来客
12月1日日曜日、ウエモンズハート20周年イベント2日目を実施し、この日は290名の参加を頂いた。2時半過ぎにはみぞれになり切らない冷たい雨が降り出したにも関わらずだ。本当にありがとうございました。
さてそのイベントの最中、「珍しいお客様が見えてるよ!出て来て。」と裏の事務所にいる自分を、店長が呼ぶではないか。
誰?と思って店に顔を出すと、そこには何年ぶりだろう、懐かしい顔が2つ。
20年?いや小岩君なんかは20数年ぶりくらいだろうか?
彼らは誰⁈とお思いでしょう。彼らは広瀬牧場の恩人なのだ。
平成6年〜7年にかけて、家内の心臓の2回目の手術と自分の肺癌による肺の摘出手術が相次いだ。
家内は狭心症を起こしての手術だったのだが、昭和62年に受けた大動脈弁閉鎖不全を解消する為に受けた、機械弁への置換手術の後遺症としての狭心症だった。通常のバイパス術はうまく行かず、血管縫合部へのバルーン術を数度受けるも3度4度と再発。担当医もお手上げ状態だった。
なんとか小康状態になっていた平成7年正月明けに、今度は自分が肺癌の疑いで右上葉の肺を摘出する手術をうける。これは完全な誤診であったが、3ヶ月位仕事ができなくなってしまった。
その私の手術が終わるのを待っていた様に、家内の狭心症が再発。そして2度バルーン術を受けるも中々容態が安定しない中、札医大で二例目となるステント留置術を受けた。これが功を奏してこの冠動脈の再狭窄は起こっていない。
この2年間と言うのは我々夫婦の壮絶な病との戦いだったが、酪農を主業とする広瀬牧場の最大の危機だった。この危機を救ってくれたのが、当時帯広畜産大学の学生だった彼らだ!
今回訪ねてくれたのは写真左の西島君と同右の小岩君だが、他には森田君、久保君、妹尾君らが朝夕の牛舎仕事を手伝いに来てくれたのだ。そして可愛い事にバイト料よりご飯腹一杯食べさせて下さいと申し出てくれた。朝4時半からの仕事は元より、陰日向なく良く働き支えてくれた!
今の広瀬牧場があるのは一重に彼らのおかげだ!
彼らの来訪は、少し増長気味で鼻持ちならない爺さんなりかけていたオレに、社会への感謝の気持ちを再認識させてくれた。本当にありがとう。嬉しかった!
と、感慨に浸っていると今度は帯広中心部にある帯広小学校敷地内に熊が現れ、射殺されたと言うニュースが飛び込んできた。
こちらは招かれざる客だ。
しかし、帯広中心部に熊とは驚きだ。足取りは目撃情報を時系列にならべたのが次のニュースだ。
緑ヶ丘公園の上から、帯広小学校横を流れるウツベツ川沿いに北上して学校の敷地内へ。そして追い詰められ射殺されてしまった。
中々ヒグマとの共生は考えられ無いとは言え、射殺と言う可哀想な顛末だ。熊さんも、人喰いグマなどでは無く、冬眠に備えてもう少し、あともう少しと餌を探して川沿いを歩いているうちに後戻り出来ず、だんだんと人里中心部へと入り込んでしまったのだろう。
帯広市は郊外に400haの帯広の森と言う、植樹で作り上げた森が我が家の農地に隣接して広がっている。その森の中には帯広川や件のウツベツ川、売買川などが流れ込んでいる。と言う事を考えみると、我が家の裏庭にも出現してもおかしく無い。
自然豊かと言えば聞こえはいいが、今後孫が小学校に上がったらそこへの通学路が、帯広の森を突き抜けているんだが、今から心配だ。
危害を加えるつもりなど毛頭無いヒグマだけど、こちらは招かれざる客だ。