渡船で越境
さて今日も頑張るさー
天草下田温泉を出発。天草下島を東シナ海沿いに南下し有明海側を北上し北端の鬼池港から
フェリーで長崎県の島原半島の口之津港へ30分の船旅。
下船し有明海側を島原市に向かうと間もなく原城跡の看板を発見。
天草四郎時貞が一揆を起こした場所。立ち寄る。
城跡の様な段丘にも名残り桜が咲き誇り、その前の有明海で気持ち良さそうに立ち泳ぎしている眞由美。
更にクルマを進めると島原市。
眞由美情報によると島原城の目と鼻の先に、島原名物の「具雑煮」が食べられると言う事で立ち寄る
食べる気満々の眞由美
そして今日の宿泊地、稲佐山観光ホテルに5時頃到着。
夕食は中華街で中華でしょ、という事で出発。
美味しい中華に生ビール3杯。
ほろ酔いでタクシーに乗ると運転手が気さくに話しかけてくる。
ここがめがね橋
ここはキリシタン大名の大村氏の屋敷内の隠れ教会跡
その先が勝海舟が長崎海軍伝習所の教官として逗留した所
「へぇ〜」「そうなんだ〜」なんて感心していると間髪を入れずすぐここを曲がった処が「かの有名な何々」と際限がない。
行きのタクシー料金2,110円が帰りは3,970円
流石、観光地のタクシー。営業が上手い。
ホテルの窓から夜景を見るも少し物足りない。
もう少し夜の観光も良かったかな⁉︎
天草Now
8日夕方熊本空港に降り立つ
空港近くに取った宿からの迎えのバスに乗り込むが、霧が立ち込め雨がシトシト。蒸し暑く先が思いやられる。
翌朝は嬉しくも大外れの天気。霧も晴れ陽は燦々。
ホテルの窓から見える景色は?と思うと、何とイチゴのビニールハウスが群立
約束通り、合志市在住の山本幸子が迎えにきてくれて、早速瓦そばを食べに連れて行ってくれる。
「四季即贅喰」と言う駄洒落た、蕎麦屋さん
昼時で混み合っていたが、予約してくれていたので、即着席。眞由美と幸子は話が止まらない
さてさて注文の蕎麦が運ばれてくるのだが、何故かジュージュー言っている。
よく見ると、熱く焼いた屋根瓦に蕎麦が乗っている。
真ん中にある大徳利にはそばの付けダレがはいっていて、瓦にのっている熱々のそばをタレに付けて食べるのだが、
焦げてパリパリしている蕎麦も美味しいものだった。そして完食
その後熊本地震で大被害を受けた熊本城の復興ぶりを見につれていってもらう。
復興には未だ10年以上かかるようだが、見学の溜めの通路やエレベーターなどが整備されて
インバウンドを含めた観光客で大賑わいだった。
被害を受けた城郭の修理に先駆けて、観光通路を整備し、被害と修復具合も同時に観光資源にしていて更には
「復興城主」求む!と銘打って募金を訴えるなど、熊本人の強かさをも感じた。
その後レンタカーを借りて、幸子とも別れ、天草下田温泉の望洋閣に向かう。
東シナ海に沈む夕陽が美しいとの評判だったが、到着したのが午後7時半すぎで、真っ暗闇。
そして今朝。
快晴に恵まれ、東シナ海が美しい!
中国の脅威が無ければ!
陽気に誘われて...
先日3月31日、孫や家族に祝って貰って我が人生72幕目の緞帳が上がった。
雪の残る畑には、白鳥やカモ達も飛来して、
口々にカーコ、カーコ(オレには、おめでとう、おめでとうと聴こえる!)と叫んでいる。
中には両の羽を思いっきり羽ばたかせている白鳥もいる(オレには、可愛い女の子が両手を思いっきり振ってくれている様に見える!)
かてて加えて、50余年音信不通だった同級生のS君とも連絡が取れ、宝塚市から夫婦で訪ねてくれたので
同級生有志が集まって歓迎会も開く
(紅顔の美少年達もハゲ、白髪、シワ満載と見る影も無し。悲しき哉72幕)
祝い事にも目処が付き、陽気に誘われて、今日からフラフラと4泊5日の旅に出る。
今中継地点の羽田空港で腹ごしらえ
旅の第一食目は、680円のシラスぶっかけうどん。
この後、旅先で何が食べられるのだろう⁉︎
どこをほっつき歩くのやら?
「四季」
今朝の業界紙一面のコラム「四季」にこんな言葉が載っていた。
山笑う『春』には豊作を祈り
山滴る『夏』には作物と話し世話をする
山装う『秋』には豊かな実りに感謝し
山眠る『冬』には春に備え大地を休ませる
JA愛知東の組合長で養蚕農家三代目の海野文貴氏が、
中山間地域の農の営みと移ろいを知ってほしいと言う思いを込めて揮毫した。
韻を踏んでいて、素晴らしいの一言。
百獣の王
24日日曜日、大相撲初場所で新入幕の尊富士が、13勝2敗で初優勝をした。
新入幕で優勝したのは大正時代の両国以来110年振りの快挙だそうだ。
39才の現役力士の玉鷲関が、尊富士を百獣(110)の王と駄洒落で褒めていたそうだ。
扨、110年前の両国関、何処まで出世したのか...⁉︎そこが問題だ!