祈る
病院の待合室で、待ち疲れた老父
1日でもと夫の長生きを願う老母
「親孝行 したい時には 親は無し」か!
父親の一時危篤を経験してからは、老父母にもいつかは終命の時は来ると悟らされた。
我々子ども達も、長生きしてくれと祈るばかり。
じゅうななつ⁉︎
カーラジオから「...こくれんがきめた じゅうななつのもくひょうぁあるよね...」
「あぁ、えすでぃじーずのことね」と、聞こえた二人の言葉に違和感を感じた。
普通の日本人なら、耳から入った言葉は頭の中で自動的に漢字に変換されて、
「...国連が決めた17つ(⁈)の目標が有るよね...」
「あぁ、SDGsの事ね」となっている筈だ。
この中で「17つ(じゅうななつ)」と言う言葉が引っかかってしまった。
日本語では、ものの数を一(ひとつ)、二(ふたつ)、三(みっつ)、四(よっつ)、......と数えて行き、
十では、(とうお)となり、それ以降は、「つ」は付けない。
「つ」を付けない代わりに「個」とか「本」とか助数詞をつけるのが正解だろう。
十一はじゅうひとつ、十二はじゅうふたつ、そして十六はじゅうむっつ、十七はじゅうななつ?
変じゃありませんか?
その通り!
今日の業界紙三面の「のうとくQ&A」から
旧来から「地産地消」或いは「国産国消」と言われて久しいが、それは地域或いは自国で採れたものを
その地域、国で消費しようと言うもので、所謂「身土不二」と言う意味も含んでいる。
これに対して「国民が必要とし、消費する食料は、出来るだけ自国で生産する」と言う意味で、
食料自給の大切さを前面に出している。
2020年に食糧安全保障への危機感から、JA全中が提唱したのが「国消国産」だ。
このQ&Aでは、国民が必要とする食料を作り続けるには、その担い手である農業・農村を支えてもらい、
生産基盤を強化する事も重要になってくる。」
さて自分事だが、ずんずんと進んでいく生消の乖離に気付き、農業を守るには消費者と共に(共通理解)なければならないと思い始める。
30代半ばの頃だ。
そして農業者自ら「伝える」活動は農作業の一環と位置づけ、1991年(平成3年)から酪農教育ファーム活動を本格的に始めた。
その活動も34余年になるが、当初から消費者の国産食料に対する期待の大きさはヒシヒシと感じていた。
幸せの形
昔から先人達が「日常の当たり前が幸せなんだ!」と言うのをよく聞いていた。
最近とみにその事を感じる。
自分自身、還暦を迎える頃から体調の異変を感じ、入退院を繰り返すようになる。
そして青天の霹靂、62才の時には後5年との余命宣告を受けた。
しかしその3年後治験ながらもハートシート移植手術を受け日常生活をとり戻して頂いた。
今年に入って5月下旬には家内が階段で転倒した際の打撲により、ワーファリンの影響で
内出血が止まらず、貧血を起こしたり右足全体の鬱血が酷く歩行困難になり、病院の送迎や店の用事の代行で
蒔いたガボチャの手入れや庭の手入れもままならなかった。
そうこうしているうちに、96才の老父が肺炎で2度に渡り入院し、後半の入院時は非常に危険な状態で
家族の面会も勧められたくらいで、その後1週間と言うものはまんじりともしない日々だった。
家内も階段の転倒以来2ヶ月半になり、家事仕事や店長としての仕事も9割方回復。
老父も危篤の状態を脱し、3日には退院し日常を噛みしめている。
この2ヶ月半と言うもの家内と老父の病院通い優先の日々が続いたが、漸くひと段落。
幸せなんだなぁ、今!