お手伝い⁈
3歳9ヶ月になる孫は、大人のする事は何でも「手伝う!」と言って割り込んでくる。昨日はヒロじーちゃんの栽培しているブドウが沢山採れ、一粒ずつ食べるのが面倒になり、ウエモンズハートで使っている「スロージューサー」にかけるとブドウを圧搾し、生ジュースと皮、種を分離してくれる。
手伝う時は、椅子を自分で引っ張ってくる。
包丁で野菜を切っている時、ガスコンロで煮炊きする、或いはオーブンで調理する時なども近く迄寄って来るので危険極まり無い。
それでも、ミヨばーちゃんやマミばーちゃんは言下にたしなめるのではなく、危険で有る事を気長に言い含めているが、 何にでも興味を示す今が大切!
そう言えば、転んでもぶつけてもまず泣かない。
怒られても、本気になっているかどうか、相手を測っている。
どんな大人になるのか?ハートシート移植で余命を取り戻した今、何歳まで孫の成長に付き合えるか、楽しみだ。
真夜中の電話
18日の真夜中1時半頃電話が鳴り出して、深い眠りからひきもどされた。
時間的に嫌な予感が頭の中を駆け巡りながらも、受話器を取ると「帯広警察署ですが、ヒロセさんですか?」と女性の声。(警察?オレ何か不始末仕出かしたかな⁈と動揺しながら...)「ハイ、広瀬ですが、なにか⁉︎」「牧場をやっていると思うんですが、お宅の牛、脱走してませんか?」続けて「今、街のなかを走り廻っていた15頭の牛を確保しているんですが、確認して貰えませんか⁉︎」と有無を言わさない口振り。
身繕いももどかしく外に飛び出し、軽トラで牛舎を一回り。全てのゲートは閉まっていて、牛達も落ち着いている。
確認を終え警察に電話。「ゲートは全て閉まっているので、我が家の牛では無いですね。」すると「そうですか⁈白黒の牛7頭と他は真っ黒な牛なんですが、他に牛を飼っている牧場は無いでしょうか?目撃者によると芽室の方から走って来た様ですが?」
「私の近くでは肉牛を飼っている佐々木畜産がありますが、そちらに問い合わせ貰ったらどうですか?」「分かりましたありがとうございます。因みに牛達は耳に黄色い札を付けていますが⁈」「牛は全て付けていますよ。」と電話は終わる。そして念の為もう一度巡回して、漸く床に入るも目が冴えて寝付かれずにいると(警察は牛の耳標の話しをしていたけれど、特定のサイトに10桁の番号を入力すると持ち主が特定できるんだった!)と寝ぼけた思考が繋がり、再び警察に電話。「佐々木畜産はどうでした?」「会社に電話しているんですが出ないんですよ。」「会社と牧場は別なんですね⁈所で、先程牛の耳に黄色い札が付いていると言っていたけど、大きな4桁の番号では無く下に10桁の番号が牛の個体を識別する番号で、サイトで調べると飼い主が特定できます。」と情報提供する。
そんなこんなで3時過ぎに床に入るも、過去我が家でも繰り返していた牛の脱走劇が走馬灯の様に思い出され、なかなか寝付かれない。
翌朝佐々木畜産の社長に電話をすると「ウチでは無く小沢牧場だったらしい。特定出来たのは耳標からで、驚く事に警察が飼い主を調べて欲しいと牛の耳標番号を知らせて来た。警察はトレーサビリティの事知っているんだな。」「不思議でもなんでも無く、オレが番号を調べるサイトで調べてみな、と伝えたんだ」「なんだそんな事か、警察が言う番号を息子がパソコンで調べて小沢さんと特定出来たみたいだ。」と一件落着。
考えて見ると、我が家の西、芽室の街迄の間に佐々木畜産、東原畜産、大成牧場(小沢)と数千頭規模の肉牛牧場が3つもあり、10,000頭近くの牛がひしめき合っているんだなぁ!
揖斐
11日から千葉県船橋市のイオンでミルクランド北海道の催事があり、ソフトクリームの販売に合わせてミルクランド北海道アンバサダーの黛えりかさんと、オレが酪農家を代表してのトークイベントに出演した。その効果もあり昨日はソフトクリームは長い行列が何時間も続き、皆様にはご迷惑をお掛け致しました。
さて、催事は今日が最終日なんですが、家内達にまかせて早朝より船橋を出て今養老鉄道で揖斐にむかっています。
名古屋で乗り換え...
