うつわ
これ、オリジナルの焼き物です。
友人の奥さんは多趣味な方で料理、洋裁、焼き物と絵付け、ピアノ、バイオリン、等々。その奥さんが広瀬家にプレゼントということで焼いてくれました。
これは浅めの小鉢で、我が家にぴったりの牛柄。"銀の匙"の絵を髣髴とさせる可愛いデザインで、大のお気に入りになりました。
少し斜めから見てみました。
今は私のご飯茶碗として使用しています。メシがうまい!!
寝ていれば・・・
2歳一ヶ月の孫。4月からは保育園へ。
一日中、家の探検。"ピン、ポーン"来客があれば接客。「いらっしゃいませ、ドウジョ~」大ばあちゃんに「おちゃ、オチャ」とお茶の指示!食事の際、「頂きます」と言えば「どうじょ~」。「ご馳走様」と言えば「美味しかった?」。おならをすれば「じいちゃん、プッてった!」と御注進。そのくせ次から次へと心の赴くままおもちゃを何処でもポイ、ポイ。散らかる、散らかる。誰に似たんだかね?!
疲れてバタン、キュー。年寄りも、ホット一息!!
寝姿は天使だねぇ!
LONG LONG AGO
昔、昔のその昔!今から半世紀も前のことじゃった。
正確には47年前、わしが花も恥らう?18歳の時のことじゃ。
牛屋に生まれたわしは、跡継ぎとして同じ牛屋でも親父とは違う酪農は無いものかと、早来町(現、安平町)の竹田牧場と言うブリーダーの所に一年間実習に行ったのじゃ。その牧場は三兄弟が経営。長男幸夫、次男勤、三男克己であった。
それから半世紀(あっという間じゃなあ!)。幸夫さん、克己さんの二人はすでに帰らぬ人。残る勤さんも82歳の立派なご老人じゃ。風の噂で昨年二度脳梗塞を起し、自動車の運転免許証も強制的に返納させられ、意気消沈らしい。わしは心配になって家内と二人で21日に車を飛ばして千歳の牧場まで見舞いに行ってきた。
ひょっとしたら今回が最後かと思い、訪ねてみると意外に元気は良かった。ホット一安心だった。
わしも写真写りを見てみると意外と元気そう・・・・
朋美スマイル
もう三週間ほど前の話なので、ニュースではなく旧聞に入るかな?!
冬期アジア大会のスケート大会が帯広で開催されましたが、その直後、帯広で伸長著しい女子中学生に飛び入り授業を行うために岡崎朋美選手がやってきました。彼女の実家は清里?の酪農家だそうで、牛と一緒に育ったそうです。スケートの特別授業の前の空き時間を利用して、明治オーバルスケート場の目と鼻の先にある牧場を訪問し、哺乳体験や搾りたての牛乳で往時を思い出してもらうと言う放送局の企画で、我牧場に来てくれました。ニックネームの通り笑顔の素敵な女性でした。
幼少の頃の思い出話が尽きません。
牛屋の娘と言うことで、牛舎の中でも平気で牛乳を飲んでいただきました。
十勝も雪解けが進み、人々が動き始めています。今年も飛び入り取材が入ってくることでしょう。体験もです。楽しみです。
剣山
大正7年3月、廣瀬家、開拓の第一歩。
芽室町報国。
開拓の始まりは108年前なので、明治42年(1909)の事です。
写真は99年前に入植した場所から眺めた日高連邦の剣山。
こうして改めて見てみると風光明媚ですが、失意の内に新天地を求めて北海道、十勝に入植した我先祖達はどんな思いで鍬を下ろしたのでしょうか?