68
昭和27年(1952)3月31日が自分の生まれた日だ。
そして今日令和2年(2020)3月31日、無事68才の誕生日を迎えた。
朝はウエモンズハートの職員から、おめでとうコールを頂いた。
そして夕食時。
93と89の両親始め、家内と長男夫婦。そして5才と8ヶ月の孫達に囲まれ、誕生祝いにしゃぶしゃぶをご馳走して貰う。我が家の祝宴開始の合図は上の孫の仕事で、彼女の「カンパーイ!」から始まる。
久しぶりのしゃぶしゃぶで箸が進む。そしてビールに日本酒。昔ほどは行かないが、美味しくほろ酔い程度に頂く。
母親からは「ホントにフミが元気になって何にも言う事無い。」と言われ、感慨も一入。
思えば、帯広厚生病院で1か月の検査入院の結果は「10万人に3〜4の確率で発症する難病の特発性拡張型心筋症」と伝えられ、合わせ余命5年の宣告を受けたのが平成26年(2014)10月62才のことだ。そして半年後症状も悪化し再入院したのが27年(2015)4月14日。3か月の入院治療の末、CRT-Dと言うSED内蔵の心臓ペースメーカーを移植され退院。暫く小康状態を保つも自力歩行も僅かずつと言った状態だった。
28年(2016)10月には心臓発作こそ無かったけれど、歩行困難な日が続き三たび入院。24時間酸素吸入とドブポン(強心剤)の点滴。歩行厳禁の車椅子と言った状態だった。正月も病院で過ごし29年(2017)1月末漸く退院するも安静な生活を指示される。
そしてその年4月担当の小山雅之先生から運命の電話が入り、彼の紹介で阪大医学部心臓血管外科の澤芳樹先生を紹介され、5月8日受診して即日入院。
7月26日、まだ治験段階のハートシート移植手術を受け、8月末無事退院する
事ができた。
それからあしかけ三年になろうとしている今日令和2年(2020)3月31日、無事68才の誕生日を迎える事ができ、始めの母親のことばになったのだ。
そんなこんなでお腹もくちくなり、孫の鈴からはお花を頂く。
トルコキキョウだ。
それには手紙が添えられていた。
表書きには「おじいちゃんへ」と書いてある
中には「おじいちゃん おたんじょうび おめでとう」の便箋
裏の差出人には「りんより」と書いてある。
生あればこそ
何気ない日常の一コマが嬉しい!