由布岳の誓い!
全ての検査スケジュールを終え、昨日23日午後帯広へ帰って来ました。
業界紙、日本農業新聞を見るだけで帰って来た事を実感する。
約二週間の検査結果は、ハートシート移植後の経緯は、BNP(心臓自体の元気度とでも言うか)の数値は50と良好をキープ。そしてEFポンプ率(左心室の血液を送り出す力)は22%と誤差の範囲ながら1%下がっている。
何にせよ術後の好調をキープしているらしい。そこで問題はただ一つ体重を減量する事だそうだ。堂前先生、山田先生、伴田先生皆に異口同音に言われる事は体重を70㎏に落としたらそれだけで心臓の負担が半減出来るのに、と...
減量を固く決意し、帰りに逗留した湯布院温泉でやがて3歳を迎える孫の物より更に小さな茶碗を購入した。
写真、右から3歳になる孫の茶碗、中、左と夫々今回誂えたご飯茶碗と汁椀。
1月21日、湯布院温泉亀の井別荘八番荘で、由布岳を証人とした誓いだ⁈
因みに看護師の赤松さんによると、減量の秘訣は食生活にメリハリをつける事らしい...
1・17
平成7年1月17日早朝、いつも牛舎作業をしながら愛聴していたHBCラジオの''エノさんのオハヨーさ〜ん!"を、その時は病院のベッドの上で聞いていた。東京発の全国放送のこの番組が始まって間も無く、ナビゲーターのエノさんが「アッ、たった今東京のスタジオは地震が揺すっています。結構大きいようですが...、漸く収まりました。各地の震度などの情報は入り次第順次お伝えします。」番組を進めながら震度情報を逐次流していたエノさんは「不思議な事に大阪を中心とした関西地方の情報だけが入って来ていない様です。どうした事でしょうか?」
そして数時間後その地震は、取材のヘリなどの映像から神戸を中心にライフラインやビル、住宅などに甚大な被害を与え、後に「阪神淡路大震災」と命名され関東大震災にならぶ災害として記憶されて来た。
倒壊したビルや住宅に押しつぶされたり、身動き出来ない人達が延焼して来た火事で焼け死んだりと6,000余名が亡くなると言う大惨事だった。
病院のベッドで日がな一日テレビに釘づけだった。
消火活動もままならない中倒壊した建物の中に閉じ込められながらも命を取り止めた人を次に襲ったのは延焼して来た火だ。生きたままジワジワと焼かれて死んで行った人はどんなに恐ろしく苦しかった事か!
地獄絵図さながらの恐怖だ!
あれから23年も経ったのか⁉︎
昨年の1月17日は拡張型心筋症が悪化し帯広厚生病院で迎え、今年は昨年7月に大阪大学附属病院でうけた治験ハートシート移植手術の定期検査の為に今、大阪大学附属病院522号室で迎えた。
では23年前の1月17日はと言うと、前年の平成6年秋口、JA厚生連主催の健診で右の胸に怪しい影が見つかり肺癌が疑われた。その後精密検査を受けるもガンとは特定出来ないまま年末を迎えてしまい、翌7年1月5日に入院し、10日に右胸の肺の上葉切除手術を受け療養中の事だった。
元気そのものの人生を送って来たと思いきや、結構病歴のデパートかオレは...
スメハラ⁇⁇
今朝、日経電子版に目を通していたら、「スメハラ」なる聞いたことも無い文字が目に飛び込んで来た。
コラム春秋によると、「におい(スメル)によって人を不快にすること(ハラスメント)」らしい。確かに体臭を気にするのかバニラとかラベンダーなどの匂いを強調した香水をつけている人がいる。香水などに馴染みの薄いオレにとっては、確かに辛い時もある。特にたっぷりとふりかけた様な方には...
さて、今回のコラム春秋によると、スメハラと指摘されるのは一つには香水をたっぷり振りかけて人の中に入って来る人を指す!らしい。つまりハラスメント被害を訴える事が出来るのは、自分の嗅覚にとって違和感を感じる人と言う事か?
子供の頃、近くに住む女の子が遊びに来た時、今迄に嗅いだ事のない体臭をその子に感じ「◯◯ちゃん臭いね、どうしたの?」と言ったところ、何故か母にしこたま怒られた。後で母が言うに「◯◯ちゃんはワキガが有って、それは自分ではどうしようも無い事なんだから、囃し立てたらダメ!」。今思えば無知とは言えかわいそうな事をしたものだ。
さて、この「ワキガ」の女の子も「スメハラ」なんだろうか?
このコラム春秋では続けて言う。
「みだしなみ」の大切なポイントはかおりである。
社会人であればエチケットやマナーのひとつとして日常的に気をつけなければいけない...と。
オレは物心ついた頃から牛舎の仕事を手伝わされ、学校から帰ってからは勿論登校前でも親からの呼び出しはしょっ中だった。そんな時は勿論着替えて登校してはいたがシャワーなど無かった時代、牛の糞尿やサイレージの臭いと供に学校に行っていたんだろうな。これめスメハラだろうか?
