特発性拡張型心筋症の末路
先日24日、旭川で阪大病院(現在は大阪警察病院院長)で心臓血管外科の教授だった
澤芳樹先生と堂前先生との昼食会に誘われ、先生と思いがけず嬉しい再会を果たした事は先日
報告したばかりだ。
しかし、これには後日譚があるのだ。
澤先生と昼食を摂った翌日は稚内で一泊し友人と食事。
そして翌々日、宗谷岬を回りオホーツク海岸を南下し、宿泊予定の雄武町日の出岬ホテルに向かっている途中の事。
道の駅でトイレを利用中、T町に住むS牧場の奥さんから久しぶりに電話が入った。
二、三、世間話の後、「実は16日にダンナが亡くなったんだ。送り出し、初七日が終わり漸く落ち着いて今日連絡させてもらいました。」と言うではないか。
「...何と...想定外の連絡で...だいぶ状態は良く無かったの?」と言うのがやっとだった。
実はこのS牧場のご主人は3才年上(のはず⁉︎)だから74才位で、自分自身が拡張型心筋症と診断される2年前に、矢張り同じ病気だと診断されていたのだ。
10万人に3~4人と言われる難病の為、夫々同病と言う事もあり、折々に奥さんが連絡を寄越し、ご主人との病状確認をしていたのだ。
彼はT町の診療所とK市の総合病院で診て貰っていて、病状は同じ様に進行していて、自分の2年前にCRT-D(AEDとペーシング機能内臓型)と言う
ペースメーカーを植え込んでいた。
彼の2年後、自分も矢張りCRT-D植え込むのだが更にその2年後、阪大の澤先生にハートシート移植術を受け現在にいたるのだが、
その先端医療について澤先生は、S牧場の友人についても「いつでも診ますよ」と言って頂き、
その事をS牧場のご夫婦に伝えたのだった。
そのご夫婦は、K市の総合病院の担当医に相談するも、「あなたは糖尿病があるから心臓の手術は不可能だ」と言われ、
阪大病院での受診は諦めていたのだ。
それから2年後。
彼はペースメーカーの電池の寿命が来て交換するのだが、その術後耐性菌の感染症を罹患し
札幌の病院で滅菌とペースメーカーの交換をするのだが、耐性菌のため何ヶ月か入院したのだった。
しかし予後は芳しく無く、更に心筋症は進み、歩行困難になったり、痴呆症を発症してしまったのだ。
昨年中頃、痴呆が酷く施設に入って貰ったと連絡があり、
更に年の後半あたりには想像以上に心房細動(拡張型心筋症の末期的な症状)を頻発していて
ペースメーカーの電池の消耗が激しく、また新たにペースメーカーを交換しなければならないとの話しまでは聞いていたのだが...
拡張型心筋症は進行性の病だ。
その機序は、先ず左心室の心筋が弱り始め、血液を身体全体に送る力が徐々に低下してからだの隅々まで酸素が行き渡らなくなる。
その為毛細血管の多い部分(例えば、腎臓、肝臓、脳など)に障害がで始める。また身体の余分な水分も排出できず、
呼吸困難になるなど、多臓器不全を併発し更には心房細動と言う心臓が痙攣を起こし死に至る。
S牧場のご主人は、特発性拡張型心筋症と診断されてから脳に障害を起こし最後には心臓の痙攣をおこすと言う、
典型的な症状で、ほぼ10年で亡くなってしまった。
治療法は心臓移植しか無いが、平均6年待ちで、病状の進行との競争だ。
しかも65才以上になると移植を受ける権利すら無くなるのだ。
自分も振り返ると2014年秋口に帯広厚生病院で病名が判明。同時に余命5年との宣告を受けた。
年が明け2015年4月病状が進み翌5月、ペースメーカーの移植術を受ける
病状も一進一退、同年11月にも入院
更に2016年10月又々入院。年末年始の病院食もお節料理が出るのだ
そして2017年1月何とか持ち直し退院
この後四日市での結婚式のあとだ。2017年4月23日下呂温泉へ出かけた
この温泉滞在中に帯広厚生病院の担当医小山雅之先生から、阪大病院行きを勧められるのだが、
その前まではS牧場のご主人と同じ病状を辿っていて、吾や先他人や先だったが、
ここから私自身の運命は"生"へと、大きく舵が切られたのだった!