揖斐では上善明寺と廣瀬勲さんを訪ねる予定。
無罪?放免
台風24号の影響で1日早く帯広を出発したが、今月1日予定通り阪大に検査入院。
入院当日の夕方、懐かしくてホスピタルパークに出てみると、矢張り大阪、まだまだ汗ばむ暖かさだ。幾つかの検査を受け、昨日病状説明が宮川先生からあった。状態としては1月の半年検査から大きく悪くなっている所は無いそうです、が、矢張り動き過ぎと、加えて体重のコントロールをして下さいとキツく言われた。この病気は状態の良好さが続いていて、耐えられなくなると、ガクンと悪化し元に戻る事は出来ないんですよ、と!直後は、胸にしっかりと刻んで帰るんですが...
何れにせよ、好結果を持って今日帯広だ!
涼しいい⁈寒い‼︎
百年誌
今、200頁を越す本の作製が佳境を迎えている。あ〜〜、忙しいわ〜!
何たって6月のひと月、来年放映される予定のNHKの朝ドラ「なつぞら」の酪農指導を依頼され、付き合わされたのが運の尽き。11月23日完成予定が年内へと1カ月がのびてしまった。
あっ、スミマセン!
ダラダラと言い訳がましい話しから始まり、なんの話し?と怒られそう。
本邦初公開⁈ こんな表紙の本を作っています。
サブタイトルにある様に、我が廣瀬家が岐阜からここ十勝に移住して今年100年を迎えるに当たり、何か記念になる本を作らないかと父に持ち掛けられ、今年の2月頃から取り組んでいるものです。
この本のタイトルは「賢者は歴史に学ぶ」とした。この言葉の前には「愚者は経験に学び」と有る。先人達の失敗や成功からこそ多く学ぶ事がある、と言う意味だ。子や孫たちの人生への参考書になれば、此れに勝る幸せは無い。
この本は4章に分かれている。
第1章は「今昔」とし、初代初次郎が北海道移住に際して迷わず百姓と言う職業を選択し、今の広瀬牧場に到っている。その農業の今を過去と対比し変遷を表現した。91才になる父の書いた年表も分かりやすい。
第2章は「大河」である。
廣瀬家は百年5代に亘り百姓を続けているが、自分の過去を振り返ると、すんなりと百姓と言う川の流れに乗れたかどうか甚だ疑問で危ういものだった。
30年ほど前、10年間十勝川の筏下りに参加していた。そのコースの後半には十勝川と帯広市民の生活用水として使われている清流、札内川の合流点がある。そこを過ぎると、驚く事に茶色い十勝川の水と透明な札内川の水が混ざる事なく、並行して流れていた。そのまま500mほど下り川のカーブの所で漸く一色になって、何事も無かった様に悠然と十勝川は流れていた。平坦に代替わりが出来なくとも100年農業が続いている。我が母なる川「十勝川」流れに乗ってみて初めて理解出来た。続けるという事はこう言う事か、と!
この章では5代夫々の生き様、葛藤を書いてみた。
第3章は「渡道以前」である。
旧家ともなかなか言えない廣瀬家ではあるが、我が家には600年位前までなら間違いなく遡れる系図がある。その系図に載っている先祖の名前が記されている古文書が、出身地岐阜揖斐川町の町史に何枚か掲載されている。又、600年前の先祖は武士を捨て、天台宗の僧侶になりさらに蓮如上人に出会って浄土真宗に改宗し、いま現在も同町に上善明寺として威容を誇っている。
そんなこんなで、古い系図がある事により様々想像を巡らすのも楽しいものだ。
最後、第4章はストレートに「系図」だ。
これは3部に分かれいる古系図と、我が家にある300年に亘り存在する位牌を参考に一本の系図として完成させたもを掲載した。
自分にとっても初となる大作だが、何せ本気で推敲を重ねて文章を書いたのは40数年前、当時の彼女に書いたラブレター以来だから、内容は推して知るべし。
居直っている訳では無いが、完成が待ち遠しい⁈