待合室
今日は老父が3日に退院してから2回目の受診日だ。
採血、レントゲン検査を終え、待ち疲れている老父
医師の心配をよそに発熱も無く順調に推移して来たが、先週金曜日夕刻38.2℃の発熱があり、
いささか慌てた。
北斗病院の救急係に電話で問い合わせるも、発熱だけなら夜間救急病院を受診して下さいの
一点張り。当の老父はしっかりとした言葉で、「救急にまでは行かんでもいい!」と言い張るので、様子見にする。
その後熱は平熱近くまで下降気味だったので、予定通り今日の受診となった。
今日は23日。このブログは2日に跨いで書き始める。
さて、病院では採血、レントゲンの結果、また白血球の値が上がっていると言う事で
更に心電図とCTでの検査結果を総合して、今回は尿路感染症による発熱だった事が分かった。
そして担当の朝日先生は「入院は嫌だと言う廣瀬さんの意志は尊重するけれど、
酷くならない内に入院して菌をやっつけてしまう方が、後々楽だよ。」といわれ
素直に入院する事になり、そのまま病院に預けて帰ってきた。
色々な菌に過敏に反応する様子から、オヤジの体力も随分と落ちてきたのかもな...
あなたは「何」を信じますか?
利尿剤のせいで、夜中に2度はトイレに立つ。
しかし、昨夜は強い雨音で更に2度も睡眠が破られ、切れ切れの睡眠だった。
起床後ケータイの気象情報を確認すると、今日の降雨予想は100%。時間毎も毎時70~100%
となっている。
昨日の予報では、今日の降雨予想は無かった筈だが?
折角の日曜日、ウエモンズハートへのお客様の行動に、当に水を差す予報でガッカリ!
しかし今朝の道新一面を見ると
何と帯広は午前中は快晴で午後からは曇りで降水確率は30%。
「⁉️」
新聞に印刷された情報は昨夜遅い時間の「最新情報!」で、10時間程のタイムラグがあると言えば有るし、
現に今も降っている。
話しは大きくなるが、ロシアのウクライナ侵攻について。
日米欧など所謂西側陣営は弱いウクライナを強国ロシアが虐めていると言う図式で
ウクライナに物心両面で応援している。
しかし、このロシア、ウクライナについては冷戦が崩壊した1980年代まで遡って見ると、この戦争の原因は、大国ロシア(ソ連)を
無力化しようとして来た米欧に在ると言う識者もいる。
100年程前の東アジア情勢に似ている。
成り上がりの強国日本が、常にまとまりを欠き内輪揉めばかりしている弱々しい中国を西欧諸国がいじめ、殖民地にしようとしている。
そこで日本は可愛そうな中国を助けなくちゃ!と米欧露に挑戦を挑む。しかし敵もさる者。日本を悪者に仕立て上げ、中国に側面支援を続け、
遂には第二次世界大戦に至った事態に瓜二つではないか!
それぞれの国民は自国に都合の良い情報しか知らされず、厳正中立の判断は下せないものだ。
いつもの通り話しは迷走しているが、今も土砂降りの雨が降ったり止んだり。
要は様々な情報を駆使しないと、本当の事は見えてこない。
終戦の詔書(現代語訳)
私は、世界の情勢とわが国の現状とを十分に考え合わせ、非常の手立てをもって
この事態を収拾しようと思い、私の忠義で善良な国民に告げる。
私は政府に対し、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4か国に、四国共同宣言(ポ
ツダム宣言)を受諾することを通告させた。
そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とと
もに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、
私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリス
の二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存とアジアの安定を心から願
ったためであって、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするようなこと
は、もちろん私の意志とは異なる。しかしながら、この戦争が始まってすでに4年
がたった。陸海軍の将兵は勇戦奮闘し、多くの役人達も職務に励み、一億国民
も各職域に奉公してきた。それぞれが最善を尽くしてきたが、戦局は必ずしも好
転せず、世界の情勢もまた我々に不利である。そればかりでなく、敵は新たに残
虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで
広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を
招くだけではなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。そのよ
うな事態になれば、私はどうして我が子のような国民を保護し、歴代天皇のみた
まにお詫びできようか。これこそ、私が政府に対し、ポツダム宣言に応じるよう
にさせた理由である。
私は、わが国とともに終始アジアの解放に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を
表明しないわけにはいかない。わが国民のうちで戦死し、職場で殉職し、不幸な
運命で命を落とした人々やその遺族に思いをはせると、まことに悲しみに耐えな
い。また、戦争で傷を負い、戦禍に遭い、家業を失った人々の厚生を考えると深
く心が痛む。思うに、これから我が国が受ける苦難は尋常ではないだろう。わが
国民の心中も私はよくわかっている。しかし、時世ね移り変わりはやむを得ない
ところで、耐えがたいことを耐えて、忍び難いことも忍んで、未来の平和を実現
するために道を拓いていきたい。
私は今ここに、国体(天皇を中心とする秩序)を護持し得て、忠良な国民の真心
を信じ、常に国民とともにある。もし激情にかられて、みだりに問題をおこした
り、同胞が互いに相手をけなし、おとしいれたりして時局を混乱させ、そのため
に人間の行うべき大道を誤って世界から信義を失うようなことがあれば、それは
私が最も戒めたいことだ。全国民が家族のように仲良く分かち合い、長く子孫に
受け継ぎ、わが国が不滅であることを固く信じ、国の再建と繁栄への任務は重
く、その道のりは遠いことを心に刻み、持てる力の全てを未来の建設のために注
ごう。道義心を大切にし、志を強固にして、わが国の美点を発揮して、世界の進
歩に遅れないよう努力しなければならない。わが国民よ、私の意のあるところを
十分汲み取って身につけてほしい。
第6回廣瀬家地蔵盆
予ねてから延期されていた廣瀬家の地蔵盆盆を、16日正午から同朋寺住職を招いて挙行した。
例年7月24日に実施していたが、家族眷属の安寧を願って地蔵盆を発願した老父が肺炎で立て続けに2度入院したため
8月16日に延期していた。
家族の心配を他所に、日常生活に戻っているので、老父母揃ってお詣りする事ができた。
孫も参加してくれた。
玉音放送.昭和20年(78年前)
終戦の詔書
朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以て(もっ)テ時局
ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)二忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告グ
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其(そ)ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セ
シメタリ
抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)
二スルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措(お)カサル所曩(さき)
二米英ニ国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ
安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如(ごと)キハ固(も
と)ヨリ朕カ志ニアラス然(しか)ルニ交戦已(すで)二四歳(しさい)ヲ閲
(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ精励朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善
ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加
之(これにくわうるに)敵は新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(しきり)二無辜ヲ
殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラザルニ至ル而(しか)モ尚交戦ヲ継続セムカ
終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘ
シ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗
ノ神霊ニ謝セムヤ是(こ)レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル
所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得
ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者乃其ノ遺族ニ
想(おもい)ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙
(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル
所ナリ惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難は固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷
情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難
キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民
ト共に在リ若シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)二事端(じたん)ヲ滋(しげ)
クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ
失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宣(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ確(かた)ク神
州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ
篤クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコ
トヲ期スヘシ爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