
先日行われたウクライナのゼレンスキー大統領の、日本の議員会館でのテレビ演説に対しての、国会議員の態度についての論評だ。
『開始1時間前から行列をなし、会場内では黄色と水色に身を包んだ姿を自撮りする。イベント会場のような光景に、少し違和感を覚えた。』とある。
この演説には500余名の衆参両院議員が参集した事は、このコラムでは報じていない。それだけの人数が入り切るにはそれくらいの時間は必要だろう。
続いて『黄色と水色の服に身を包んだ姿を自撮りする。』
黄色と水色の服装と自撮り行為をくっつけると、なるほど!当にイベント会場になってしまう。しかし黄色と水色はウクライナ国旗の色で、こちらの映像を見た時に『日本はウクライナと共にある』事を知らせる意味では、言葉では無く、一つの大事な意思表示だろう。
また現在はSNSの時代だ。議員は各々の意思でウクライナへの支援を訴える筈だ。そうであるなら、大勢のウクライナカラーの議員達の映像に乗せての発信はすごく効果のあるものだろう。
次に『山東昭子参議院議長のあいさつに違和感は強まった。』と「クエスチョンマークを強調する様な」前置をきし、「貴国(ウクライナ)の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」の言葉に対して、『感動?頭の中に、はてなマークが浮かんだ。』と続ける。
さらに違和感のダメ押しのように『まるで五輪メダリストをたたえる様な言葉。ウクライナの国民は望んで戦っている訳ではないだろう。云々』と「違和感」に、上書きする様に文章をたたみかける。
いったいに、このコラムを書いた方は何を言いたいのか?
議長の「感動しております」の言葉は、命懸けで国を守るウクライナ人の行動に感動しているのだ。そしてかえす刀で、憲法9条を金科玉条として自衛の手段で有っても戦力を持つ事を、戦争の元凶のように捉える日本人に対しての警鐘である事は間違いない。
自国を守るために「望んで戦っている」し、「逃げる事は明け渡す」事になり、武器を使って侵入してくる敵国人に対しては「持ちたく無い銃であっても持つ」のは当たり前。
このコラムニストは、『自衛』を『暴力』に置き換え、それに対して『感動』している山東議長の言葉の『違和感』を殊更強調してまで、何故に日本の防衛力強化には反対するのか?
理解出来ないのは、自分だけだろうか⁉︎
思えば遠くへ来たもんだ...
自分は昭和27年3月31日生まれなので、一昨日の3月31日に満70才を迎えた。所謂「古希」である。
誕生日を迎えるに当たり、予兆は有った。
3月25日に届いたのだが、
新規に発行された国保の被保険者証には「兼高齢受給者証」と書かれ、発効期日が令和4年4月1日となっている。「廣瀬文彦よ!お前は4月1日から高齢者の仲間入りだぞー」と気付かされてはいたのだが。
はて、さて、3月28日には佐々木畜産(株)の会長や中田食品(株)の会長ら数人が集まり、元coop札幌の専務と合わせて2人、古希の祝いをしてくれたのが始まりだ。
31日当日は、家族8人揃って「手巻き寿司」で祝ってくれた。
孫からは、こんな腕飾りをプレゼントされ、いまは四六時中腕に嵌めて、会う人事に自慢している。
そして昨日4月2日、山本学、直美宅で妹夫婦6名から古希を祝って貰った。
家内はまだ古希には未達だが一緒に花やケーキをプレゼントして貰う。
こんなご馳走だ。
左から春巻き、ポテトサラダ、寿司、おはぎ、そしてごぼうのキンピラに漬け物。ビールに日本酒、ワインは普段になくグラスを重ねてしまった。
大満足だ。
その後、山本亭のマスターの淹れてくれる「クレオパトラ」なるコーヒーとケーキをいただく。
最後のシメには「雁金」の日本茶をいただいた。
お祝いを準備してくれた妹達だ。
そして、それぞれの夫君達、ありがとう。
還暦以降難病を得てしまい、皆んなには心配ばかり掛けた10年だったが、まずまずの健康で迎えた「古希」 を楽しく祝って貰い感謝感激だ。
心地よく朝を迎え、今、人生の記憶がはじまって以来の様々な思い出が走馬灯の様に脳裏をかけめぐっている。