旅の手帖6月号
昨日、株式会社 交通新聞社からウエモンズハート宛に大型の封筒が届いた。
封を開けると、旅の手帖6月号と言う冊子が入っていた。
ひと月程前に取材があった物が掲載され、記念に送って頂いた。
開いて見ると、20.21頁の見開きで六花亭、ウエモンズハートそしてトテッポ工房の3店が紹介されていた。
昨年はアイスクリームの百名店に選ばれたりと、
ウエモンズハートを支えて下さったお客様を始め、店長以下スタッフ一人ひとりが自分の仕事以上に頑張ってくれて
店を始めて25周年を迎えられた証で、感謝しかありません。
今後とも宜しくお願いします。
頭を雲の上に出し
あれ?雲の上に幌尻岳が浮かんでる
「頭を雲の上に出し......富士は日本一の山♪」と、唱歌が口をつく。
雲がかかっても頭を隠しているのが常だが、日高山脈でも数少ない2,000mを超す主峰の一つだからか、珍しい風景だ。
話は飛んで...
国定公園から国立公園への昇格にともない十勝を入れる入れないの議論がかまびすしいが、
日高側からは、頭を雲の上に出している山々の風景は見えないだろうなぁ。
そして地図上の日高山脈も、屏風の様に連なって見える十勝側からだと、大いに実感できる。
しかし、卑近な例では、富良野から見る十勝連峰だ。これに上川を足せと言っているようなもの。
十勝を無理に入れる必要はあまり感じられない。十勝が横車を推しているようにもみえる。
いつぞやも書いたと思うが、帯商会頭の川田君が言っているように、いつその事「日勝半島国立公園」にして、
日高山脈を背骨にした、日高、十勝を一体とした観光や生活を考えた方が将来があるのでは⁉️
提案するなら、こちらの方がよほどスマートな提案だ。
海産物や馬の日高、農産物や畜産の十勝。そしてジビエ。
加えて、計画の80%近くが完成していながら、2003年に事業を廃止している日高横断道中札内静内線道々111号線を
復活させたらきっと素晴らしい観光道路にもなる。
広尾港を起点に日高十勝の周遊コースも考えられる。
公園の名前なんてチマチマした事言っていないで、「日勝半島経済圏構想」を実際に話し合って見ては...
絶対共存できそうだけど...
イヤ、何倍にも魅力を増幅出来るゾ!
延命措置⁉️
今朝の我が業界紙一面の見出しに目が行った。
「定年帰農呼水に」
その処方は「給付金創設」と有り
それは国では無く地方自治体「徳島県佐那河内村」で
「U・Iターン」「50〜66歳対象」とある。
ここ数年日本の人口が減少し始めている中、最近、特に今年に入って「2050年 消滅自治体予測」のニュースが流れ始めた。
各自治体は存亡をかけて色々な政策を打ち出しているが中々特効薬は見つからない。
しかし数年前に視察に行った同じ徳島県の上勝町の「葉っぱビジネス」なんか、結果としての自治体生き残り戦術だ。
刺身を始め食事に添えられるひとひらの小さな葉っぱのニーズがある事を知り、東京の築地市場に卸をはじめる。
尋ねた農家のおばちゃんは1,500万円程稼いでいると豪語していた。
パソコンに入る注文を毎日確認し、それに応じて葉っぱを採取し、プラのトレイに10〜20枚に小分けして
発送するものだ。
毎日毎日早起きしてパソコンを眺め、注文が入れば背負子を負って傾斜地を上ったり下りたり。
そしてきちんと商品化して発送まで全て自分達で行う。
自治体では、老後の介護費用まで減少して、一挙両得です、と話していた。
翻って、佐那河内村の様に特に補助金を付けてまで定年帰農を促進しても、10年15年の延命措置にしか見えない。
もっと根本的な対策が有るのなら別だが...
凡そ55年
上札内元更別の山林の伐採が連休直前か、始まっていた。
1日夕刻、森林組合の担当者から、始まってますよ、と連絡が有り、昨日朝から老父を連れ現場に駆け付ける。
下台の傾斜部は既に終わり
高台に移っていた。
昭和46年に、森林組合に頼んで植樹して貰ったものだが、我が老父は40代に入ったばかりの頃で、祖父の種治も60半ば。
自分はと言うと、短大の一年生だった。
その頃祖父の意を受けて青年期真っ盛りの父が先頭になって、殺鼠剤を撒いたり、7haの植樹地周辺をネズミよけの溝をスコップで掘ったりと
様々育樹の為の作業を行った。
自分と同じ様にそれらの思い出が脳裏を駆け巡っているのか、「趣味で植えた訳ではないから当たり前何だけど
伐採を目の当たりにすると、裏寂しいものがあるなぁ」と感慨に耽っていた。
その後山小屋に移り昼飯。
窓外の20年生のカラ松を眺めながら「毎年毎年成長する木を眺めるだけでも若返る。」と言う先に
居眠りを始める
居眠りを始めたオヤジを小屋に残し一時間程タラの芽を採ってくる。
澤先生、凄い❗️
SNS上の4月26日付讀賣新聞ニュース。
2025年開催予定の大阪万博で、パソナグループが、澤芳樹大阪大学特任教授をエグゼクティブプロデューサーに迎え、
「いのい、ありがとう」を基本理念とするパビリオン展示が決まったそうだ。
澤先生と言えば、私の命の恩人。
もう7年前。指定難病の拡張型心筋症に発症し、余命5年の宣告を受けてから3年目の事だ。
帯広厚生病院の当時の循環器内科の主治医小山先生に、大阪大学病院で心臓へのハートシート移植の治験が始まっているので
是非受診してみては、と勧められ、お世話になったのが澤芳樹先生だ。
その澤先生がハートシートから更に進化して、「IPS心臓」を作り出したそうだ。
それは縦2cm.横1.5cm.厚さ1cmの立体モデルで実際に拍動もする。
研究開発している澤先生は、拍動する様子から命の躍動を感じてもらい、それをきっかけに、若い来場者や研究者が将来、
心臓の再生してを実現してくれれば、と話されている。
今を生かされている自分にとって、澤芳樹先生との出会いは、我が人生の誉れだ。