南北戦争
今日の業界紙7面。
「よつ葉乳業 東京・大阪に直営店 家庭用強化、認知向上へ」とある。
平成4〜5年頃だから今から30年以上も前の話だ。
当時四葉乳業の営業職員の新田さんから「ちゅうぶよつばかいの方々の人達が北海道に来るので、
牧場見学させていただけませんか」と問い合わせが有った。
「ちゅうぶ?四つ葉会、何それ?」と訝しがるオレに新田さんは
「ちゅうぶとは愛知を中心とする三重、静岡、岐阜方面の中部で、四つ葉会と言うのは北海道四つ葉乳業の乳製品を
愛好してくれている人達の集まりなんです。」
「はあ、それで何を見学して貰ったら良いの?」と聞くと新田さんは
「北海道の様な低コストで搾られた牛乳が都府県に流れ込んできたら、内地の酪農家は競争力が無くひとたまりもなく席巻されてしまうので
紳士協定を結んで、飲用牛乳は都府県では販売しないと言う取り決めが有るんです」
「しかしそうは言っても、北海道の美味しい牛乳は飲んで貰いたいので、各地に10~20名程度の四つ葉を愛する有志の会を作ってもらい、
通販の様な形で週一で代表宅に牛乳を送っているんです。」
「そこで、イメージだけでは無く北海道の牧場を訪ねて、実際の搾乳の様子を見て貰いたいものですから、
是非ご協力お願いします。」と言うではありませんか。
「これは是非も有りません。私も搾乳風景を眺めて貰いながら、ショーケースに並んでいる牛乳が
どの様な酪農家と乳牛の苦労が有るのか知ってほしくて、見学できるミルキングパーラーを
建てたので是非も有りません。」
「しかし、四つ葉会と言うのは、御禁制破りの隠れキリシタンの様な物なんですね。」と
ワクワクした覚えが有る。
その後間もなくホクレン丸が就航し(平成5年1993年)、釧路、大洗間を毎日牛乳をピストン輸送をする様になった。
相前後して、賞味期限などの概念が導入されると牛乳の生産地パック或いは消費地パックなんて言葉が出てきた。
北軍(北海道酪農)が南軍(都府県の酪農家)を席巻してしまい、津軽海峡を挟んでの「牛乳の南北戦争」なんて言葉、
酪農業界の中でも死語になって来ている。
97才
昨日1月29日。誕生日の朝を迎えた父
生まれたのは、昭和2年1月29日。西暦で言うと1927年なので満97才を迎えたのだ。
写真のようにメガネ無しで新聞も読めるし、聴力も全く問題ない。
驚異的な、否スーパー爺ーちゃんだ!
もう一つ驚異的なのは、父にとって今年の誕生日は免許証の更新年でもあった。
更新の必須要件の認知検査は昨年末12日19日に合格。年が明け1月5日は運転試験と視力検査ともに合格して
無事免許証の更新を果たした。
免許もゴールドだし。
そんな事で、夜は妹夫婦にも集まってもらい総計16人でオヤジの誕生会を開いた。
メインディッシュは酢飯は好きだが、食が細くなってご飯は少ししか食べられず。
しかし寿司ネタは色々食べたいを満たすと言う事で、手巻き寿司にした。
午後9過ぎ、名残り惜しくもお開きとなり、プレゼントの贈呈、記念撮影。
そう言えば、免許を更新して来た日オヤジ曰く「次回の更新は100才だ!」だって。
既に3年後を見据えている!
