医者が青くなる。
15日札医大受診で、定宿に泊まる。先月は満室で部屋が取れず2カ月振りだ。

小山先生の異動に合わせて札医大に通う様になり4年経つが、その間同じホテルの同じ階、同じ部屋と決めてくれている。
その為、チェックインして部屋に入ると我が家に戻った様なホッとした気持ちになれる。
ハツばあちゃんの言葉をかりると「あんらく、安楽」だ。しかし、この言葉には続きが有って
「寝るほど楽な事は無かりけり、浮世のバカは起きて働く」となる。
さて、翌15日検査の後小山先生の診察を受けるがほぼ問題無いとお墨付きを頂き、16日帰途に着くのだが、
ウエモンズハートで使う機会を探しに厨房機器屋さんに寄る
目的の機械は見つからなかった。
野幌から北広島に向かう途中、札幌乳業から小林牧場物語りと言う牛乳が出されている、
当にその小林牧場の敷地内にソフトクリームの工房兼店舗を見つけ立ち寄る
オープンして2年ほどの店内は広くて明るくきれいだ

工夫した商品が売られている
ミルク汁粉にミルクカボチャ汁粉
そしてドルチェピザ
ドルチェピザなる物、何ぞや⁈注文してみる
材料や形状はピザだが、チーズは使わず中央に甘いジェラートが乗っている。
なるほど、美味しい!グッドアイデアだ!
夜帰宅すると岐阜在住のまた従姉妹の順子から柿がとどいていた。
沢山いただいたので、腹一杯ご馳走になりこれからも毎月診ていただく小山先生に
心配を掛けないようにしたいものだ。
夜明け
今朝、5時50分我が家から
11月7日午前6時30分伊豆松崎町
10月31日午前6時36分香川県小豆島
10月30日午前7時35分愛媛県奥道後
10月29日午前6時37分山口県周防大島
10月28日午前6時19分広島県大崎上島
10月27日午前8時41分徳島県大歩危峡
「昔は、朝が私を迎えに来た。
今は、私が朝を迎えにやって来る。」
現役の頃、肥料や堆肥散布、耕起、播種、牧草刈など農作業は全て一番乗りで終わらせたくて、周りでは誰一人作業をしていない真っ暗な畑に出かけた。
そんな時トラクターのラジオから聞こえたいすずトラックのコマーシャルのフレーズだ。
半世紀も前の若い頃朝が苦手だった。
しかし、或る時、後継者の甘えを捨て「広瀬牧場をオレの牧場にするんだ!」と決めたら俄然朝起きるのが楽しくなった。
そして世界を独り占めした爽快な気分だった。
心の有り様だ。
羽田空港、NOW!
暫くサボっていました。
今回は6日から伊豆松崎町との姉妹都市提携35周年の記念事業に参加し、今日帰る所。

間もなく搭乗!
明日以降、小豆島や松崎町親善訪問の顛末報告します。
いざ小豆島
いよいよオヤジの会に向け、奥道後を出発。
正午過ぎ、待ち合わせ場所の高松空港に到着。レンタカーのトヨタノアを返却し、高松集合組と落合い、
香川の広野さんの用意した車に乗り込み、そのまま小豆島に向けフェリーに乗船。
小豆島は高峰秀子主演の壺井栄の二十四の瞳の撮影地だそうだ。
昼は生素麺を頂く
続きは後ほど...
そして4日目!
マッサリゾート。
ハワイとは斯や有らん。エキゾチックな風景の中食後のコーヒーを楽しむ
食事を終え、外に出てみる。
プールサイドの椅子の背もたれを倒して見るとビーチにいるようだ。
水着じゃ無いのが残念⁉️
さて今日は午後1時過ぎ、周防大島の東端伊保田港からフェリーで松山の三津港に向けて約一時間の船旅だ。
宿泊したホテルから伊保田港まではわずか30分以内の距離と言う事で、港とは反対方向にハンドルを切り
シーボルトの上陸地記念碑へ。
更に西進するも沿岸部を走る旧道を舗装しただけの細くて曲がりくねった道路が続く。
フェリーに乗り遅れては大変と、島のいちばん細くなったところを山越えをして、
道路が整備された北側に出、伊保田港に向かう。
その直前には陸奥記念館(昭和18年伊保田港沖に停泊していた戦艦陸奥が謎の爆発事故で沈没した地)に立ち寄る。

何れも巨大なスクリュー、砲台、機関砲など、戦後引き上げられたものが、屋外にも展示会されている。
いよいよ伊保田港で松山三津港にむけ乗船
岸壁にはわざわざ見送りに来てくれた沖永夫妻、今生の別れか、振る手に力が入る

一時間の船旅で、三津港到着
奥道後温泉に入る前に松山城に登城し、今日の旅を終える。





