自画像
久しぶりの雪降りとなった帯広です(すぐ止みましたが)。
今年初めての雪の降っている光景を撮りたいと思い、外へ・・・・。どちらを向いても携帯では降っている雪を捉えられず、マイカーの後部座席のスモークを貼ったところに自分が写っているでは有りませんか。
そういえば自己紹介も無くなし崩し的に"ウエモンのよもやま話"を始めてしまいました。自己紹介を兼ねて車のウインドウに写った自画像を送ります(本当はもっと笑顔がステキ!と家内は言ってくれるんですが・・・・でもホント渋い顔)
ブラック ユーモア
先ほど店長に頼まれ、用事に出かけました(少しは役に立てるようになったかな?)その際ラジオからアナウンサーとリスナーとのやり取りが流れていました。
リスナーは小6の女の子!番組宛にクイズを送り採用されるとラジオに出演(勿論音声のみ・・)出来ると言うもののようです。「では出題です。さかなはフィッシュ、やさいはベジタブル、ではにくは何と言うでしょう?」「え~~、普通だとミートだよね。それじゃクイズにならないし。ふぅ~~む、なんだろう・・・・」
「答えは18です!」 「え~18?!!」 「ハイ、肉じゃなくて2×9です」 「なるほどこれはやられた~~!」なんて言うやり取りが聞こえて来ました。
そういえば私も酪農教育ファームの3~5年生くらいの体験受け入れの時、最初に「皆さんが牧場についてどれくらい知っているかクイズを出します!」というとそれまで私語が多かったクラスも「エ~、クイズ?」と言ってこちらの話に集中してくれます。「それでは一問目・・・。魚屋さんは何を売っているでしょうか?」。牧場の勉強に来たのにこのおじさん何の話?と、怪訝そうな顔つきで、でも何人かが恐る恐る手を挙げる・・・。そこですかさず「ハイ、そこの・・、君!ウン、そうそう君!どうぞ!」「あの~、さ・か・な?」と自身無げに答える子にすかさず「ハイ、正解!!すごいね!」とほめる。続けて「じゃあ二問目・・・。八百屋さんは何を売っているでしょうか?」先ほどの質問が余りにも簡単だったんで子供達は急に自身を持ったように一斉に「ハイ、ハイ、はい・・・・」の連発。一人を指名すると「ハイ、野菜です!!」そうそうスゴイね!!と褒めると宛てられなくて残念がる子供が続出。そこで「ハイ三問目・・・。いいかな・・、牛やさんって何を売っているかな?」。すると慌てん坊の子は必ずいるもので、今度こそ自分が指名されるように我先にと手を挙げる子が続出「え~っと、三列目の水入りのTシャツの君(例えば・・)どうぞ。「ハイ、牛です!!」となんの疑いも無く答えてくれる子が大半です。
皆が私の方に集中した頃を見計らって「今日皆さんは酪農の勉強に来ました。酪農家を昔は牛屋さんと呼んでいて牛から牛乳を搾り皆さんに提供する仕事です。ですから牛は売っていません(厳密にはやや違いますが・・・)。と、ここから酪農教育ファームのスタートです。
さて本題(前置きが長すぎると店長に指摘されました)です。先日ネットで見つけました。ブラックユーモアです!
むしゃくしゃ(むしゃむしゃ)してやった。
人なら誰でも(草なら何でも)よかった。
いまは反省(反芻)している。
何年か前無差別殺人で逮捕された犯人の供述を元に、内容を牛に置き換えたそうです。考えた人頭いい!!
でも、なんか、笑えね~~!!
酪農の一こま
我が家の酪農は父博昭(88歳)が昭和23年10月5日に、生後10ヶ月のホルスタインの若牛を導入した所から始まります。
一頭の子牛がはじめて我が家に来たと言う事で、父の弟妹も無邪気に可愛がり人にすごく慣れていて、道端の草を食べながら500mくらい離れていても
呼ぶと、尻尾をピンと跳ね上げてすっ飛んできたそうです(手を掛ければかける程、人に慣れるんですね・・今だと150頭の牛がいて長男夫婦で一日8~9時間牛舎仕事をしていますが、
8時間×60分=480分×2人=960分÷150頭=6,4分/1頭当たりの触れ合いでは、言う事を聞かない牛がいても不思議ではないですね・・)。
そして翌々年昭和25年8月17日に牛乳初出荷を果たし現在に至っています。
初出荷は家族みんなで牛乳を吞んで、輸送缶に入った3~4升の牛乳を
後輪の両サイドに荷物を付けられる頑丈な運搬専用の自転車を購入し、その自転車で大汗をかきながら雪印乳業に運んだのが始まりです。
そして冬には馬橇で毎日工場に搬入するそんな日々の連続だったそうです。
その日以来我が家では三食の食事後はお茶ではなく牛乳を吞むのが習慣です。
おかげで我が家は全員骨密度が高くたいていの事では骨折はしません(但し、子育てでは骨を折り、脛も瘦せ細ってしまいましたが・・・?)。
現在86歳になる母は、70歳代の時に骨密度を測ったら20歳代の骨だと判定されました。
又、ウエモンズハートの店長(家内)は母親が70歳代の時に骨粗しょう症に成り現在も寝たきりです。
それで家内も55歳頃、骨密度が150%を越えていて全く問題ないというか、普通に食事をしていても後30年は充分健康な骨を維持できます。と言う医者のお墨付きを頂いています。
写真は当時を再現したモニュメントですが(馬橇は勿論牛ではなく馬が引き、御者はパンダではなく人間ですが、誤解なきよう・・・)冬は馬橇、輸送缶の数が増えると夏は馬車で運ぶ、そんな時代でした。
