レタス
先日北広島の友人から、レタスひと箱が届いた。12玉入りだ。
レタス専業農家で、JAに出荷している荷姿そのままで届いたのでビックリ。凄くパリッ、パリで美味しかった。
勿論、生のままのサラダに目玉焼きと言った定番は、朝2日続けて。
湯がいてごまドレであえてこれもサラダ。
レタスとモヤシ、にんじんの細切りを塩コショウで炒め更にオイスターソースで味付けしたものをあんかけにしてまた一品。そのおかずのお代わりは中華あんかけ風にご飯の上に乗せて・・・。もうたまらん。
今日はお袋が、漬物にしてみるとか。楽しみだ!
自分の希望としては、レタスのしゃぶしゃぶだ。ポンシャブのたれで頂いたら・・・と想像するだけでお腹はいっぱい!?には成らないけど!
とみに野菜嫌いの90才になる父は、やっぱり肉のだしも出ないと味気ないだろう!豚シャブの肉がいいな!!!と、肉を多目にと言ったけん制!脂身の多い肉が苦手な息子はラムがいいな。肉嫌いな家内は、アラ私はレタスだけで結構よ!母は、じいちゃんは肉しか食べないからダメだ!肉食女子の嫁はニヤニヤして聞き耳を立てている。ここで会話に加わっていないのは孫と私だ。その私がシャブシャブの提案者なのだ!
レタスひと箱で斯くも盛り上がるもんだ。
レタスを送ってくれた友人は北広島でレタス農家を営んでいる山田慎二、アキ夫妻だ。
ひと箱いくらかな?月に2度くらい送ってもらおうか!なあ、母ちゃん!
母のつぶやき
「 今日は18日か?」と母!
更に「と言うことは、父の日か!」
そして、「うちには父が三人居るしなァ」とのたまう。
三世代同居の幸せを噛みしめているのか?
90才、65才、38才の三人の父に合うお祝いの夕食は
何がいいんだろう?!と迷っているのか!
87才の早朝のつぶやきだった。
その三人の父のうち一番の稼ぎ頭は、90才の父だろう!今日はひまわりの畝の間の除草機入れだ!毎日精が出る!!
我が家
昨日、漸く生還した(大仰か⁉︎)!
畑の牧草もミドリミドリしていて、スンゴク美味しそうだ。とはいえ俺は喰った事は無い。牛の気持ちだ!!
牛舎に向かうゲートのカシワも5/8には冬の装いそのままだったものが、今は勢いがすごい!
風邪で40℃の熱を出していたらしい孫が、俺の顔を見て嬉しそう?に「あー!じーちゃんだ!お帰り‼︎」の第一声。
忘れられていたらどうしようと、内心ピクピクしていたけれど、孫の歓迎の声は一等嬉しく、何物にも代え難い。
朝も早くから、ばーちゃんと何か書き物に夢中⁈
日常とは偈にも嬉しき物か!
沖縄
昭和48年3月の事だ(半世紀前か!年も取ったもんだ。)。友人と二人で初めて沖縄に行った事を今朝のニッケイを読んで思い出した。
キャプションには「ケービン」沖縄戦の記憶。そして「廃線がつなぐ」と有り思考が繋がる。
ケービン...?廃線...?。と言うことは...ケービンは軽便の事か!
俺だって伊達に年は食ってない!無駄飯は食ったけど⁈
JRの前身は国鉄だ。我が北海道の開拓が進み、各地への物流の必要から明治40年代には我がふるさと帯広にも国鉄が開通した。その大動脈のおちこちから私鉄の軽便鉄道が張り巡らされていて、それを軽便、ケービンと呼んでいた事に気付いたのだ!
NHKのドキュメンタリーで沖縄にも鉄道が敷設されていたけれど、昭和20年6月の沖縄戦で破壊され、鉄道の無い県になってしまった。
豆知識の披歴は置いといて、話しを昭和48年3月にもどす。
その年の4月から我が家の酪農後継者として家に戻る予定だ。酪農は365日牛に縛られ休みの無い仕事だ。
或る種、自由気儘なこの世から全く自由の無い酪農と言う地獄に鉄鎖で繋がれてしまうような悲愴感か有り、この世の見納めとばかりに前年の昭和47年5月に返還されたばかりの沖縄に、一足飛びに行ったのだ⁉︎(今思えばガキだ!でもその時は大真面目‼︎)
千歳から伊丹、そして那覇へと初フライト。
暑いと思ったら3月なのに20度もある。
何の知識も計画も無く行った沖縄。とりあえず那覇の中心街へとバスに乗る。
バス停で待っていると反対方向からバスが来た。そして開いた乗降口がバスの右側⁇那覇行きに間違い無いと言うので乗車。走り出して気付いた。右側通行だ!なんかアメリカっぽいと思った。ウキウキ、ルンルンである。
「あのー運転手さん。このバス、那覇の駅に行きます?」
「駅⁈駅なんて無いよ!」
駅がないなんてどう言う事だ?からかわれているのか⁈少しムッとしながら、「それじゃ旅行案内の有りそうな繁華街で降ろして下さい。」
こんな始まりの無知の旅!その後は推して知るべし⁉︎
今思えば、駅の無い町はヘソが無いようなものだ。
沖縄戦は那覇の町からヘソを奪ったままだ!
新聞を読んで、思い出し、想った。
ピロリン酸カルシウム
大学病院に入院していると、医療知識が増える。(人生我儘放題。そのしわ寄せが色々な形で表面化して来ているだけ...か⁉︎)
筋芽細胞採取後二日目辺りから右手指4本がこわばり、握る動作をすると痛く、箸も使えないくらいだった。2日ほどすると症状は治まったか⁉︎と思いきや今度は手首が痛い!明らかに左手とは違うな⁈と言った位だが、関節部が赤く腫れているし熱っぽい。
今迄に味わったことの無い痛さだ。
看護師に愁訴すると整形の若い医者が見にきてくれた。先週木曜日の事だ。腕を突いたりと言ったりした原因が無ければ、何らかの病気と思われるので、翌日整形を受診する様指示がありました。
当日金曜日には枠が無いと言う事で、今日午前診てもらった。
僅かに違和感はあるものの、正直痛みは収まり手首をひねっても痛く無い。
受診を躊躇している私に、入院している間に何か気になる事が有ったら診て貰ったら!と看護師に促がされた。
右手首の レントゲン写真を見て貰うと、関節に白く沈着した物が確かに見える。
「僞痛風」と言う事らしい。
えっ?「ぎつうふう?」と聞き返してしまった。「今まで尿酸値が高いと言われた事は無いし...」初めて聞く病名だ。
原因はピロリン酸カルシウムの沈着で痛みが出るようだ。(ピロリン酸?ピロリ菌の親戚⁈分からん!)
「カルシウムの沈着?」と聞くと牛乳の飲み過ぎ⁈と思いがちですが、そんな事ではない様なので安心して「ガブガブ」お呑み下さい。骨粗鬆症のほうが格段に怖いですから!