おじさん図鑑
2月8日付け道新11面、エッセイスト飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」を読んで...
相変わらず高齢者を的にした、ある種脅迫的なテレビコマーシャルが横行している。加齢による身体の不調は避けようが無い。そこに企業が目をつけた。
サプリメント類の多くは「治る」ではなく、これを常用すれば「若々しさを保てる」と「老いの不安」に付け入る。更に「今から30分以内に申し込めば、1ヶ月分が半額に」とあおりたてる。
90才になる軽度の認知症のおじいさんは、その種のCMに接すると焦燥を覚えるらしい。「30分しか時間が無い」と焦りつつ、メモした電話番号に注文の電話をしてしまうそうだ。
ところが、先方から「電話番号とご住所をお願いします」と言われると、立ち往生してしまうそうだ。電話番号も住所も記憶からすっぽり抜けて、答えられない。
つまり認知症が防波堤になって、なんとか窮地を脱していると言う、笑うに笑えない話しだ。
さて自分も気がつけば、94才の父や90才の母に比ぶべくも無いが、70才まで後一息の立派な高齢者だ。
自身、還暦を過ぎたあたりから体調不良が始まり、10万人に3~4人が発症する難病の特発性拡張型心筋症と診断され、余命宣告を受けて過ごしてきたこの10年は、一日一日が「生を続ける」為の戦いの日々だった。
そして、治験に出会い、取り敢えず死を意識しなくても良い身体にしてもらった。そして気がつけば70才間近。
自分で感ずる老い。そして残された人生を思う。
先ず食が細くなった。夕食時に頂くビールは500ml缶一つを94才の父親と分けて丁度良い。これは身体が省エネモードに入った。これは立派な社会貢献だ。
二つ目。忘れた事を忘れている。いくら指摘されても知らない物は知らない。これって最強だ。
三つ目。新聞の死亡広告をみると、80代で亡くなる方が断然多い。とすると、自分に残された時間も後10年と少々。悔い無く生きようと足踏みばかりで、時間だけが進んでいく。
四つ目。老人の話しは同じ事の繰り返し。嫌われる元だ!
考えて見ると、おれは30年来酪農教育ファーム「十勝農楽校」を続けているが、これって同じ話しの繰り返しだ!しかし、都合のいい事に同じ学校、同じ学年でも生徒は毎年新陳代謝。話す度にギャグが入ったりクイズが入ったりと磨きがかかり、来年度の修学旅行なども既に、体験申し込みが入りはじめている。
家内は、病を得て肉体労働が出来なくなったおれに、これからは「口だけオヤジ」は、口だけで老後の糧は稼げそう。心配ないね。と自立をうながす。
「あれも出来なくなった、これもダメだ」じゃ無くて、「まだあれが出来る、これもだ」と、老後を楽しみたいものだ。