爺と孫
お歳暮は贈った。
賀状の準備は、未だ。
ウエモンズハートのクリスマスアイスケーキの注文、順調。
そして昨日の勝毎、19面
あちこちでも年末行事が始まって来たようだが...
よく見てみると、杵を持ち上げている白髪頭のジーさんは同級生のA君ではないか!
孫と仲良く大空地区の餅つき行事に参加している写真だ。
55年も経つと、イイジーさんだ
なんか変!
勝毎に連載で「子どもを分ける学校」ー特別支援教育はいまー、が載っている。
今日で21回目。
残念ながら、全ての回に目を通してはいないが、今日の内容は、
自閉症や知的障害のある子は「教員の負担が増える、授業が遅れる、意地悪や悪口、イジメにつながる」ので、
「本人のためにも特別支援学校に行かせるべき」と教育委員会は勧める。
自分は今、二つの小学校のCS(コミュニティスクール)運営委員を勤めさせて頂いていて、
年に数度、授業参観や学習発表会、学校の運営者側から提案の有った事柄に、意見を言わせていただいたりしている。
つい先日も一つの小学校では僅か5分づつ全てのクラスを参観させて頂いた。
当にこの新聞にある通り、各学年特別支援学級があり1~数名別立て授業を受けていた。
60余年前に西帯広の小学校、或いは中学校に通っていた頃の事を思い出すと、毎回この支援学級のあり方に違和感を感じている。
世の中には学びの遅速、色々な性格の人との付き合い方も学べる。
不良でも褒められると嬉しくなる。
当時授業では落ちこぼれだった人が、自動車ディーラーの下請け修理会社の社長になっていたり。
今世界では、多様性を認める社会作りが求められていると言うのに...
ベレンコ中尉
旧ソ連軍のベレンコ元中尉が亡くなった事が新聞に載っていた。
所謂東西冷戦時代、ソ連空軍の最新鋭機ミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸したと言うニュースが
テレビで放映されていた事を今でも鮮明に覚えている。
1970年、昭和で言うと45年でオレが勝農を卒業した年だ。
卒業式が終わり3月31日から早来町(現安平町)の竹田牧場で酪農の何たるかを実践、所謂実習に
励んでいた頃だ。
実習先で、食事時テレビから「函館空港にソ連の最新鋭戦闘機ミグ25が強硬着陸」
「操縦者はソビエト空軍のベレンコ中尉と名乗っていて、アメリカ亡命を望んでいる」
「防空識別網引っ掛からないよう低空飛行で、日本領海を飛んできた」
など、日本国内は大騒ぎだった事を覚えている。
医者が青くなる。
15日札医大受診で、定宿に泊まる。先月は満室で部屋が取れず2カ月振りだ。
小山先生の異動に合わせて札医大に通う様になり4年経つが、その間同じホテルの同じ階、同じ部屋と決めてくれている。
その為、チェックインして部屋に入ると我が家に戻った様なホッとした気持ちになれる。
ハツばあちゃんの言葉をかりると「あんらく、安楽」だ。しかし、この言葉には続きが有って
「寝るほど楽な事は無かりけり、浮世のバカは起きて働く」となる。
さて、翌15日検査の後小山先生の診察を受けるがほぼ問題無いとお墨付きを頂き、16日帰途に着くのだが、
ウエモンズハートで使う機会を探しに厨房機器屋さんに寄る
目的の機械は見つからなかった。
野幌から北広島に向かう途中、札幌乳業から小林牧場物語りと言う牛乳が出されている、
当にその小林牧場の敷地内にソフトクリームの工房兼店舗を見つけ立ち寄る
オープンして2年ほどの店内は広くて明るくきれいだ
工夫した商品が売られている
ミルク汁粉にミルクカボチャ汁粉
そしてドルチェピザ
ドルチェピザなる物、何ぞや⁈注文してみる
材料や形状はピザだが、チーズは使わず中央に甘いジェラートが乗っている。
なるほど、美味しい!グッドアイデアだ!
夜帰宅すると岐阜在住のまた従姉妹の順子から柿がとどいていた。
沢山いただいたので、腹一杯ご馳走になりこれからも毎月診ていただく小山先生に
心配を掛けないようにしたいものだ。