冬ならいざ知らず、春耕の時期が始まると猫の手も借りたくなるほど忙しくなるのに、牛乳の出荷に午前の時間が取られて農作業も出来ないので父親(祖父の種治)は
「たいした金にもならないのにいい若い者が毎日毎日遊んで歩いて(牛乳の出荷の事)百性仕事も出来ない・・・・そんな道楽のような牛飼いなら止めてしまえ!」と堪忍袋の緒が切れてしまったそうです。
「牛飼いを辞めるくらいなら、この牛を連れて家を出てやる!!」
そんなやり取りから始まった酪農です。もう67年になります。
そんな父親の思いで始まった酪農ですが、広瀬牧場ではその牧場の魅力を最大限に発揮し平成3年(1991)からは酪農教育ファーム活動をはじめ
(年間2、500人~3、000人が体験に来ています)、さらには平成11年(1999)には自牧場の牛乳を使ってジェラートショップをオープンし現在は年間(3~12月の10ヶ月で85、000人の人々がジェラートを食べにご来店くださいます。
先日、年間20、000t牛乳を出荷した友人を紹介しました。しかし、私には規模拡大は無理でしたが、10年目に政府が制定した食育の推進や今の六次産業化の嚆矢として挑戦してこれたと言う事は、酪農ならではの事と思います。
若い頃は「親の意地っ張りが子に祟り・・・」なんて、牛飼いの長男に生まれたことを不遇なことと思っていた時期もありましたが・・・・
あれは昭和42年・・・・
降る雪や 昭和は遠く なりにけり
中村草田男の句をもじって見ました。
私が帯広農業高校の酪農科を受験してからもう50年近く前になります。その年は2月頃まで畑の黒い土が見えていました。
受験当日帯広農業高校前でバスを降り、目の前に校門はあるのに鬱蒼とした樹林に囲まれ本当にこの奥に校舎があるのか心配になったほどでした。
そして受験会場へ入ると学生服を着たあまたの成績優秀(後刻それほどでもない事に気付くのであるが・・)そうな中坊が指定された席に付いて神妙な顔つきでそのときを待っているでは有りませんか。
指定された席に着くと、隣に同じ学校から3人ほど受験に来ていたグループの一人(いがぐり頭で黒縁めがね)から「おれ達は上士幌中から来た。お前は?」と聞いてくるので{俺は二中」と答える。
「帯広市内か?でも一中、三中、四中・・・と言うのは聞いた事は有るけど二中なんて聞いた事もないしだいたいそんな中学校あったのか?」
「口の悪いヤツダな!と思いつつ、一中、三中が有って順番に行ったら二中が無い方が不思議だろ・・・(全く何言ってるんだ!)」奴とはそんな出会いから始まりました。
入学式当日には受験日にはお互いため口を聞いたもの同士、すっかり打ち解けてその日から仲良くなったものでした。
卒業後は道央のブリーダーと言われる牧場にそれぞれ実習に入り奴は1年半後にはアメリカウイスコンシン州のサニーサイド牧場というところで更に一年半牛飼いの技術を身に着け、意気揚々と自分の牧場に帰ってきました。
私はと言えば、同じ夢は叶わず、11月~3月までの5ヶ月間の集中講義を受け、4月~10月までは自分の牧場で実践・・これを3年過ごす事で短大卒の資格を取ったのでした。
そして出会ってから半世紀、奴は自分の牧場を年間出荷乳量20、000トンの北海道一に育て上げました。
次なる目標は30、000トンだそうです。つまり日本一の牧場になると言う事です。
奴ならきっとやるでしょう。楽しみです!!
斯く言う私だって食育である酪農教育ファームや農業の六次産業化の嚆矢として、とりあえず全国に名を轟かしているのですよ(かな???)
奴をはじめ友人、知人の活躍をニュースなどで見るとわが事の様に嬉しく、胸が踊るものですね!
昨日も書きましたが今年は目指せ入院0日!!、目指せ国内旅行!!です。
新年のご挨拶
平成28年(2016年)は好天に恵まれすがすがしく迎えることが出来、全てのもの、こと、森羅万象に感謝申し上げます。
27年12月大晦日、年越しには三男の嫁も合流し賑やかに一年を締めくくる事が出来ました。
そして新年。
今年もまたこのような素晴らしい賀状を頂きました。
二日(昨日)は恒例の広瀬家の新年会が総勢30名ほどの規模で開かれました。
三男の嫁と結婚式に出席できなかったいとこ達との初顔あわせも兼ね、自己紹介や質問攻めで大盛り上がり!
我が家では2月生まれの孫も初参加。
これだけ集まってもお酒を飲むのはほぼ皆無!でもおしゃべりな我3人の妹や家内をはじめ女性陣の声で終始盛り上がり基調!
恒例の新年会は夕方にはお開き・・・・以降は家に戻りそれぞれが本家となりそれぞれの家族で思い思いの正月を過ごしています。
そして今日三日。
朝一の飛行機で次男が横浜へ、夕方の便では三男の嫁が明日から仕事と言うことで三々五々帰省。
婿である三男は6日に帰省予定とまだまだのんびりしていますが、少しずつ日常が戻ってきます。
私の今年の目標は150日の入院とそれに伴う安静機期間で萎えてしまった足腰を徐々に鍛えなおし、普通に遊んで歩いたりウエモンズハートの手伝いが出来るように
成る事です。
そのため歩行訓練から始めようと計画しています。
問題はいつ始めるか?!