揖斐川町、その4(卒業生名簿)
上善明寺の家紋だ。この寺の本堂の地下に納骨堂が有る。
そこには文字通り、数多の門信徒の遺骨が納められているのだが、そこには所謂秘仏なる物が収められていた。古い物では2世紀にインドで作られたものもあった。
さて、続いてお邪魔したのは揖斐川町立北方小学校だ。
玄関前には旧校舎の巨大な鬼瓦が飾ってあった。
この小学校は祖父種治が卒業した歴史ある小学校だ。
揖斐の廣瀬誠さんがもしや⁈と思い、校長先生に名簿の照会を依頼してあったものだ。そしてそれは果たして、有った。大正5年度卒業生名簿の一番初めに搭載されていた。今風にアイウエオ順で見ると、何故廣瀬が一番先に載っているのか⁈
ひょっとして、成績の良い順か⁈などと淡い期待を持ったが、なんの事は無い、誕生日順だった。その成績は、と言うと、十段階中八だった。卒業後の進路は高等科進学とあった。そこで、生前祖父種治が突然の北海道移住で高等科の中途退学を余儀なくされたと、話していた内容と符合し、感動した。
更に驚く事に、卒業生の集合写真も保存されているではないか!
写真のサイズは結構大きく殆どボヤけてはいないのだが、12才の頃の顔は判別がつかない。一番若い頃を知っている筈の父に聞いても残念ながら、判らないようだ。
勲さん、誠さんの手際良い案内で訪問予定は着々と消化して行く。
次は鎮守の杜、北方神社。
そして次は、天上寺(現、上善明寺)発祥の地に建つ廣瀬観音だ。
ここは今回のツアーのロケハン時、次男の祐二が願いが叶うかどうか占う「おもかりさん」と言う石を抱いた場所である。
5日最後の訪問地は、それこそ我が廣瀬宇右衛門家が暮らしていた場所(現在でも廣瀬初次郎名義になっている)に建つ廣瀬稲荷へ...
後、本日から2泊する大和神社に案内され、手続きを済ませて荷をほどく。
この夜は勲さん宅のご好意により、全員で夕食のおもてなしを受け、一日が無事終了した。