お叱り...
4月20日月曜日、札医大の小山先生に診てもらう。
今回も心肥大は見られず、bnpの値も頗る良く、常人と変わらない位だった。
しかし、新型コロナが猛威を振るっている現状に鑑み、先生、患者共にマスクの装着は当たり前。聴診器や血圧測定など患者に触れる行為は、余程の愁訴が無い限り行わず問診のみ。
次回は、月一の検診も5月は飛ばし、6月下旬の受診となった。
問診だけでも月に1度は診て貰いたいのは山々なのだが...
さて、その問診の中で、ここ1か月の身体の状態や、行動など聞かれるのが恒例だ。
16日に帯広を出発。その日の午後雨竜町の藤江秀俊(短大時代の同級生でしかも寮では相部屋だった)を尋ねる。彼は水田農家で米の仕入れ販売もおこなっていて、その取り扱い高は4万tとか。規模がデカ過ぎて分からず尋ねると、留萌農協と同規模との事。農協と同規模⁈と聞いて大いに驚いた(寮生時代はこんな経営者の片鱗すら見えない遊び人だったが!)。
その夜は北竜町の温泉でヒデ(藤江)と共に夕食。18.19才の頃の遊び人時代に戻って話が弾み楽しい時間だった。
翌日北竜町に別れを告げ、留萌経由で一路稚内を目指す。その日の朝のレクサスのメーターは帯広を出る時は49,404kmを指していた。
留萌から先国道232号線は、同乗の家内共々初めての道行だ。天候にも恵まれ且つコロナによる外出制限のせいか、車通りも少なく快適なドライブだ。
小平を過ぎると、ニシン番屋で小休止。展示館なども見学。
ズンズン北上して行くと、雲間から利尻冨士が見え初め、更に進むと完全に雲も取れ目を奪われてしまい、一旦停車し写真に収める。
手塩から抜海を目指して更に海岸沿いを北上。
道路は真っ直ぐ。左手の利尻冨士も進む程に大きくなり、右手には風力発電の風車が林立。浜風を受けてグウーン、グウーンとゆっくりだが力強く回っている。天候に恵まれ、どこまでも真っ直ぐで車通りも殆ど無く、快適なドライブだ。
昼過ぎ、抜海の上原太一宅に到着。電話、メールは週一以上と言う帯農、短大と同級の友人。今回の一連の入院、手術時は励まし続けてくれた。左隣が太一だ。
その後、一昨年実習してくれたのち酪農家に嫁いだ藤木志保(堀)にお祝いを届け、その後、太一と共に宿泊予定のペンション「アルメリア」に移る。
太一を交えて3人で夕食を摂りながら、夜中まで思い出ばなしに花を咲かせる。
翌日、再び太一を乗せ、これもまた過去の実習生の皆川拓也君の牧場を訪問trim.B4FC279A-FAE0-415C-A99D-6211C8D89A59.MOV
そして手塩の同級生、黒川益毅君の牧場だ。
夫々短時間では有るが、旧交を温めその夜は太一宅に泊めて貰う。
翌日19日朝食をいただき、札幌に向かう。その日のは更に快晴。今度は右手に利尻冨士を見ながら、抜海に別れを告げ一路札幌へ。帰りも、留萌から増毛、浜益を通り札幌へ。全行程日本海側を走り抜ける。
さて、今回札医大受診に至る迄の行程を掻い摘んで先生に報告すると、「新型コロナが蔓延して非常事態宣言が出されいるこのご時世に、遠方への旅などもっての外ですよ。」とたしなめられた。
新型コロナに感染すると、重度の心不全、腎不全、高血圧の人。そして高齢者(自分も家内も心臓病の一級障害者で尚且つ高齢者と言う身の上だ。)は死亡率が高くなると言う情報も知りつつの旅を強行してしまった。
因みに、16日帯広を発つ時のレクサスのメーターは49,404km
21日に帯広帰着時のメーターは
ゆうに1,200km以上走破してしまったのだ。