百年誌
今、200頁を越す本の作製が佳境を迎えている。あ〜〜、忙しいわ〜!
何たって6月のひと月、来年放映される予定のNHKの朝ドラ「なつぞら」の酪農指導を依頼され、付き合わされたのが運の尽き。11月23日完成予定が年内へと1カ月がのびてしまった。
あっ、スミマセン!
ダラダラと言い訳がましい話しから始まり、なんの話し?と怒られそう。
本邦初公開⁈ こんな表紙の本を作っています。
サブタイトルにある様に、我が廣瀬家が岐阜からここ十勝に移住して今年100年を迎えるに当たり、何か記念になる本を作らないかと父に持ち掛けられ、今年の2月頃から取り組んでいるものです。
この本のタイトルは「賢者は歴史に学ぶ」とした。この言葉の前には「愚者は経験に学び」と有る。先人達の失敗や成功からこそ多く学ぶ事がある、と言う意味だ。子や孫たちの人生への参考書になれば、此れに勝る幸せは無い。
この本は4章に分かれている。
第1章は「今昔」とし、初代初次郎が北海道移住に際して迷わず百姓と言う職業を選択し、今の広瀬牧場に到っている。その農業の今を過去と対比し変遷を表現した。91才になる父の書いた年表も分かりやすい。
第2章は「大河」である。
廣瀬家は百年5代に亘り百姓を続けているが、自分の過去を振り返ると、すんなりと百姓と言う川の流れに乗れたかどうか甚だ疑問で危ういものだった。
30年ほど前、10年間十勝川の筏下りに参加していた。そのコースの後半には十勝川と帯広市民の生活用水として使われている清流、札内川の合流点がある。そこを過ぎると、驚く事に茶色い十勝川の水と透明な札内川の水が混ざる事なく、並行して流れていた。そのまま500mほど下り川のカーブの所で漸く一色になって、何事も無かった様に悠然と十勝川は流れていた。平坦に代替わりが出来なくとも100年農業が続いている。我が母なる川「十勝川」流れに乗ってみて初めて理解出来た。続けるという事はこう言う事か、と!
この章では5代夫々の生き様、葛藤を書いてみた。
第3章は「渡道以前」である。
旧家ともなかなか言えない廣瀬家ではあるが、我が家には600年位前までなら間違いなく遡れる系図がある。その系図に載っている先祖の名前が記されている古文書が、出身地岐阜揖斐川町の町史に何枚か掲載されている。又、600年前の先祖は武士を捨て、天台宗の僧侶になりさらに蓮如上人に出会って浄土真宗に改宗し、いま現在も同町に上善明寺として威容を誇っている。
そんなこんなで、古い系図がある事により様々想像を巡らすのも楽しいものだ。
最後、第4章はストレートに「系図」だ。
これは3部に分かれいる古系図と、我が家にある300年に亘り存在する位牌を参考に一本の系図として完成させたもを掲載した。
自分にとっても初となる大作だが、何せ本気で推敲を重ねて文章を書いたのは40数年前、当時の彼女に書いたラブレター以来だから、内容は推して知るべし。
居直っている訳では無いが、完成が待ち遠しい⁈
M&C cafe
何て事無いハヤシライスの写真だが、M&C Cafeと聞いて、「あぁ、丸善の4階にある喫茶店」と分かる人は、オレにとってなんと無く身内の様な親しみを感じてしまう。
9月25日にアップした、天童市訪問の帰り道の事なのでニュース性はないのだが...。その天童市訪問翌日24日新幹線で午後1時過ぎ東京駅に到着し、JALに搭乗する迄4〜5時間有ったので、丸の内側にあるOAZOに立ち寄る。食後の薬を飲むのも病を得てからの大事な仕事なので、エスカレーターで真っ直ぐ件のカフェに飛び込み(待たされる事が多いが...)ハヤシライスとアイスコーヒーを注文。出て来たのが写真の一品だ。オレにとってoazoに有るこのカフェはoasisだ。洒落て言っているのでは無く、東京砂漠の中のオアシスだ。
と言うか、成人した頃から喫茶店は繁忙を極める酪農に従事する様になってからは、親の目を逃れ息抜き出来る唯一の場所、心のオアシスだ。
喫茶店の遍歴は高校卒業前後に始まり、当時は帯広ステーション2階の純喫茶「飛鳥」に良く通った。その頃はコーヒーの味もわからず、砂糖を沢山入れて飲んでいたっけ。飛鳥ではスパゲッティのナポリタンが絶品だった。オレにとってナポリタンの味の基準は飛鳥で、他の店に入ってそれ以下だと落胆したものだ。否、今でもだ!