昨日の事
ウエモンズハートは現在2ヶ月間の冬休みを頂いております。
そんな中、昨日の午後の事。
店長が他所での用事を済ませ、休み中の日課としている店のメールやFAXの点検に事務所に戻った時の事。
店のドアをドンドン、ドンドンと叩く音がして、カギを開けると、50代と思しき女性が
申し訳無さそうに、「お休みなのに、店の前に車が停めて有るのを見て声をかけさせていただきました。」
と話して来た。
店の中に招じ入れると続けて「80代後半の母が癌で入院していて、余り状態が良く無く、
食事も固形物は禁止されているんです。そんな中母は、大好きで良く通っていたウエモンズハートのアイスが食べたいと
言うので、担当医に聞くとアイスなら口の中で溶けるので嚥下には問題ありません。大丈夫ですよ、って言っていただきました。
それで分けて頂ければと思って。」
店長が「それはそれは。私どもは店にいる限り対応させて頂きます。どうぞ」と促すと
勝手知ったる足取りでウエモンズハートのショーケースのまえに進み、早速カップアイスの品定めをはじめた。
その女性は母親に電話を繋ぎ、ショーケースの中在庫の品を伝えると、余程甘い物に遠ざかっていたと見えて、
合計で35個程買って行かれた。
過去にも、似たようなケースでお買い上げ頂いたり発送して頂く事も、しばしばある。
ウエモンズハートでは冬季休業中でも対応させて頂いておりますが、1〜2時間くらいしか
事務所におりませんので、メールやFAXでもご連絡頂ければ翌日あるいは翌々日ぐらいには
対応させて頂きます。
因みにウエモンズハートのショーケースのコーナーには銀の匙のジャージや記念タオルなどが飾ってあります。
そのコーナーの右壁には、広瀬牧場での撮影風景(2013年夏撮影。翌14年3月封切り)の写真も飾ってあります。
広瀬牧場での撮影場面は、夏休みに八軒君が御影アキ(広瀬アリス)の家に手伝いに行く所から始まる。
アキの父親(竹内力)がギックリ腰で仕事が出来ないため、八軒(中島健人)が手伝いに行く。
御影牧場ではおじいちゃん(石橋蓮司)と八軒が朝夕の搾乳を担当。
夕方搾乳が始まった頃、アキ(広瀬アリス)が食事時に飲む牛乳をバルククーラーから取ろうと
処理室のドアを開けるとそこには、栓を閉め忘れたバルククーラーから牛乳が勢いよくごぼれていて、
それを見たアキ(広瀬アリス)の叫び声で、おじいちゃん(石橋蓮司)があわてて栓を締める
と言った風景の撮影だった。
そして2022年6月帯広でのCM撮絵の合間にも、店に遊びに来てくれた。
(残念ながら、当日のプライベートな写真は掲載できませんが、ウエモンズハートにご来店の節には
私が在宅の際には...)
翔平の成れの果て
先日所用が有って、帯農酪農科の同級生W君の家を訪ねた。
帯同した大垣市の知人に、W君の紹介をした。
「W君は当時長崎国体の馬術部門に出場した経験があるんだ。こう見えても大した男なんだ!
その活躍があった後、当時の高ニコースと言う全国紙の表紙を飾ったんだ。」
すると本人が口を開き「実は、たまたま昨日その高二コース手に取って見ていたんだ。すぐ出せるけど
見てみるか?」と言うではないか!(たまたま昨日では無く毎日手に取って、過去の栄光にしがみついてるのでは⁉︎)
なる程立ち上がって隣りの部屋に入ったと思う間も無く例の高二コースをてに戻ってきた。
馬を引いているのがW君だ。
もう少しアップして見よう。
この雑誌の発行年を見てみると昭和44年となっている。
我々は17才高三の時だ。若い筈だ、もう55年前の写真だもの。
扨、皆さんどうでしょう。
よく見てみると、何やら今の時の人「大谷翔平」に似ているではないか⁉︎
その話しをすと、同席していた彼の息子がまじまじと父親の顔をみながら、
「大谷翔平の成れの果てがこの顔か!」だって。
半世紀以上、風雪に耐えた顔だ!
氷花
今朝はガスのかかった夜明けを迎えた。近くのアカダモは枝の先まで氷花でビッシリ。遠くのヤチタモの木は靄って見える。
全ての木々や枯草などにもビッシリだ。
庭のオンコ
石楠花
エゾムラサキつつじ
チョウセンゴヨウ
辛夷
枯れススキ
セイタカアワダチソウ
アカザ
カシワの枯葉(まるでコウモリがぶら下がっているよう)
皆んなみんな氷の花を咲かせていた。
我がふるさと自慢の景色。
午前7時の朝食前。
60余年前、まつ毛やマフラーにも氷の花を咲かせながら、寒さを堪えて西帯広の小学校に一里の道を通った事を思い出し
往時と変わらぬ風景に、しばし見入ってしまった。