栗原靖校長先生
とある学校の事だ。 2学期初登校した小学1年生と担任の先生の会話。
「みなさん、初めての夏休みはどうでしたか?」の先生の問いに、
子供達は口々に「楽しかった〜!」と大声を張り上げる。
「じゃあ○○くんは?」
「僕も楽しかった!」
「何が楽しかったですか?」
「うーんと......、忘れた⁈」
なんて言う笑い話の様な可愛らしい会話が、物の本に載ってたっけ。
さて、自分が小学6年生の修学旅行は、当時子供の人気トップ3、巨人、大鵬、卵焼きと言われたが、その横綱大鵬のふるさと弟子屈に行った。今思い出せる事は生家である納屋家の横の記念館に行ったよな⁉︎と言った程度の記憶と、お土産屋さんで自分には木刀。家族にはまんじゅうか何かを買った。
中学では列車で、札幌と支笏洞爺方面だったが、何処に行ったのか記憶に全くない。
高校ではこれ又列車で東京、奈良、京都だった。昭和43年の事なので東京からは新幹線での移動だったと思うが、今となっては記憶にない。さらに奈良、京都では行ったはずの神社仏閣も記憶にない。ただ10月だと言うのに夜になってもうだるような暑さだった事に驚いた事を思い出す。そして、担任の橋本先生からは「他校の女子生徒に向かって黄色い声を出すのは止めろ‼︎」と厳命された。東京では多分皇居や東京タワーあたりだったか⁈ここで覚えているのは、東京駅から銀座迄地下鉄に乗って行こうと地下に入り、銀座行きのホームを探しているうちに、銀座の出口についてしまい、地下鉄に乗らずじまい。すごく不思議に思ったものだ。
この修学旅行で鮮烈な記憶として残ってるのは、前日夜牛に足を踏まれ湿布を付けて寝るも、翌朝痛みが無くならないのと甲の辺りが腫れ上がり、この日の為に新調した革靴が履けず、サンダルで行った事だ‼︎
ドジくささに皆に笑われながらも、最後の3日間は痛さをこらえつつ何とか革靴を履いた!
この顛末については、一部始終を鮮烈に覚えてる(詳細はnextchance!
)。
何だか冒頭の小学校1年生と変わらない。
翻って、昨日は札幌から午前と午後、二校の小学校6年生の修学旅行の体験を受け入れた。午前は北園小だ。
十勝農楽校体験教室での北園小の生徒達。
下は写真撮影に臨む子供達と私の右隣は、今日の話題の北園小校長栗原靖先生。
最後に活発な質問も沢山あり、驚きだった。
そして、スタッフたちとお見送り。
北園小の生徒達は規律正しく素直で、それでいて何事にも積極的に取り組み質問もしてくれた。何より目が輝いていたし、あの澄んだ目で見つめられるといい加減な事は言えないなと、怖さすら感じた。
酪農教育ファーム体験を受け入れを始めて久しいけれど、これだけ肌感覚の良い学校は滅多にない。何故か?
今回、引率されていた栗原校長先生と少しく話しをさせていただいた。
先生によると「北園小では担任の先生方が、十勝へ修学旅行に来るに当たって2ヶ月にわたって、十勝についていろんな角度から勉強してきた」そうだ。帯広開拓の祖依田勉三に始まり、日本の穀倉地と言われる十勝の農業や酪農について知識を深め、そこから生まれる疑問も今回は沢山ぶつけてくれた。
北園小学校の6年生のフロアの廊下には、帯広十勝のポスターまで貼って、生徒たちの知りたいと言う気持を最高潮にして、修学旅行に臨んだそうだ。
修学旅行に向けて、目的意識をしっかり生徒達に植え込んでこられた先生方のプロ意識に驚くとともに、2時間半と言う限られた時間で 生徒達の知りたいに、自分自身どれだけ応えられたか汗顔の至りだ。
出来れば学校を訪問し、事前学習したポスターなど拝見したいものだ。
午後は琴似小学校だ。
多様性こそ、推進力
来年の朝ドラ「なつぞら」で、昭和30年頃の牛の放牧風景を新得で撮影した。
我が家では、平成3年にフリーストールに飼養方法を変えるまでは、写真のように昼夜放牧をしていた。美味しそうに草を食む牛を眺めながら懐かしい風景と思うと同時に、電牧の線を切って脱走し、隣家の換金作物の畑の中を走り回る事も度々だった。どう見ても菓子折りでは済まない被害を与えてしまった時には、収穫時の販売額を算定して現金を包んで行ったっけ。
隣家では、「お互い様だから、そんな心配しないで!」と言ってはくれるものの、その隣家には牛そのものを飼っていないし...
のどかに見える反面いっ時たりとも気が抜けず、家族揃って外出など思いもよらなかった。
帯広◯◯大学のS先生などは、夫々の条件に立脚した乳牛の飼養に対し、家畜福祉の観点からその多様性を全否定する様な言動で、放牧酪農を推進しているようだが...
なるほど!
50年来の疑問が氷解した。
高校三年生の夏、中標津町計根別に実習に行った。10日間の予定が体調を崩し、3日を残して無念の帰宅の止む無きに至った。
家でも酪農をやっていたので、実習先で炎天下での牧草の収穫など当たり前の仕事だった。しかし、数日すると食事を摂ると吐くようになってしまった。「それは水の飲み過ぎで、水当りだ!いっぺんに大量の水を飲むから駄目なんだ!」と言われる。その二日後にはダウン!一日まんじりともせず、横になっているもいたたまれず、帰宅する。しかも逃げるように...
翌年、高校を卒業し早来町のブリーダーの下に実習に入る。
そこでも、夏の乾草の収穫時期になると、計根別の時と同じように吐くようになった。「広瀬は胃腸が弱いのか、よく腹を壊すなぁ!」と言われる。この時はさすがに逃げ帰りはしなかったが...。
当時は自分でも、なまくらな性格なのかと随分思い悩んだ。
しかし、今朝の道新で納得。
コラム「生きるしくみ」によると、炎天下の野外で仕事などをした際、びっしょり汗をかいて猛烈にのどが渇きます。そこで冷たい水をごくごく飲む。ひと時は癒されるけれどまた水が欲しくなり、飲み干す。二度三度繰り返し、お腹は張って来るのに依然渇きが治らない。これは熱中症を引き起こしているからだそうだ。
全く症状は同じだ。そうか、熱中症だったのか‼️
メカニズムは、熱が体にたまり汗をかいて体が水分不足になる。すると血液量が減少し血圧が下がる。そこで血管を収縮して血圧を維持するために、交感神経が働く。この交感神経は胃腸の動きを止めるので、胃は動かなくなり、飲んだ水はひたすら胃に溜まる。おなかに水はいっぱいあるのに、体は脱水症状に陥ると言う矛盾した状態になり、ついには吐いてしまう。と言う事らしい。
50年前の自分に、「それは熱中症だから、遠慮せずゆっくりやすみなさい。」と言ってあげたい。