ファミリー
甥の子供濠汰、小学一年生が初めて参加した運動会の絵が地元勝毎新聞に選ばれて、紙面を飾っていた。
なんとも伸びやかで、画用紙と言う枠にとらわれていない。
話しは変わるが、「なつぞら」の撮影に同行していて気づいた事だ。
モニター画面に映っていない体の細部まで演技をしていると、動きに納得感が出てくるものなのだ。
その点藤木直人の演技は抜群だという事、素人目にも分かった。
因みにこの絵を描いた濠汰は、昨年夏同じ勝毎に写真で紹介されていた妹夫婦の孫だ。
その差20
公共性の高い一社)中央酪農会議が使用している、可愛い封筒で、27日の会議の案内が有り、出席して来た。
前日の東京入りで、飛行機が羽田空港に到着し、タラップが接続。ターミナル迄のその通路の中がもう異常に暑い。
目黒と西荻窪と二ヶ所尋ねる予定を立てていたので、三男がレンタカーで迎えに来てくれて、クーラーの効いた車で移動だ。さて車を降りたその後、暑いのなんの!36℃37℃だ!先日の大阪を思い出す。
翌27日、会議は午後なのでその前に丸善書店のあるOAZOに行く。
先日新聞で紹介されていた中島岳志著、「保守と大東亜戦争」を手に入れる為だ。
他を合わせて計5冊購入。
少しリッチでハイな気持ちで中酪主催の会議に出席する。
心筋症で3~4年のブランクが有ったが、阪大での手術後体調の良い状態で安定している事を確認してのお声掛けなので、尚楽しい会議だった。人間居場所あると言う事はこんなに幸せなものなのか!
しかし、この日も昨日と同じ位暑い!
会議終了後ビールをジョッキで頂くが焼け石に水?
さて昨日は午前10時にNHK朝ドラ担当者と会い、「なつぞら」の今後の脚本作りについて打ち合わせをした。
兎も角暑いので午後早々に羽田空港。
そして帯広に帰り着くと、涼しいのなんの!
17℃だ。
ヒャッホー!その差約20℃だ‼︎
宝物
廣瀬家渡道百年史を鋭意作成中だ。
今は全く使われなく無用の長物と化しているが、子供の頃我が家でも火鉢を使っていた。
その火鉢は曽祖父の初次郎が何処からか贈られた物だった事を思い出した。
車庫の2階に上がって見ると、果たしてそれはあった。
既に40年以上使わず放置されていたので薄汚れていたが、ボロ切れで擦って見るとかすかに「謝恩」の文字が見える。
反対側には「贈 廣瀬先生 南札内一同」と有る。
これは初次郎が昭和2年、南札内の教員を辞した時に贈られた物だ。
近々磨いて再利用しよう。大事にしなくては。
反故
現在、廣瀬家渡道100年記念誌を、鋭意作成中だ。
概ね130ページの大作になりそうだが、掲載すべき古い資料など中々揃う筈もない。畑から拾い集めた土器石器などの写真を載せるなど腐心している。
祖父種治はマメな性格で、親戚とやり取りした郵便物なども多数保存しているのだが、その中に昭和12年、15年、19年発行の戦時国債の証券が出て来た。
紙質は兎も角、12年、15年発行の物は今で言うB5サイズだが、19年ものは昭和30年代の葉書サイズより小さい。
逼迫感が伝わるが、利回りが良いと言うだけで、無けなしの小金をつぎ込み、果ては敗戦と同時に紙くずだ!
国家が倒産、転覆と言う愚だけは避けなければ...
見上げて見ると...
何年も整備せずにいたウエモンズハートの駐車場が、穴ぼこだらけになって雨降りの多い今年は大きな水溜りが出来て、お客様に迷惑をかけていた。
頼んでおいた業者にようやく来て貰い、砂利を入れ、整地して貰う。
昨日は土曜日で来客も多く、閉店後の作業開始予定だったが、来客の車が1、2台残っている。迷惑を掛けない様に作業開始。
遅れに遅れた整地作業だっが、漸くの事で安堵の胸を撫で下ろしながら、ふと見上げて見ると...
いやぁ、夕焼けだ!当に十勝らしい。
しばらく見とれていた。