もう少し成長してから通ったのは東四条に有った喫茶「樹林」だ。青年団の先輩に連れられて行ったのだが、すぐに此処も大のお気に入りとなった。店内で流れる雑音的な音楽を聞きながらここではカウンターに座り、マスターとの会話が楽しかった。しかし、それまで雑音にしか聞こえ無かったジャズが突然心地よい音に聞こえ始めた。オレがジャズの魅力に開眼した瞬間だったが、童貞を失った程の衝撃だった。名前は忘れたが、マスターは店では黄色いサングラスをかけ、車はブルーのマーキュリーと言ったデッカな外車に乗っている所謂トッポイお兄ちゃんだ。しかし、当時3Kと言われた酪農についても凄く興味を持ってくれ、色々な事を聞いてくれる聞き上手な人だ。いつもの様にカウンターに陣取った。頼んだコーヒーを出してくれたマスターが、「この前、早朝広瀬さんの牧場を訪ねたら、朝もやの中にのんびり佇む牛達が幻想的で、街の喧騒の中にいる自分にとっては宝の様な風景だった」と言っていた。酪農の応援をしてくれている様で嬉しく、今でも心に残る一言だ。
同じ頃通い始めたのが、柏林台の「しらかば」と近くの「グルービー」。西3条の道時計店の地下の「無有」と書いてナウと読ませるピザのとびっきり美味しい喫茶店。そして東8条の教育会館の一画に有った「絵麗」。ここはチキンの唐揚げが美味い。何れの喫茶店もスタバやドトールといった今風な喫茶店と違い、マスターやその奥さんの人柄が、その店の雰囲気やコーヒーのスパイスとなって心地良く99%は独りで行ったものだ。
その喫茶店の一つで当時のガールフレンドにも思いの丈を伝えた。
さ、もう止めとこっと。何せもう66年も生きているのでキリがない。
さてoazoのハヤシライスより、女房のが一番だ!
今日も検査で飯抜き。
腹が空いたのか、食べ物に話題が言ってしまうが、そこで買い求めた「百姓から見た戦国大名」(ちくま書房)は、わが廣瀬家が分立した足利時代の時代背景が詳しく述べられていて、引き込まれた。
1470年代に天上寺(現、揖斐川町上善明寺)として歴史に登場し、我が家の基礎を作った廣瀬家胤のちの空道法印始まる時代のもので、記憶力の弱いオレとしては、付箋を沢山貼り付け後刻まとめて見たいものだ。
遅い昼ご飯を頂き、喫茶店の話から離れる事が出来た⁈
飾る
今日の十勝毎日新聞に、我が広瀬牧場のニュースが二つ紙面を飾っていた。
2面には、十勝振興局職員20人に依るウエモンズハートのジェラートの試食についてだ。
これは、来春大阪や関東で開かれる予定の物産展に、ウエモンズハートの高級ジェラートを売り出そうと言う一環で、3度目の試食になる。
さてもう一件は19面で、18日に実施した森の里小へ子牛を連れての、出前授業「子牛ふれあいファーム」についてだ。
3人の息子達の母校でも有る森の里小は現在児童271人で、1〜3年生130人の児童が参加。
教務主任の高橋先生は「酪農を身近に感じられる貴重な機会。関係かくしょの協力に感謝しながら、これからも続けて行ければ」と、教委や四つ葉乳業などへの配慮を込めたコメントが載っていた。
当日の写真だ。
こんな所に...
20日札医大の小山先生の定期健診を受けた。
結果は昨年7月25日に阪大で受けたハートシート移植時と変わらず、安定した状態が続いていると太鼓判を押して頂いた。
それを受けて21日上京。
翌22日には、TKPガーデンシティPREMIUM京橋にある京橋エドグランの22Fで、酪農教育ファーム創立20周年記念フォーラムが開催され、その中でのパネルディスカッションのパネリストとして声が掛かり参加してきた。
心筋症で三年程のブランクが有っての参加なので、心筋症の進行を止めて頂いた小山先生始め、阪大の澤教授や堂前先生には本当に感謝で一杯だ!
