結婚式?ホリデー?
23日、三重県四日市で甥の結婚式が有り、家内と二人出席させてもらいました。
22日、出発の朝の帯広は雪でしたが、名古屋、四日市はやはり暖かかった。けれど薄手のジャンパーは必要でした。
23日の四日市は朝から晴天で、午前11時から新郎糸山久尊(甥)、新婦渡部愛の結婚式が始まりました。披露宴共々久尊は終始デレデレの様子で初々しく好感の持てる結婚式でした。40年前、約3年ほどの熱烈な恋愛の後結婚をした自分達の時を彷彿とさせるものでした?!
午後3時過ぎに披露宴もお開き。慌てて礼服を脱ぎ捨て二人手に手をとって下呂温泉へ向かったのでした。新婚旅行と勘違いしている訳ではありません。久々の温泉旅行にワクワクしていたのです。
JR飛騨線内で人身事故があり出発、到着とも一時間遅れ。りょかんにチェックインしたのは午後9時ごろ。早疲れ気味。
翌朝外観を良く見てみると、重厚な年代を感じる温泉"湯之島館"です。
この後の珍道中は又明日・・・・
空白の2日間
18日朝から季節はずれの雪
あちらこちらの畑では、冬眠から覚めたトラクターがあちこちで唸りを上げ始めていました。そんな好天続きの中友人の石川が息を引き取った。
迷信では無いのですが、葬儀日程も決まり通夜を迎える朝は早朝から雪となり夕方までには17~18㎝ほど積もる大荒れの天候となりました。
19日葬儀。
祭壇の後ろに元気な石川が隠れているのでは、と思わせる写真でした。
短大と農高時代のクラスメートから花も上がっていました。農高からの列席者は石山、市之川、小椋、菅原(幸)、高橋、谷、内藤、廣瀬(オレ)、久松、細木、渡部の11名。酪農家第一期生は40名。その内物故者は佐々木、佐藤(精)、菅原(順)、多胡、山中、渡辺。行方不明者&連絡不能、遠藤、太田、大坪、加藤、坂本、陶久、谷友。入院、青田。体調不良、佐藤(昌)、森(敏)、早坂。旅行、矢部。雪のため出席不能者は秋山、阿部、上原、川端、美馬、他です。遠方、森、高梨、浅野、他数名。
葬儀の後、繰上げ法要までの3時間、昼飯を食べながらの近況報告会。いい時間を石川は身を挺して提供してくれた。
そして20日(今朝)
雪は残っていますが、兎も角いい天気。日高山脈には少し雲がかかっていますが剣山、芽室岳はくっきり。
ウエモンズハートの庭には
コブシの花が開き始めています。
諸行無常か!
もののあわれ
全ての生きとし生ける全ての人の行く末は"死"である。例外など有ろう筈はない。我や先、他人や先。
とはいえ身近な人が亡くなるとそんなさめた気持ちにはなれない。
昨日、危篤との連絡があり見舞いに言ってきた友人〇〇(石川和男)が今朝7時頃息を引き取った。
昨日書き込みをした通り3年ほど同じ病院の飯を食べた仲なので、お互いの病状は気になっていてエール交換をしていたけれど、残念な結果です。
人の死もこの小学校の"碑"のように埋もれ陰になり人々の記憶から消え去って行くものだ。
ご冥福を祈ります!
呼び出し音
今朝8時頃友人から携帯に電話があった。
番号表示で友人と分かり、出てみると・・あれ?聞き慣れない女性の声。
「廣瀬さんですか?〇〇の娘です。父の携帯に広瀬さんの番号が入っていたので電話させて頂きました。」
何か胸騒ぎがよぎり「はい、そうです。何か?」
「父の容態が急変して、3日ほど前からモルヒネも投与され意識の無い時間が多くなり、後は時間の問題です、と言われました!」
10日に私自身の循環器科の診察があり、その結果のメールを〇〇君に送っていました。その返事は翌11日にあり「8,9日と自宅に帰ったけれど、情けないことにヘロヘロになっちゃってさ。でも病院に戻ると、採血したり検査したりして適切な処置をしてくれるので少しは体も楽に成ってきているよ!」との事だった。
そして、今朝の娘さんからの電話。「父は自分のことはさることながら、廣瀬さんの容態もいつも心配していました。そして廣瀬さんが足を運んでくれるといつも喜んでいました。そんな事でとりあえず息のあるうちにお電話させていただきました。」と言うではありませんか。私は「直ぐお邪魔します!」と言って病院へ直行。
病室に入ると、〇〇君の兄弟や子供達10人くらいが病室に詰めていた。
「オイ〇〇、聞こえるか?大丈夫か?」と声をかけるも反応は無し。「オレは広瀬だぞ!」と言うと、目をパチパチと開けるしぐさをしただけで無反応。家族に事情を聞くと痛み止めのモルヒネを投与し始めたので意識の混濁が始まったようだ。
〇〇とは高校時代からの友人で、大学時代には農家の後継者としての夢などを夜遅くまで議論したもんだ。
彼は自分の農場を孤児とか障害者とともに働けるようにする、今で言えば"セラピー農場"のような夢を持っていた。しかし分家の2代目として農業経営を確立することを最優先に、必死に働いてきた。自分はと言うと受け継ぐ農場を父のくび木から離れ、自分の思い通りに経営することが最優先の後継者だった。そしてお互いに還暦を迎える頃には〇〇は自立した無借金経営を確立し、自分はというと酪農教育ファーム活動や都市生活者のセラピーの目的の活動を確立し全国組織(地域交流牧場全国連絡会)を立ち上げ19年目を迎えている。
そんな二人でしたが、還暦を迎えた頃から体調を崩し〇〇は肺癌、自分は拡張型心筋症で入退院を繰り返し、3年ほど同じ病院の食事を食べた戦友とでも言える中になっていた。勿論高校と大学時代は同じ寮で所謂同じ釜の飯も4年ほど食べた。
そんな友人が危篤!
携帯の着信が怖い!!
いざよい
十五夜の翌日は十六夜と書いていざよいと読みます。
4月12日午後7時15分頃、ウエモンズハートの一日の〆と翌日の準備が終わり外へ出てみると、何と大きく真っ赤な満月が昇り始めていました。
ウエモンズハートから見える月は、明治オーバルスケート場の上辺りで、駐車場の水溜りに写った月も一緒に写してみました。
携帯で拡大して写したものなので、隕石なのか宇宙船なのか分かりにくい写真ですが、それは見事な月の出でした。
東京や横浜に住む息子など街中に住む人たちは建物の影に隠れて、こんな感動的な日の出や月の出は見られないだろうな。
そういえば2年前、いや3年ほど前だったか(調べてみると2014年3月でした)家内と京丹後市の間人(たいざ)温泉の炭平という宿に泊まったときも日本海から昇る満月に感動したっけ!思い出すな~!みなさん、お奨めですよ!
そして今度4月23日に三重県の四日市で結婚式が予定されていて、その後下呂温泉に三泊の予定をしています。今度は山あいだけど楽しみ!帰ってきたら報告します。
思い出話や予告はさて置き、月の出が見られる田舎暮らしの心の豊かさを感じます。
因みに、家に戻って確認するとこの日の月は満月の翌日、十六夜(いざよい)でした。