廣瀬家の始まり、始まりィ
平成30年(2018年)3月初旬、広瀬牧場は渡道100年を迎えます。そこでささやかながらも記念式典をやりたいものだと89歳の父が私に相談するじゃ有りませんか。祭り大好き男としては当然のことのように心構えはしておりました。その際「広瀬家、激動の一世紀」なる記念誌を出したいものだと言うじゃ有りませんか。これもまた我が家のルーツをライフワークとしてきた私に異存のあろうはずが有りません。そして父曰く「その記念誌はお前が作れ!」と。これまた二つ返事!迄は良かったんですが・・・、記念誌の企画、構成がなかなか難しい!
過去に積み上げてきた成果を一つ・・・
これは我が家では一番古い系図で江戸初期に書かれたものです。その始まりに・・
"廣瀬名ト申ハ 大和國廣瀬タツタ(龍田)ノ大明神ヨリ出"とあり、調べてみると龍田大社は風神、廣瀬大社は水神を祭ってある所謂官幣大社であり、現在も氏子が集まり様々な行事が行われているようです。つまり我が家の苗字"廣瀬"はこの廣瀬大社が由来のようです。
そこで私行って来ました。平成9年のことです。
これが第一の鳥居です。少しアップしてみると官幣大社廣瀬神社とあります。
晩秋の雨の降る日でした。近畿生乳販連の栗本雅裕部長に案内してもらいました。
彼は近隣で生まれ育ったとのこと。この廣瀬大社は古くからの氏子が集まっており、新しく移って来た人は入れないそうです。古くからと言うのはどれくらいかというと、室町時代からの氏子が中心だそうです。こりゃまた古い・・・「ビックリこいた」
廣瀬神社の縁起(左)と境内に祀られている日露戦争の戦利品(右)!!
こんな所に廣瀬家のルーツがあるんだとさ。
エキゾチック美人!
昨日(16日)午後4時半から一時間半に亘って、TVの収録が広瀬牧場とウエモンズハートで行われました。
BS12CH で毎週放映されているサヘル ローズの"いちおし日本"の収録でした。この番組は日本の素晴らしい場所、文化、歴史などを日本国内はもとより世界中にインフォーメーションしようと言うコンセプトで作製されているようです。今回は日本の食糧基地で有りながらしかも安心安全ばかりでなくおいしい食糧の宝庫とも言われる十勝に焦点を当てたようです。
まずウエモンズハートの店内で牛乳を、次いでミルクのジェラート(彼女は抹茶とかパイナップルを所望のようでしたが、ディレクターから駄目出しがあり)を食べていただきました。その後おいしい牛乳を出してもらうために牛を飼う上での気をつけているところや、何故この十勝で酪農が盛んになったのか等色々な質問がありました。
その後実際にミルキングパーラーに行き、手搾りで搾乳体験もしてもらいました。やはり牛の乳房の温かさに感動していただき、搾ってみた時の手触りもグミみたい(初めて聞く表現でした)と言っていました。乳房の感触に感動しながら色々な質問を受けている最中の強烈な滝のような"おしっこのしぶき"にも動ずることなく「なかなか合えない場面に遭遇できてラッキー!」だって。我々にも同一目線で話していただき、且つ人間も出来ているようです。ますます応援したくなる人です。
上の写真は、ミルキングパーラー二階の見学室から写した映像で、画面左下に写っている左手が私でございます(本人が言っているので間違いはございません)。
サインも喜んで書いてくれて、最後に記念写真。
「はいポーズ・・・!」
サヘル頑張れ!!!
便利
現在、ソフトクリームミックス100kgを毎日東京に送っています。天候の具合などで送れない日が出てくる可能性があり、毎日と言うのは相当プレッシャーに感じるものです。
そこでヤマト運輸では拠点拠点でストックヤードが設けられており、そこから毎日決まった量を配送してくれるんですね。
でも心配な時は次のフォームで検索すると・・・
ネットで伝票番号を記入して検索すると"配送中"とか"済み"などと状況報告がリアルタイムにアップされているんです。
いかなる理由があろうとも、配送先に欠品をするわけにはいきません。安心システムが出来上がっているんですね!
自由って?
今日は一転して寒い一日です。多分20℃になっていないでしょう。
今朝道新の第一面に"天皇陛下「生前退位」"と言う大きな見出しが出されていました。
82歳周囲に意向。サブタイトルに皇室典範の改正必要と有ります。
2面、3面にも大きな見出しで関連記事が載っています。それほど関心の高いニュースです。報道される天皇陛下の動向を見るにつけ、82歳には大変きつい公務の状況の様に思っていました。
皇室典範改正には有識者を交えて論議を深めて行きたいと、宮内庁のコメントが載っていましたが、歴史を重んじて判断してほしいものです。江戸以前には天皇の生前退位は普通に有ったそうですが、退位した天皇が院政を敷く危険性もあるとか、無理やり退位させられることもありうるとか・・・
比べるのもおこがましい話ですが、サラリーマンには定年制が有ります。そして私達のような百姓にも経営移譲という考え方があり、私自身65歳になる来年、息子に経営移譲しようと考えている所です。が、80を過ぎても会社社長さんも居りますが、何歳で経営移譲しようと自由です。そういった意味では、天皇陛下はじめ皇族方は法律の括りの中で存在が認められているので、その範囲内での自由しか認められないんですね。何か非人間的というか個人の尊厳と言ったものも無し・・・
わが身の振り方が自由にならない天皇陛下はじめ皇族方も辛そうですね!同情いたします。
明治41年8月26日生まれ
朝から、訃報です。
10日午前、廣瀬スエという人が亡くなった。
十勝毎日新聞では100歳以上は写真入で紹介されています。では北海道新聞では・・・
何れもお悔やみ欄に掲載されていたものですが、どっちの年齢がホント?
スエさんの誕生日は明治41年8月26日と言うことで、満年齢ではまだ誕生日前なので107歳。数え年では109歳と言うことです。お寺の過去帳や位牌は全て数え年で表記されているので、109歳というのが妥当ですね。つい一年前に父が遊びに行った時は耳は近いし勿論呆けてもいない。正座もし、立ったり座ったりも殆ど支障がなかったようです。大方の予想では110歳(満年齢で)も迎えられると思っていました。それにしても本当に幸せに長生きしたものです。
このスエさんという人は我が家の親戚なのです。私の祖父と従兄弟の重太郎と言う人(今から98年前、祖父と共に岐阜から移住して来ました。)の奥さんで、特に我が家とは親交の有る家なのです。私も子供の頃から祖父に連れられて良く遊びに行っていたので、年には不足は無いでしょうが、でも残念です。
今は孫の孝恭君が家長と成り、一生懸命農業に励んでいます。