「自由」
今朝の道新の新五感紀行の第一面に大きく川湯温泉が紹介されていた。
それを見て55年前を思い出した。当時帯農では、家業の手伝いを条件にバイク通学が許可されていた。
自分も高2の初夏、2度目の実地試験で晴れて合格。そしてその夏休み、孫に甘い種治爺ちゃんが中古のバイクを買ってくれたのだ。
それからと言うもの通学以外に、日勝峠の展望台や襟裳岬。糠平、大津とバイクの足を伸ばし
16才の少年にとっては、バイクのスピード感が堪らず、時間を見つけてあちこち走り回る。
走るにつけ、自分の行動範囲が十勝管内に広がりると同時に山裾まで農地が拓かれている事に気づく。
そこで働く人々を見るにつけ、我が家の立地条件が、農地が平らであったり、帯広の町に近く生活の利便性も高く
恵まれている事にも肌身で感じた。
折りしもそんな時、チョッパーと言われる改造バイクで広大なアメリカの大陸を疾走し、様々な困難を乗り越えて行くアメリカ人青年達の映画
「イージーライダー」が上映され、2度と来ない青春を自由奔放に生きる事にも憧れた。
そうやって一年、バイク慣れしてきた高3の夏休み、友人と3人で十勝を飛び出そうと3泊4日のバイクのツーリングを計画した。
我が家に前泊した陸別と川西の同級生と3人で国道38号を左折。
1泊目は層雲峡、2泊目は網走そして3泊目が川湯だった。
当時国道と言っても未舗装の道路も多く、砂利にハンドルを取られ道路脇の畑にバイクごと飛び込んだり、
エンストををしたりしながら、ようやく川湯の硫黄山に到着。
小学校の修学旅行で来ていたに何故かここの記憶は鮮明だ。
そこの駐車場でバイクを止め、サングラスを外しヘルメットを取ると
メガネをくり抜いた歌舞伎役者の様な白塗りの顔が可笑しく、お互い腹を抱えてひとしきり笑いあった。
後は凄く硫黄臭かった事ぐらいしか思い出せ無い
翌4日目、阿寒横断道路(砂利道、カーブ、アップダウンが酷く最大の難路だった)
を走り、阿寒湖から足寄(ここはカープは少なかったが、矢張り砂利道)。
足寄で昼飯後、1人は別れて陸別の自宅へ。残る2人は上士幌から帯広市内へ。
ここで川西の友人と別れ、無事家に帰った。
初めての長旅。緊張感で疲れたが、一方で自分の自由意思で旅を全う出来、
ますます「自由」への憧れが大きくなって行くのだ。
それから15年後、牧場の冠名に「liberty」を入れたのも、
高校時代、2番草の収穫真っ盛りの中、父親から「獲得」した小さな小さな「自由」も含まれている。
どっちなんだ!
G7首脳会議が今日から、広島を舞台に開催される
自由と民主主義と言う価値観を共有する7つの先進国が集まり、ロシアのウクライナ侵攻を非難したり、
中国の覇権主義に共同で対処する事などがメインテーマらしい。
これに対応するように中国は18日、カザフスタンなど中央アジア諸国などと対外問題に共同して対処する会議を開いている。
第二次世界大戦前、日独伊と言った枢軸国と旧来の利権を守ろうとする米英中ソの連合国とに分かれて世界大戦が勃発し悲惨な結末を迎えたのは周知の事実だ。
この戦いでは、所謂枢軸国が徹底的に破壊され連合軍が勝利したのだ。勝ち負けで言えば⁉︎
しかしクラウゼビッツだったか?の「戦争論」では、真の目的を果たした国が勝利者と言える、とある。
日本は徹底的に破壊し尽くされだけど、インド始め英仏蘭の植民地になっていた東南アジアは、
同じアジア人の日本が米欧と対等に戦った現実を目の当たりにして、戦後続々と独立を果たして行くのだ。
つまり、アジア解放を標榜していた日本がアジアから欧米を駆逐してしまった。結果的に日本の勝利と言えるらしい。
扨、近年LGBTQに象徴される様に、人類の多様性を尊重する社会を作らなければいけないと言われる時代だ。
岸田総理は、G7会合は「共有できる価値観」の確認であったり醸成する事と言っている。
味方の塊が出来れば、反対意見の塊が出来、夫々相手を非難し否定する。
ましてや、ロシア、ウクライナ戦争が第三次世界大戦や核兵器を使った大惨事世界大戦などに
拡がらなければ良いのだが!
