家康が悪い!
途中1カ月自宅待機の時間は有ったが、早いもので、5/8阪大に入院し、3カ月が過ぎた。
初めから心臓血管外科では無く、治験を受ける人間として相応しい状態かどうか検査の為に、10Fの循環器内科に入った。
そして驚いた⁈患者や看護婦をはしめ、先生方までも皆大阪弁(関西弁)だ!しかも声がでかい‼︎患者が療養に努めている病棟とは思えないくらいだった。
「儲かりまっか〜」
「ボチボチでんな。」なんて言う会話は無いけれど、兎も角臆面も無く関西弁が溢れている。
そんな中、今朝のリハビリ室で前に進まないない自転車で隣り合わせた61才男性と親しく会話を交わした。
どんな会話か?って⁉︎
先ずお互いの病気自慢から入る。そして開胸手術で、縦切りか輪切りかでの痛みの強弱とそれに如何に耐えたかと言った我慢比べなどである。
そんな中、61才♂は「ところで、おたくはどちらから?」
「私ですか、私は北海道です。」
「北海道からですか⁈道理で‼︎キレイな標準語を話される方だなと、先ほどから思ってましてんねん。」と仰る。
そうか、無意識の内にオレはそんなに綺麗な標準語を話していたのか⁉︎
18才の頃、北海道早来町(現、安平町)の牧場に一年間酪農実習に入った時のことだ。同じく秋田からも高卒で実習に入った高橋修二なる人物が居た。彼は自分の名を"タカハス スンズ"とチョーレアな秋田弁を使う名手だった。
余りに訛りが強く、聞き返す事もしばしばだった。
始めはオラァはこの北海道でヒョウズンゴ覚えるんだ!と意気込んでいた。
そして半年後。
彼がポツリと「家康が悪いんだ!」と独り言のように言ったのを、オレは聞き逃さなかった。
「なに、それ?」と聞くと、「家康が秋田に幕府を開けば、秋田弁が標準語だったのに!」
それ以来彼は、標準語の練習を諦め、50年近くズーズー弁のままだ!
2カ月半ぶり⁈
午前4時起床、日経電子版を読む。
時折目を窓に向けると徐々に夜が明けて来る。
5時20分、15cm位しか開かない窓を開けて、手を出して見る。ん?暑からず寒からず!よしホスピタルパークに行って見よう。
前回検査入院し筋芽細胞を採取する手術を受けて以来なので2カ月半ほどが経つ。オォ!やはり暑からず寒からず!園内へと足を運ぶが何となく雰囲気が違う。新緑や若葉と言ったミドリが殆ど無く濃緑色に落ち着いてきているからか⁈
懐かしの"スタジイ"も暑さに負けたのか虫にいじめられたのか、葉の一部に見すぼらしい斑が入っている。ガンバレ スタジイ!
池を覗いて見ると...。
コイのコイが成就して、コイの子が沢山だ‼︎(メダカ〜の学校は〜〜なんて鼻唄が思わず...)
こちらではハトのコイも成就したのか、仲睦まじい⁈それとも嫌がってる?
「このハゲ−‼︎このスケベー‼︎何やってんだヨ!」
「ウヒャー、ヤバイ‼︎嫁の"豊田"に見つかってしまった!ほんの出来心です、ごめんなさい‼︎」
人生〜イロイロ、コイもイロイロ!
振り返れば阪大病院。本当にお世話になった。退院が近づくにつれ、やや里心が...
いやあ、久しぶりのホスピタルパーク、楽しかった〜!
陽の当たる後頭部が暑い‼︎決して薄いとかハゲでは無く、大阪の日差しはキツいわ⁈
三週経過
昨日、移植手術後3週間が過ぎた。
順調だ!
どう言う風に?と聞かれると...
自身が感じる体調から言うと、
①傷の痛みから90%以上解放された。
左脇を下にして横になると結構痛苦しい⁉︎他の体勢では違和感はほぼ無し。
②呼吸が楽になった。
手術前から続いていた咳や痰が著しく減少!
