女性天皇
今朝の道新3面に皇位継承についてのアンケートが載っていた。
現在の皇室では今上陛下の子供は愛子内親王のみ。
皇太子さまはというと現天皇の弟秋篠宮様。
皇位継承順位第2位はその子息悠仁様となっている。
皇位継承問題は今上陛下徳仁様が雅子さまとご結婚され、長時日を経てお産まれになられたのは愛子様のみ。
その辺りから万世一系の男系男子論、男系女子容認論、はたまた旧皇族の復帰など議論百出していた。
そして秋篠宮家の3番目に男子悠仁さまがお産まれになられ、皇位継承問題はまたまた下火になっていた。
さて現今、愛子様が大学に入られる頃から、天皇家の御息女たる雅な挙措と類稀なる古風な美貌
が次から次へと報道され、いかにも国民の耳目を独り占めしている。
それに反して秋篠宮家では長女真子様と小室圭氏との結婚問題が醜聞と化している中、
弟の悠仁親王の大学進学問題と、秋篠宮家は所謂バッシング報道ばかりだ。
ここ20年余りのマスコミの報道ぶりは、天皇家は親子ともども天皇家にふさわしく、
秋篠宮家一家は、国民の象徴としては如何なものか、と言わんばかりだ。
今回のアンケートは、何故今?と、いささか唐突感が満載だが、政府による女性天皇や女系天皇容認論への
世論誘導の布石感が見え見えである。
昔々、黒岩重吾作『弓削道鏡』なる小説を読んだ。
もう30年ほど前の事なので記憶は覚束ないが、大化の改新で藤原鎌足ともに、専横なる曽我氏を滅ぼした中大兄皇子が後に天智天皇となり次は弟の天武天皇。
それからは天智系天武系と交互に天皇となるが、約百年の後天武系で天皇を独占し始める。
そんな中、ピンチヒッター的に女性皇族である孝謙が帝位に就く。
その後未婚のまま、一族の男性親王に帝位を譲る。これが淳仁天皇である。時に25歳。
しかし、天皇とは言え、将棋の駒の王将。取り巻きは皆、虎の威を借る狐。
政権から下野を余儀なくされていた、孝謙天皇を推していた取り巻きは淳仁降しに血眼。
淳仁は在位6年で譲位を余儀なくされ、『淡路島』に流されたため『淡路廃帝』とも称される。
そこで返り咲いたのが孝謙で称徳天皇となる。その前後の立役者が『弓削道鏡』だ。
称徳天皇の下、看病禅師、太政大臣禅師、法皇と権力のトップに立つ。
そんな時、習宣阿曽麻呂(すげのあそまろ)が「道鏡を皇位に就かせたならば、国は安泰である」と言うのが、宇佐八幡宮の御宣託であると告げる。
反対派の和気清麻呂が命懸けで宇佐八幡宮に出かけ、阿曽麻呂の嘘を見破る。
その2年後称徳天皇は崩御。それに歩を合わせるように道鏡は下野させられ更に2年後、亡くなっしまう。
さて余談だが、2年前の12月阪大病院で検査入院の後、父博昭方祖母しずの生家、大住家の墳墓の地、
瀬戸内の淡路島の南あわじ市を2泊3日で訪ねた。
終日タクシーを借り切る。その運転手に、島流しにあった淳仁天皇の御陵を案内して貰った。
正面の小高い森が御陵だ。廃帝の墳墓とはいえ大規模なものだ。正面はと言うと、柵に囲まれていて、一般人は入れない様になっている。
この写真右手奥の建物の向こう側に見えるふたつの小山は、淳仁天皇に付き添って来た、女御のものだそうだ。
祖母しずの墳墓の地からわずか15〜20kmの所だ。
更には、この淡路島は伊弉諾神宮や伊奘冉神社があったり、銅鐸が沢山出土したりと日本の神話の世界の史跡も沢山ある。
今日の新聞から、マスコミによって世論が形成されつつある女性天皇容認論から、30年程前に読んだ『弓削道鏡』や
2年前に奇しくも訪れた南あわじ市の『淳仁天皇陵』とも物語は繋がったのだが、何とも不思議だ。
政府の広報機関と成り下がったマスコミに掲載された「女性天皇容認が90%」と言う調査結果。
明治以降、日清、日露そして第一次、第二次世界大戦へと世論、国論を煽ったのは、新聞に他ならない。
我が国では、2,000年以上男系男子で受け継がれてきた『天皇』
もし愛子さまが一般男性とご結婚されたとしたら、我々は、『帝王学』や『国民の安寧への祈りの作法』も知らない人を、敬う気持ちになれるのだろうか?
