プロの技
今まさに、繁忙期というかラッシュと言うか、兎に角忙しい!
牧場体験のことである。
6/26・わかば幼稚園。6/29・札幌八軒小学校。7/3・花園小学校。7/4・鈴蘭小。7/5・更別小学校。7/6・コープ札幌。7/7・個人(親子)。7/9・市内の子供会。7/10・共栄台幼稚園。7/11・団体。7/12・札幌北園小学校。そして7/13・阪大病院入院。この後も続く・・・いやあ忙しい。
この写真は昨日体験に来たすずらん小学校の子供たち98名だ。
この子達はこの春小学校に上がったばかりで、団体行動はまだまだ苦手な子が多い。
先生も一苦労だ。
その中で先生は余り大声を張り上げず、静かにさせる手品を使っていた。
「さあ、これから始まります。ごー!・よん!・さん!・にー!・いち!」とゆっくりカウントダウンしていくうちにアラ不思議・・
子供の習性を知り尽くした技だ!!
乾草
6月29日乾草の収穫だ!
寄せて・・・・
梱包し・・・
乾草庫へ・・・
今年の乾草は素晴らしい物だ。
家畜としての牛たちは、飼い主が与える飼料しか食べられません。牛たちが喜んで食べ、健康になり、沢山の乳を出す。酪農家の苦労が報われる時だ。向こう一年が楽しみ!
ユニフォーム
ウエモンズハートを始めてつくづく思うことがある。
例えば、土日にジェラートを食べに来るお客さんだ。或る日、短パンにTシャツ姿のおじさんに「広瀬さん、こんにちは!」と声を掛けられた。何となく見覚えは有るが・・・?何処のどなたか思い出せない。二言三言話をするうちに十勝支庁の職員と言うことが判明。日頃はスーツにネクタイ姿の彼しか見ていないので、分からなかったのだ。
こんな事も有った。やはりお客さんだ。長めの短パンにポロシャツ姿。足元は素足にサンダル姿だ。そのサンダルから覗いている足の爪にはぺティキュアがなされていた。普段はやはりピシッと決まったスーツ姿の営業マンのWさんである。勿論男性!のはず。
こんな私でも公的な会議などでスーツにネクタイ姿で出かける事がある。稀にだ!そんな時に滅多に逢わない人に声をかけると「えっ、広瀬さん?どうしたのその格好!」と言われることが多々有る。私のイメージはつなぎに長靴か?
殊ほど左様に、普段のユニフォーム姿を含めて記憶していることが多い。(決して呆けの始まりではないぞ)
さて、27日午後店に顔を出すと、お客様の内の二人連れの女性から「お久しぶりです。広瀬さん!埼玉から来ました。」と声を掛けられ戸惑った!?
この親しげな状態から、間違いなく会話を交わしている女性達であろう事は間違い無さそう・・!?「あら、こんにちは!」とは言ってみたものの、何処のどなたか思い浮かばない?分からないことを気取られないように無難な会話を交わしているうちに、段々思い出してきた!!
記憶の中で、彼女達にブルーでミルクランドマークの入ったエプロンとバンダナをつけて見ると・・・・・。なるほど、話はかみ合うし、100%間違いない!!
私は病のためここ3年ほど遠ざかっている、首都圏で行うミルクランド北海道の催事を手伝ってくれている女性達だ。ウエモンズハートのソフトクリームをこよなく愛してくれている強力な応援団でもあります。
私が病と言うことを気使って、わざわざ見舞いに来てくれたのでした。
あっ、わざわざかどうかは卵が先か?鶏が先か?の違いくらいと、思いますがしかし、道内観光の道すがら寄ってくれたのか、私の事が心配で見舞いが有りきで、ついでに道内観光なのか?私にとってはそこが問題だ!!
老人と"草の"海
阪大から一時帰宅をしてはや10日目だ。
昨日息子が草を刈り・・・
今日は90才の父が牧草を反転・・・
もう一枚の畑では息子と嫁、他一名が切り込み・・
一番牧草の収穫はデントコーンの切り込みと並んで向こう一年間の泌乳量を占う大事なイベントだ。チモシーはすでに出穂期真っ盛り。もう直ぐ栄養価の低下が始まる開花期目前だ。
帯広に帰ってきた15日頃は穂孕期で最も栄養価の高まる時期だった。
今現在いくら楽隠居の身でも、50年も酪農に携わってきた身としてはハラハラの連続だ。心臓に悪い?!
自分だけが・・と書いてみたものの、70年酪農に携わってきた90才の父も、そして勿論息子も同じだろう事は作業の進め方を見ていると仕事の遅れを気にしていただろう事は想像に難くない。
阪大病院再入院まで後16日。
"老人と草の海"の物語だ。
行く末
我廣瀬家も来年2018(平成30)年で、渡道100年を迎える。それに向けて100年記念誌を鋭意作成中だけれど、諸事情が重なり完成が危ぶまれる。
記念誌の制作遅延の言い訳はさて置き、廣瀬家の行く末のことである。
檀那寺には納骨堂があり、盆暮れには三々五々参拝に行きます。が、その廣瀬家の100年の歴史の中で亡くなった6人の遺骨で納骨堂が、満員状態だ。
現在父が90才。母が87才。ともに元気だ!息子の私より・・・。その両親も元気とは言え、寄る年波を考えているようだ。つまり自分達は死後何処に入るのか(入れられるのか)?それが両親にとっては喫緊の問題なのだ。
父は分骨を考えた!小さな骨壷に入れてもらい再び納骨堂へ。しかし残ったお骨の供養である。浄土真宗お東の総本山には「大谷祖廟納骨」と言う方法もあるけれど、父は北海道に根ざした廣瀬家のルーツを、この十勝に置きたいと常々思っていたようだ。
そして今年5月下旬、廣瀬家の地蔵廟が竣工した。
竣工日時や尚書は今後掲示すると思うけれど、今後これが廣瀬家の祖廟となるのだ。
両親は今日もここの山小屋周辺の環境整備に泊まりに行っている。