ヒューヒュー、ゴロゴロ、と言った痰がらみの呼吸音も激減。呼吸する事が時には辛く感じたりもしたが、非常に楽!呼吸が無意識にできるなんて、幸せだ‼︎もっとも澤先生によると、これは安静を続けている賜物で、ハートシートの移植の効果はまだまだ先の事だそうだ!
③息切れせずに歩ける距離が600m以上に伸びた。800mも行けそう!
なぜ院内にいて距離が分かるのか、って⁉︎下の写真をみて下さい。
9F病棟の平面図で左上下に病棟の廊下が伸びている。その縦の廊下にコの字型に回廊になっている部分の一周が約200m。それを休まず息切れせず3周は楽勝。オレにとっては快挙だ‼︎これも澤先生によりますと、安静の賜物だ!そうです。
じゃ、この手術で何も変わらないの?
そんなことはありません。
そもそも拡張型心筋症は進行を止める事の出来ない難病で最終的には心臓移植しか無いそうだ。日本にはドナーが少なく、潤沢にある訳ではないので、移植の順番を待ちきれない程症状が進んでしまうと、補助人工心臓なる物の移植を受ける事になる。
写真の人が肩から下げているのが、補助人工心臓を動かすバッテリーなどで24時間体から外すことが出来ないらしい。外出時は勿論、部屋の移動やシャワーを浴る時も片時も離せ無いものらしい。凄い大変そうだけど、移植迄待てない場合は命を維持する為には他の選択肢は無い。
しかし、まだ問題点がある。
この補助人工心臓に不具合が生じた場合近くにすぐ見てもらえる拠点施設が必要だ!つまりその施設から2時間以内の所に住む事が条件だ。北海道では北大病院のみらしい。
更に、65才となったその瞬間に心臓移植の対象から外れてしまう。
拡張型心筋症の治療には様々な制約がある中、この病気の進行を阻止する為の補助人工心臓移植に代わるハートシートの移植が、保健適用になる意義は非常に高い。
このハートシート移植手術は、心筋梗塞などの虚血性心筋症には顕著な効果が認められ、昨年から保健適用になっているそうだ。40〜50例ほど実施されている。
今回、私を含め6人の治験者のデータで好結果が得られれば、来年辺りから保健適用になる可能性大らしい。
堂前先生に口を酸っぱくして言われているのは、現状維持の為の手術なので今の生活水準は守らなければならない!無理は禁物!と言う事らしい。
今、中江先生が見えて来週末の退院となりそうだ!
8月15日
今朝は5時に起床。早速日経の電子版を読む為、タブレットを開く。
まず一面。
日付は平成29年8月15日。
日付を見て色々頭をよぎる。
天皇陛下のお言葉で、高齢のため国務に支障をきたさない為の方法を考えて欲しい(言葉は正確では無いが、自分の意思を忖度して欲しいと言った内容だったと思う)との意思表示があった。
政府も検討し、平成は30年で終わる見込みとなった。
昭和天皇が確か昭和64年1月7日に崩御され、今上天皇が即位され元号も「平成」に改められたと当時小渕恵三官房長官が半紙に書いた文字を示しながら記者会見を開いていた。
当時「平成」?なんともしっくり来ないな!などと感じたものであるが、30年間使い慣れると違和感は全く無い。というより、この平成も後一年で使い納めかと思うと、一抹の寂しを感じる。
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠んだ中村草田男の心境が今になって理解できる。
子供の頃我が家では燕麦を栽培していた。適期収穫は農業の基本だ。お盆時であっても刈り取るのが最良だ。オレたち子供は夏休み。猫の手よりマシ。祖父に「この仕事が終わったらうちにもお盆が来るでな。そしたら、母ちゃんに美味いもん作って貰うか!」と、たらかされ乍らこき使われた。
先祖の霊を迎え、送るよりも、生きている人間の方が大事だ。おれもプロの百姓!今なら当然だろう!と思うけど、当時のオレはそんなところからも百姓が嫌いだった。
72年前の今日、父は東京で終戦を迎えたそうだ。その年の12月に兵役に召集される予定だったのが、これで死ななくて良かった!勝った負けたなんか関係なく思うと同時に、宮城(皇居)前でひざを折り泣いている大人が大勢いたが、なぜ泣くのか意味が分からなかったそうだ。
結婚した年のお盆に家内の実家を訪ねるて、義父が「なあフミさん、もう真由美を帰してよこさんか!」と言う。予期せぬ言葉に驚いていると「真由美はいつフミさんの籍に入れてくれるんだ?嫁に出したはずだが...」あっ、しまった。結婚式が6月24日。一番牧草の収穫真っ盛り。引き続き、小豆やデントコーンの草取りだ。
これも亦、「土用には小豆の花が咲き始めるから、そんな時期になって人がワサワサと小豆をかき分けて歩くと花が落ち収穫が落ちる!と口うるさく言われていた。
そんなこんなで仕事に追われ(今更の言い訳だが...)、入籍の事など何処かに飛んで行っている中での実家訪問だった!結婚式後お盆までの50日間何事も無く良かった!