やっぱ桜でしょ
我が家周辺
辛夷に続きサクラが見頃
この桜林は20条6丁目、JICA研修センター北側の傾斜に植えられたものだ。
この北傾斜地は1970年頃、当時の地主荻原さんから借り受け15年ほどかぼちゃ、小豆、デントコーン、
牧草など作付けしていた、懐かしい土地だ。
その後帯広の森用地に売却し暫く牧草をつくっていたが、いよいよ植樹となり、サクラが植えられた。
この場所は北傾斜で且つ逆光のため遠目では、残念ながらあまりキレイに見えないが、
それでもサクラはさくら。心が和む季節だ。
我が家の庭の桜は樹齢80年近くの防風林の北側にある為、天辺から花が咲き始めている
日本人なら、やっぱ、サクラでしょ。
、
初エスコン
19日、勝農酪農科第一期生のクラス会が札幌ススキノで盛大に開かれた。
更に翌日は、メインイベントであるエスコンでの日ハム観戦だ。自分を含め初観戦のメンバーはワクワクだ
午後2時開始開始の4時間前に入場するも、フードコートやお土産売り場が充実していて既に大勢の人でごった返している。
お土産をと思うも全てカード払い。気づけば札幌のホテルに停めてある車の中にカードを置き忘れて何も買えず...
はてさて、老人の身にはトイレまでの距離の確認は最重要課題。案外近くて一安心。
2時間前になると観客席への止め鎖が外され、漸く座る事が出来る。
画面の左端が俺の席だ。我々は2階席で球場は一望。招待された野球少年団が続々とベースランニングを楽しんでる
グランドでは選手たちの練習も臨場感溢れる、観客を飽きさせないショータイムが続く。
さていよいよ15分前。目の前に一際大柄の人が座る。ただでさえ視界を遮る大きさなのに、体が右に左に。身振り手振りも入り、果ては前のめり。
ピッチャーからホームにかけて全く見えず、カキーンと言う音が聞こえても、弾道について行けずなんともなぁ〜
試合は圧巻の投手戦だったが、楽しみも半減だった。
おーっと。
すぐ後ろの人、右に左に身体を動かすオレ、観戦の邪魔だったかなぁ⁉️
バトンタッチ
3月26日福寿草が開花した。
そして今日。辛夷が開き始めた。
昨日気温26℃を越える夏日を記録し、
辛夷もビックリしたようだ。
そして福寿草はまだまだ一生懸命咲いているがしかし、間もなくの感は拭えない。
自己紹介で年齢を言うと、「そんな年には見えないわ!」と言われる自分に重なる!
帰りました。
11日は午前中タクシーで長崎市内を観光する。
前夜の運転手と打って変わって、口数の少ない人で、
「長崎は初めてですか?」
「私は50余年ぶりですが、家内は初めてです。」
「どちらか見たい所はありますか?」
「そうですね〜。平和記念公園とかグラバー邸。大浦天主堂とかですかねぇ。」
「承知しました。それでは出発します」
稲佐山を、ウネウネと下り20分程走ると平和祈念公園に着き下車。
だだっ広い石畳の広場によく映像で見る祈念像
次は昨日の運転手に聞いていた天皇家御用達のカステラ専門店匠寛堂と言う老舗に寄ってもらう。
我がウエモンズハートと同じく百銘店の称号が飾ってあり、その隣には上皇陛下ご夫妻の写真も飾ってあった。
それから坂道を登るとグラバー園入り口が有り、そこで下車。運転手さんはこのグラバー園のすぐ隣が浦上天主堂なので、見学がお済みにならるましたらご連絡下さい。数分で迎えにいきます。
と言って付いてこない。
入り口を入ると登りの動く歩道でほぼ頂上まで運んでくれる。
さあ降りはと言うと、車椅子でも移動できるように、ご親切にスロープが作られているが、
日光のイロハ坂の如く、すごい遠回り。膝痛を抱える老夫婦には勿論階段も辛いし、
延々と続くイロハスロープも辛かった。顔は笑っているが、膝も笑ってガクガク
そして天主堂。
こちらの言った所だけしか回らず、しかも説明は無し。挙げ句に1時間以上もタクシーを待たせての見学。
当方の希望の所を回ってはくれたのだが、3時間15,900円を払った観光タクシーには何かしっくりこない。
いずれにせよ、もうこの年なので、再訪は考えられないが、来てやるものか...❗️
さあ、長崎ともお別れし、佐賀嬉野市のナカシマファームを訪問
嬉野ICで待ち合わせ、先ずは新幹線の嬉野温泉駅前のナカシマファームの運営する第3セクターのショップや
旧街道の街並みの中のショップ
そして牧場に併設された工場も見学させてもらう。
後6:30からは横尾さんを交えて、佐賀市内で呑み会
横尾さんは全国の酪農家有志で立ちあげた「地域交流牧場全国連絡会」の初代会長。
自分は同じチャーターメンバーの中で、2代会長を仰せつかった仲だ。
翌日は佐賀市神埼のミルン牧場の工場を視察
この工場は昨夏、洪水で2m程の濁流に飲み込まれ、壊滅的な打撃を受けたそうだ。
しかし、息子さんが、「神は、試練を乗り越えられる人にしか与えない、と言っている。
つまり、試練を与えられたからには乗り越え無くちゃ!」と、強固な意志を尊重して再建。
今は通常に戻っているらしい。
そして再建された工場で作られたチーズを注文してきたので届くのが楽しみ。
そして、福岡空港から羽田、そして帯広目指して機上の人となる。