共感
原田伊織の著書ー列強の侵略を防いだ幕臣たちーの締めの言葉。
「一言以って国を滅ぼすものありや
どうにかなろうの一言、これなり」小栗上野介忠順(江戸時代の幕臣、外国奉行)
牛の命を預かる人生を続けてきて、「どうかになろう⁈」ではなく「何とか!」を心掛けて来た。
小栗忠順とは比べ物にはならないが、ちっぽけな我が廣瀬家を預かって一区切りついた今、共感する。
また小栗は「幕府の命運に限りがあるとも、日本の命運には限りが無い...」とも。地球を、日本を俯瞰すると見えてくる緊迫した食糧事情。スーパーに食物が溢れる飽食日本に警鐘を鳴らす酪農教育ファーム活動の真髄でもある。
1年前
1年前のハートシート移植手術直後の写真だ。
写真に写っているモニターの数字は、上から脈拍74。血圧の上が99、下は23。脈の74はCRT-D(AED内蔵型のペースメーカー)によって何とか維持されている数字だ。
しかし一年経った今は脈は75(CRT-Dはそのまま稼働)、血圧の上は105、下は60と、拡張型心筋症と診断され余命宣告を受けた事など忘れてしまうような体調の良さ。本当に有難い事だ。
しかし、阪大の堂前先生からは、この移植手術は拡張型心筋症を治す訳では無く、進行を止めているだけ。絶対無理は禁物!との言葉を今、反芻している。
合同納骨式
今年は、我が家が岐阜から北海道に開拓に入って丁度100年を迎えた。
その100年近くを我が家に生まれ育ち、背負い、農業経営も孫の時代となった今は、更に100年後の事に想いを巡らせている父は91才と半年になる。
体力の衰えは否めないが、記憶力は衰えず、車の運転も峠を越えなければ十勝管内何処でも行くぞ!状態だ。
その父も数年前から、檀那寺の我が家が借りている納骨堂が過密状態になりかけていて、自分の死後お骨になった時夫婦揃って入る事が出来なくなる、と心配を口にする様になった。
出た結論は、納骨堂に納まっている六柱の先祖のお骨を分骨し、サイズを小さくすればまだまだ100年位は余裕があるだろう、と言うことだ。
と言う事で17日に事前に分骨し、昨日24日、昨年落慶法要も終えた地蔵堂に六柱分の納骨を済ませたのだ。
祭壇だ。
住職の講話。
皆かしこまって。
今年の十勝にとっては、貴重な青空の下、父の廣瀬家への思いを聞き、御斎を頂きながらしばし歓談。
我が家はこう言う行事は大好きな部類だとおもうが、妹は勿論婿殿たちも嫌がらず、率先して手伝いをしてくれる。
自分自身が大阪大学でハートシート移植手術を受けたのが、丁度一年前平成29年7月25日の事だ。拡張型心筋症の症状が落ち着いているとは言え、無理は厳禁という中で、妹夫婦には特段に感謝だ。
そうか、心臓の手術から丸一年か...。
麻酔が醒めた後の数日間、手術の部位に激痛が走り喉に絡んだ痰を出すのに、非常に苦しんだ事まざまざと思い出す。
昨年あのハートシート移植手術に出会わなかったら、次の納骨は自分自身だった⁈
買ってこよ〜っと
昨日の勝毎の紹介本に目が行った。
タイトルは「奥のほそ道」。芭蕉か...
著者はリチャード・フラナガン。ん?日本人じゃないのか⁈
「俳句と重なる戦時体制」戦時体制と言えば、国家総動員法が思い浮かぶ。
奥のほそ道と日本人にはおなじみのタイトルで、作者は外人。そして背景は第二次世界大戦時である。
このちぐはぐ感が興味をそそる。
泰緬鉄道を建設する日本軍と捕虜の連合国軍人。
映画などでは、残忍な日本軍人と、満足な食料も与えられず酷使される捕虜と言った構図だが、その残忍と表現される指揮官も、風流にも俳句を詠む不可解さを表現し、その不可解さの中から見えてくるのは、捕える側にも捕らわれる側と同じ苦悩があるという事。つまり、日本軍側も別な意味で捕虜の身なのだ...と解説する。
このギスギスする東アジア情勢を、冷静に見つめ直しているのでは...
是非とも読みたいものだ!