平成7年3月20日
30年前のその日。
朝7時半、明治飼料の新井君と言う若い職員と愛知県の三河安城に向け、千葉県の蘇我駅から京葉線の電車に乗り込む。
通常なら京葉線で東京駅。そして新幹線に乗り換えて向かう筈だが、南船橋で武蔵野線で西国分寺へ。
そこから中央線で八王子。
そして横浜線で新横浜駅と、首都東京を迂回して到着。
いよいよ新幹線に乗り換え、三河安城へ一直線。
そこで出迎えてくれた明治飼料の職員が、東京駅に近い地下鉄で毒ガス事件が有ったようだけど、大丈夫でしたか?と言うでは無いか。
後々、オウム真理教が起こしたサリンと言う毒ガスを電車内や駅構内で撒き散らした、
無差別殺人テロと知るのだが、その時は何がなんだかよく分からず、二日間愛知県県内の複数の酪農家の
糞尿処理について視察、意見交換を続けたのだった。
何故その日の朝、東京から新幹線に乗らなかったのか、明確な理由がある。
話しは少し遡ってその年の1月7日、自分は帯広厚生病院で肺癌の疑いで右肺上葉の切除手術を受けたのだ。
術後経過は良好で一ヶ月程で退院するのだが、右胸の乳首の下から肋に沿って肩甲骨の下まで切っているので
農作業に中々復帰できず、さらに右肺の三分の一を取ってしまっている為、肺活量が減少。
2階への階段を登るだけで、肩で呼吸するも酸欠状態。呼吸困難に陥っていた。
そんな折、明治乳業帯広工場長の藤倉氏の申し出で、職員を一人随伴させるので、是非糞尿処理の先進地千葉と愛知県を
視察して来たらどうかと、提案されたのだ。
この旅程は全て藤倉さんの差配だったのだが、何故東京駅から新幹線に乗らなかったのか⁈
これは10年程後に知るのだが、京葉線の東京駅から新幹線の乗車口まで地下道を500m以上歩かなければいけないのだ。
右肺を切除したばかりで肺活量が回復していない私に対して、極力乗り換え移動の少ない路線を選んでくれたのが
先に書いた、東京を迂回するコースだったのだ。
日経新聞によるサリン事件の発生場所には通ってはいないが、時間的なタイミングで東京駅周辺は規制され
身動きが取れない事態に巻き込まれる事必定だっただろう。
どんな事から、被災したり難を逃れたり...
拡張型心筋症で余命5年の宣告を受けながら、帯厚生の小山先生。そして阪大の澤先生へと先端医療のバトンリレー然り‼️
自分は何かに守られているのだ。