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2022年5月15日(日) 16:24

そくせき

 即席ラーメンの話しでは無い。
先祖の移動ルート。つまり足跡についての話題。
もう5年も前の事。
廣瀬家のルーツと渡道後の足跡を調べ集大成した百年誌「賢者は歴史に学ぶ」を物した。その中で感じた事は、代々の奥さんの功績は夫々のオヤジ以上のものが有ると言う事だ。「感じた」よりも「痛感した」の方がより真実に近いのだ。
 さて今回は現在95才になる私の父の母親(私の祖母で昭和20年6月19日、父が18才の時に39才の若さで亡くなっているので、父にも断片的な記憶しか無い)のルーツである。
祖母の実家は上札内で駅逓(旅館)を営んでいた。
それ以前は北海道庁から茂寄村モイワで土地(原生林)の払い下げを受け馬牧場を開いていたらしい。除籍簿にはモイワ番外地とあるが、老父はその場所には随分と昔しに親類に連れて行ってもらったのだが、今では見当が付かないらしい。大樹町役場でもハッキリした位置情報は分からなかった。
 
 さてその除籍簿には大樹に来た最初の住所が、茂寄村エンダタラとある。大樹町史には当地の開拓者の中心的存在の一人で、エンダタラに八幡神社を勧進し、軍配を寄進したとある。
 オヤジの記憶ではその母方の祖父は、大相撲の行司をやっていたらしいとの事で、町誌とも合致する。
 そのエンダタラで代々農業をやっている知人にそこに案内してもらった。
そして何とそこの庫裡の欄間に明治38年の寄進者の名を書いた銘板が掲げられ、祖母の父の名前が書かれているではないか!
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最後の世話人としても書かれている。28BE9E89-7BC4-4442-B097-2BA26F277C19.jpeg

除籍簿の中では出身は兵庫県三原郡とあるので淡路島南部であるが、これも父の記憶と一致する。
 
 さて、大相撲の行司であった事を裏付ける資料を探さなければ...

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