「3月10日」と言う日
今WBCで日本中が大盛り上がりだ。
プールBの日本、中国、韓国、チェコスロバキア、オーストラリアの5カ国が9日から、
東京ドームで予選が繰り広げられている。
大谷翔平、ダルビッシュ有そして日系人のヌードバーを始め、国内で活躍中の若手選手30人の
活躍で新聞テレビはWBC一色と言っていいほどだ。
10日には始球式には、高校時代野球部だったと言う岸田総理が登板し、キャッチャー役には栗山監督
背番号101番の岸田総理の大暴投のボールを追いかける栗山監督
栗山監督がサインしたボールを嬉しそうに受け取る総理
その後日韓戦が始まるのだが、その後の夕食時だ。
96才の父親はおもむろに「3月10日はな、アメリカのB-29大編隊が東京の空から無差別に焼夷弾を投下し
10万人が亡くなった東京大空襲の日だ」と話し始めた。
「その日の夜半から爆撃が始まり、現在の文京区湯島に有った下宿屋の2階の物干し場から焼夷弾が落ちてくるのがよく見えるんだ。
ゴム糊の入った6角型で50cm程の筒が36本束になった爆弾がB-29から数え切れない数が投下された。
その焼夷弾の固りに火が付いたと思ったらタガが外れバラバラになって花火の様になって落ちてくるんだ。
すると間も無く大きな火の手が至る所であがり、あっという間に周りは火の海になって行った。
その夜自身の送別会に出かけていた10才年上の従兄が慌てて帰って来て、博昭何やってる早く布団を頭から被ってすぐ逃げるぞ!
と促され、何とか上野の山まで逃げ生き延びる事が出来たんだ。」
「イヌやネコ、人も腕や足を突き出す様な格好で真っ黒焦げになってあちこちに転がっていた。
又、防空壕で蒸し焼きになったり、隅田川には無数の死体が浮いて居て、兎も角酸鼻を極めた。
火も消え少し落ち着き始めると、死体を重ねる様にして車で運ぶ人。家族を荼毘に付す人。雨つゆを塞ぐ準備をする人。」
、話しはまだ続くのだが...
その日から78年の時が過ぎ去ったが、老父の瞼には決して消え去る事のない鮮烈な映像だ。
昭和20年3月10日はアメリカ軍が無差別爆撃で一般市民10万人を無差別に殺戮した日である事は、
国民の記憶の彼方に追いやられてしまっでいる様だ。
WBCが真の平和の祭典となる事を祈る。