その後、結婚したけど大ゲンカで「成田離婚」とか、結婚式の招待状を出した後大ゲンカしたが何事も無かった様に式を挙げ、ほとぼりが冷めた一ヶ月後位に離婚、などと言ったケースがテレビ三面記事などで報じられて居た。
この日付を見ただけでも、走馬灯の様に色々思い出される。
キリがない。
やはり俺は65才!
藪入り考
大阪は今朝も明るい日差しが降り注いでいる。外はきっと朝から暑いんだろうけど、温度のコントロールされた病室から見ていると、本当に気持ちがいい。
それにひきかえ、我が故郷帯広は7月下旬から雨の日が多く、特にこの2〜3日雨模様のようだ。畑の作物ももうそんなに水も要らない時期だと言うのに!また祖父は夏の日照りに不作無しとも言っていたけれど、反対から考えて見ると、イモ、ビートなどの根菜類は腐りやすく、豆やトウモロコシなどは受粉しにくく収量の低下を招くもので心配だ!
何事も程々、中庸が良いのか⁈
さて早い人はこの11日の山の日から。そして今日13日はお盆の入りだ。
その昔、商家の丁稚や女中には定休日が無かったが、盆と正月だけは薮入りと言って実家に帰る事が出来た。
病気の療養や治療と丁稚仕事と比べても詮無い事だけど、振り返ってみると今年のオレは薮入りが無い。今年、平成29年の正月は帯広厚生病院で迎え、お盆はここ大阪大学附属病院で過ごす。
今年の正月を挟む4ヶ月の入院は700を超えてしまったBNPを100まで小山先生に戻してもらった。1月末に帯広厚生病院を退院する際、小山先生には「広瀬さん、今度BNPの値が上がってしまったらもう僕の力では戻してあげる自信が無い。」と安静を指示される。私的にも心筋症が一段と進んだと思っていたのだが、少し老後を取り戻せた様だ。
そして今回の阪大病院は拡張型心筋症の悪化、進行を食い止めるために開発された先端医療を開発者の澤芳樹先生率いる医療チームに施して貰う為の入院だ。
筋芽細胞の採取とシート状への培養。そして7月25日のハートシートの移植手術。5月8日からの移植までの全ての医療行為が順調で、今日8月13日を迎えることが出来たのだ。
今回は完全に老後を取り戻し、平均寿命は全う出来るのでは、と予感させてくれる。
今の自分の体調は、ここ4〜5年常に咳と痰に悩まされ、呼吸する度にヒュー、ヒューとかゴロゴロ鳴っていた呼吸音が全く無く、従って咳や痰も日に一度有るか無いか...!
ともかく、息をする事がこんなに楽だとは...!
傷の痛みもほぼ無くなった!
今年一年、薮入りが無くてもこんな嬉しいことは無い!
感謝感謝です。