四季
劇団「四季」では無く、ビバルディの「四季」でも無い。
我が業界紙日本農業新聞の一面コラム「四季」の事だ。
コラムの初めに、映画監督大林信彦氏の言葉として「もはや戦後ではない。戦前である。」が紹介されていた。
調べてみると、前段の「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書が初出らしい。つまり一人当たりのGNPが'55年に戦前の水準を超えたことによる、政府の自画自賛用語のようだ。'52年生まれの自分にとっては、耳の奥にこびり付いている言葉だ。無論3才の頃のリアルタイムの言葉では無く、間もなく普及し始めたテレビの国会中継で当時の池田勇人総理の答弁などで聞いた言葉だ。
しかし今日のコラムでは「...。戦前である。」と続くが、新型コロナウイルスが蔓延し収束が見通せない中、世界中の国が内向き、自国第一主義になっている現状を上手く言い当てている。国ばかりでは無く国民生活の中でも、所謂「自粛警察」なるものが横行するなど自粛疲れとも相俟って、不寛容が横行し始めている。
当に戦前。第二次世界大戦前夜のようだ。
このコラム「四季」の最後に<人は「ありがとう」の数だけ賢くなり、「ごめんなさい」の数だけ優しくなり、「さようなら」の数だけ愛を知る>とある。
けだし、至言だ。