與七さん
27日午後、ウエモンズハートの店内でJAの職員と話しをしている最中の事。
ツナギ姿の息子が「オヤジ、お客さんだよ!」と声をかけてきた。
呼ばれるまま店の外に出て見ると、クールビズで背広を着た10数人の集団が居るではないか。
はて?見学などの予約は無かった筈だがと思いつつ目を移すと、一際ニコニコした白髪のおじいちゃんに目が釘付けになり、思わず「アレー、與七さん!お久しぶりです。お元気そうで...」と手を握りしめた。
與七さんを含むこの一団は、東京都酪農組合の役員一同で、
育成牛を委託育成して貰っている本別町の公共牧場を視察して来た帰りだそうだ。
東京都下の酪農家は現在39戸にまで減少。風前の灯状態だそうだ。
與七さんのフルネームは小泉與七。住所は練馬区大泉学園駅近くにあり、東京23区内唯一の酪農家でもある。
今から26年前の平成10年に、社)中央酪農会議が主催する酪農教育ファーム活動の立ち上げに、オレと共に呼ばれた中の一人が小泉與七さんだ。
当時の與七さん曰く「大正時代からの牛飼いで、畑の真ん中だったものが、街がどんどん我々農家を飲み込んで行った。すると近隣住民となった人達から臭い、ハエが多い、夜の牛の鳴き声がうるさいなどと苦情が入り始め、挙句には区役所や保健所の職員なども定期的に、移転勧告に来るようになった。
そろそろ潮時か、いつ止めようかと思案する日々が続いたある日、近隣の大泉学園小学校教員の横山弘美先生が小泉牧場を訪ねて来た。最近小中学で総合的学習の時間が導入され、クラス担当教員の裁量で授業が作れるようになった。ついては小泉牧場で牛に触れさせて貰い、お産を見学したり、乳搾りや餌やりなどを通じて「食や命の教育」をやって見たいと、相談があった。」
その事をきっかけに、それまで「邪魔な牧場」だったのが一転して「無くてはならない牧場」になったと感慨深げに語っていたものだ。
今は息子の勝さんが同じ場所で頑張っている。
そんな理念を元に平成11年に地域交流牧場全国連絡会が組織され、その活動の柱が酪農教育ファーム活動となり、更に平成16年には、今度は国が食育基本法の条例を制定する嚆矢となっていたのだ。
與七さんの突然の来訪で、40代後半の一時代を思い出し、懐かしく感慨に浸った。