多様性は何処に行った?
ブーム
昨日の勝毎電子版に帯広市内の中学生の修学旅行が始まった事が載っていた。
コロナが2類から5類に緩和され、マスク装着、密になるな、黙食など面倒臭いルールも
無くなり、「中坊」達は明るく出発、とある。
行き先もコロナ前に戻り始め、市内13の中学校の行き先一覧が載っていた。
13校全てが函館。10校がニセコリゾート。そして8校が北広島市に今季開業した日ハムのエスコンフィールドが
旅程に入っている。中には試合観戦迄予定している学校もある。
「エスコンブーム」到来と言っても良いか。
30年程前、広瀬牧場にも北見、網走方面の小学6年生の修学旅行が来るようになり、
ピーク時は6〜7校に上った。しかし或る年を境に一校も来なくなった。それから数年後
酪農教育ファームの研修会が湧別町で開かれた時の事だ。参加していた地元北見の先生から
「お久しぶりですね」と声を掛けてきた。以前修学旅行で子供達を引率してきていた先生だった。
「北見方面の修学旅行、いっぺんに来なくなったけど、広瀬牧場で何か落ち度有りましたか?」と聞いてみた。
先生曰く「落ち度なんて有りませんよ。ご心配なく」続けて「昨年旭山動物園がリニューアルオープンしたので、行程が旭川方面に変わってしまったんです」との事だった。
旭山動物園では、行動展示と言って、野性動物をより自然な状態で観察出来る様になったと、話題になっていた。
「そうか!納得」
2011年の東日本大地震が起きた時は、原発事故からの放射線被害(風評被害か)を避けた札幌市内の中学校数校が広瀬牧場に来るようになった。
しかしこれもコロナで相次いでキャンセル続きで、今年は札幌方面は一校も無くなった。
今は東海、関西方面の高校生の修学旅行が増加傾向!
そして今は、「キャリア教育ブーム」と言うか、教育旅行社などはムーブメントを起こそうとしている。
平成3年。酪農の実際を伝えたいとの思いから、搾乳見学施設を設けて酪農体験を始めた。
そして折も折、所謂体験型の修学旅行ブームが始まっていて、巧まずしてそこに乗っかってしまったのだが、
それは今でも続いている。
陽気に誘われて...
つい先頃までネコダンゴ。北風の当たらない所で日向ぼっこ
そして日長になるにつれ、卵胞刺激ホルモンも活発になってくる
漸く春ウララ。
そして1週間前の事。お腹の赤ちゃんもどんどん育つので、人間の食物残渣では不足気味。
なので、裏の畠に狩に行ってきた
えっ、「何処にいるのか?」って⁉︎
よく目を凝らして見て!
我々トラねこは、枯れ葉に紛れ込むから、標的の野ネズミからは見つかりにくいのだ!
自衛隊の迷彩服は我々の被毛を真似したのさ。
この被毛のトラ柄は何万年とかけて獲得した遺伝形質だ。
本来なら実用新案登録を侵害されているので、自衛隊はトラねこの生活を補償しなくてはいけない筈だが、
広瀬牧場には、初乳は5日に一度。一日置きには集乳後バルククーラーから出てくる残乳。そして魚のあらや残渣物も無償で腹一杯貰うなど
我々「家ネコ」としての生活は保障されているので、自衛隊への請求権は放棄しますが...
漸く我々の狩猟範囲も広くなった。
しかし、キタキツネ、トビや鷹など食物連鎖の上手も沢山いる。
油断大敵!
駐車場増設(整備)
ウエモンズハートの駐車場。
昨年4月、排水口の入れ直しに併せて砂利も取り替えた。
東側の堆肥舎兼乾乳舎の南側の通路も砂利を入れ替えただけで、ご自由に駐車して下さい
程度の通路にしてあった(実際は、下手なラインを引いて事故など発生した時、
責任問題になったら困るなぁと思いラインを引きあぐねていた。言い訳は兎も角、放置状態だった!)
何もしないでいる事は、責任も発生せず一番お気楽な状態にあぐらをかいていた。
そして、今回の大型連休では矢張り路駐が常に10台前後。
店とは反対側に駐車するため、道路を横断して店を往復したり、他の通行車両の邪魔になっていた。
そこで重い腰を上げて、石灰でラインをひいて9台分の駐車場を確保した。
昨日日曜日は連休よりやや少ない数の来客だったが、路駐は一台もなかった。
もっと早くラインを引けば良かった。
ご来店の皆様、今度から東側の通路もご利用下さい!