中1の事だ。理科の授業の前に実験の道具を班の仲間と準備していた時、実験室に入って来た斉藤先生に「広瀬、お前はウシなの?」と言われた。
唐突な先生の言葉でオレは「⁇」。
すると先生は、今、三谷が広瀬を「オーイ、ベコ、ベコ」って呼んでたから...。
クラスでは「ヒロ」と言うのが小さい頃からのオレのニックネームだったけれど、小学校高学年頃からヒロと並行してベコと呼ばれる様になっていた。
ある時は「ベーコ、ベコ、ベコ、エサやるぞ」なんて言われたりしたけれど、当時(昭和37.38年頃)酪農は最も先進的な農業で、我が家は帯広市の中では規模が大きく注目されていて、我が家に対する「尊称」くらいにしか思わず、余裕で「ベーコ、ベコ、ベコ」と「オーイ、ベコ」を聞きわけて、過剰反応しないオレにクラスの仲間は次第にベコと呼ばず、ヒロに戻って来たものだ。
話しを戻す。
相撲の世界である。仄聞するに上の者が下の者に厳しく稽古を付ける事を「可愛がる」と言い、下位の者はその可愛がりに対して「ごっつぁんです」と言うそうな。これを「シゴキ」と捉え、相撲界と言う閉鎖社会の悪しき習慣で「パワハラ」と断罪する者も多いとか。
自分にとって気に食わなければハラスメントだ!と声高に叫ぶ社会。薄っぺらになったものだ。
教授回診、ナウ
たった今、今回のハートシート移植の治験を主導して頂いた澤芳樹教授の回診が有った。
大勢の弟子を連れて且つ短時間の回診だったけれど、澤先生も変わらず患者に安心感を与えてくれる温厚な話しぶりで、更にはお元気そうで安心しました(生意気な書き振りだけれど、私の寿命が尽きる迄診て貰えると言う意味で!)。
検査入院以来の検査結果を説明する堂前先生の話しに一つ一つ満足そうに頷きながら、「後は矢張り、体重のコントロールが大事ですね!」と、とどめの一言(我々医療側としては最大限の力を発揮したのだから、今後良い状態を長く保つのは貴方の努力次第言った意味を言外に含めながら)を残して、次の患者の所に大名行列の如く移動して行かれた。
検査結果が良好である事を差し引いても、澤先生の優しげな人柄に安心感を増幅させていただきました。
明治9年生まれの曽祖母ハツばあちゃんは、「私ら百姓なんかは昔、医師の診察を受けるなど思いもよらず、せめてお医者さんに手を握られながら死ねるならこれに勝る幸せは無い。」と言っていた。
そして町医者に診てもらうと「極楽、極楽」と言うのが口癖だった。
今の私は極楽以上!ハスのウテナどころかお釈迦様の隣りに置いて貰っている様なものだ!
そう言うハツばあちゃんは薬草の知識が豊富で近所でも有名だった。
ヨモギは止血。腹痛にはゲンノショウコ。ドクダミ茶の常飲で健康維持。咳止めにはオオバコ...などなど
ウ、サブッ!
今日は放射性物質を注入してのCT検査が予定されていて、僅かばかりの朝食も抜きとなった。
お腹が空くと嗅覚も敏感になるらしく、同室の人の食事の匂いが充満する中気を紛らわせるでも無く何気なく外のホスピタルパークを眺めていると、ん?、地面が白くなっているでは無いか!雪か?
そうだ、ここは大阪。もたもたしていたら解けてしまって今度いつ会えるか...
慌てて階段、いやエレベーターで駆け下り?外に出て見ると...
「うっ、サブっ!大阪なのに寒い‼︎」
矢張り霜では無く雪だ‼️
北海道十勝で生まれ65年そこで生きて来たオレとしては雪など珍しくも無く、小学一年生の頃には登校時、吹雪いてくる雪に顔が横殴りされ(冷たいを通り越して痛かった。だから横殴り、と言うのか⁉️)鼻水も垂れてくる。更には1kmほどアップダウンの続く吹き溜まった雪山に足を取られ、泣きながら一里の道を歩いて通った。しかし思い直して成人する頃には克雪と言うか雪を楽しもうと糠平や嵐山(十勝の人しか知らないだろうなぁ)のゲレンデに幾度か出掛けるも、期待した出会いも叶わなかった。だから矢張り雪は嫌いだ。
因みにいまの家内とは、青年部のスズラン狩りで出会った。だからスズランは好きだ、可憐だし⁈
何だか話しがズレて行っている。
当地の天気予報では今シーズン最大級の寒波が西日本に流れ込み、この寒さは13日迄続くらしい。
十勝に比べればちゃんちゃらおかしい話しだけど、寒過ぎてホスピタルパークでの散歩はお預けか⁉︎
寒さに耐えきれずパーク内の心臓破りの45段の階段を一気に上る。
ん?息が切れないぞ⁈