その会場では大勢の仲間たちから元気だった?身体大丈夫?或いはただ単に、大丈夫だった?などと声をかけてくれる。
さて、それら旧友から「元気だった?」と聞かれると、オレの難病の事は知らず通常の挨拶か?と受け取れる。「身体大丈夫?」と聞かれると、あぁ、オレの難病の事を知っていて声をかけてくれると受け取れて、それに対して応える事が出来る。しかし、ただ「大丈夫だった?」と聞かれると、オレの難病だけでは無く先日の胆振地震によるブラックアウトにより、牛や畜舎などの被害は無かった?と言う意味になる様だ。そんなこんなで少々混乱気味だったけれど、兎も角仲間と言うか同士との会話で、楽しい時間はあっと言う間に過ぎた。
翌23日、つまり昨日は山形県天童市の矢野仁さんを訪ねる。
写真左が矢野さん。肉牛を飼いその肉を加工販売もしていて、今回、ブルーコーナーへのソフトミックスを販売する繋ぎをやってくれ、更には来年以降天童市で自前の消費者交流施設を作り、そこでウエモンズハートのソフトクリームを販売したいと言ってくれている。そんな事もあり、お礼と顔つなぎに訪ねたのだが、車での送り迎えばかりでは無く、夜は焼肉で歓待して頂いた。
本当に感謝で一杯だったが、この矢野仁さんと言う人物、裏表が無く非常に魅力的で、またすぐにでも会って話がしたくなる人だ。
その夜はビューホテルくろだ、を紹介して頂き宿泊。
すぐ隣には温泉神社が有り、その境内には松尾芭蕉の足跡を訪ねて歩いた虚子の俳句が石に刻んで置かれていた。
達筆過ぎて読めん!
今朝東京に戻りオアゾでハヤシライスをいただく。
丸善では本を2冊購入。
さて、オアゾから表に出ると目の前に羽田空港行きのバスが便利と聞き探すとこんな所に...
料金1000円、20分で到着‼︎
仔牛の初登校
私たち家族が住む現在地は、帯広市の小学校の区割りで行くと、市立森の里小学校校下に入る。今年4月、この森の里小学校の教頭先生と教務主任の先生が訪ねて来た。話しによると全学年を対象に、校下で唯一の牧場で有る広瀬牧場とコラボした授業をやって見たいと言う事だった。
各学年が入れ替わり立ち代り訪ねてくると言う案だったので、いっその事子牛を連れての出前授業をしましょうかと、提案してあった。
我々の提案に、先生達は大乗り気だったが、教育委員会から前例が無い。O-157は大丈夫か?子牛とは言え大動物、子供達の怪我の対策はどうするのか?などと教委からはダメだしの問題提起ばかりで、その取り組みを一緒に成功させようと言う雰囲気は微塵も感じさせないものだったらしい。
彼の教頭先生方の努力が実り、一昨日18日に学校に子牛を3頭連れて行く事が実現出来た。
3年生は子牛にに触れ、体温を感じたり可愛いく人懐こさに感動する事ひとしきり。その後牧場のオジさんからの牛についての話を聞き、疑問に思った事な質問コーナーを設けた。
1・2年生は子牛への命名式と写生会だ。
「このコウシは、アタマがシロイので、ミルクとナマエをつけました。」
次のクラスは「ミルティ」。その次のクラスは「!!!!!!です」??と大声過ぎて理解不能。
続いて写生。
これ、牛?とか、画用紙の端の方にチンマリとした牛。顔が画面の半分以上で体が残りのスペースに無理やり収められたり...!
それらの絵を眺めながら、子供達夫々の生い立ちや、将来を占って見たりと兎に角楽しい。
三男の息子も会計の仕事で帰省していて、帰京を一日延ばし出前授業の手伝い。
森の里小が開校した時に新一年生として入学した、所謂森の里プロパーの三男も後輩達の素直な質問責めにも、楽しんでいた様だ。
来年からは恒例行事になるかも...⁈