『「感動」に違和感』に、違和感
今朝の道新のコラム、〝政官ウォッチ"から
先日行われたウクライナのゼレンスキー大統領の、日本の議員会館でのテレビ演説に対しての、国会議員の態度についての論評だ。
『開始1時間前から行列をなし、会場内では黄色と水色に身を包んだ姿を自撮りする。イベント会場のような光景に、少し違和感を覚えた。』とある。
この演説には500余名の衆参両院議員が参集した事は、このコラムでは報じていない。それだけの人数が入り切るにはそれくらいの時間は必要だろう。
続いて『黄色と水色の服に身を包んだ姿を自撮りする。』
黄色と水色の服装と自撮り行為をくっつけると、なるほど!当にイベント会場になってしまう。しかし黄色と水色はウクライナ国旗の色で、こちらの映像を見た時に『日本はウクライナと共にある』事を知らせる意味では、言葉では無く、一つの大事な意思表示だろう。
また現在はSNSの時代だ。議員は各々の意思でウクライナへの支援を訴える筈だ。そうであるなら、大勢のウクライナカラーの議員達の映像に乗せての発信はすごく効果のあるものだろう。
次に『山東昭子参議院議長のあいさつに違和感は強まった。』と「クエスチョンマークを強調する様な」前置をきし、「貴国(ウクライナ)の人々が命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」の言葉に対して、『感動?頭の中に、はてなマークが浮かんだ。』と続ける。
さらに違和感のダメ押しのように『まるで五輪メダリストをたたえる様な言葉。ウクライナの国民は望んで戦っている訳ではないだろう。云々』と「違和感」に、上書きする様に文章をたたみかける。
いったいに、このコラムを書いた方は何を言いたいのか?
議長の「感動しております」の言葉は、命懸けで国を守るウクライナ人の行動に感動しているのだ。そしてかえす刀で、憲法9条を金科玉条として自衛の手段で有っても戦力を持つ事を、戦争の元凶のように捉える日本人に対しての警鐘である事は間違いない。
自国を守るために「望んで戦っている」し、「逃げる事は明け渡す」事になり、武器を使って侵入してくる敵国人に対しては「持ちたく無い銃であっても持つ」のは当たり前。
このコラムニストは、『自衛』を『暴力』に置き換え、それに対して『感動』している山東議長の言葉の『違和感』を殊更強調してまで、何故に日本の防衛力強化には反対するのか?
理解出来ないのは、自分だけだろうか⁉︎