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2019年8月24日(土) 06:09

李 善福君

イ ゼンボク君と読む。
韓国人で、2年間徴兵従軍し休学していたソウル大学を卒業し、半年間我が家で酪農実習した人だ。
韓国最高峰のソウル大学を卒業したのに、親の猛反対を押し切って公務員の道を選ばず、何故か酪農の魅力に取り憑かれ、実習に来たものだ。彼の夢は、朝鮮族が多く住む中国東北部で大規模農場を経営する事だった。
彼は物静かで礼儀正しく、既に日本語もマスターしていたが、朝4時半からの搾乳時には既に起きていて、日本語や文化の勉強に余念がなかった。
それは我が広瀬牧場がフリーストール、ミルキングパーラーを導入した翌年の平成5年(1992)の事。ロールベーラーも導入されず、コンパクトベールされた牧草の積み下ろしや小豆も栽培しておりまだまだ手作業が多い時代だった。仕事にも陰日なた無く、牧草のテッターかけや集草などのトラクター作業にも直ぐに慣れていた。
日本食も美味しいと言って食べてくれていたが、月一ペースでのジンギスカン鍋は特に喜んでいた?

時は流れて自分が地域交流牧場全国連絡会の会長を務めていた平成19年(2007)韓国酪農振興会から講演の依頼が有り、家内を伴い始めての訪韓を果たす。韓国の関係者も酪農を仕事にしている関係からか直ぐに打ち解け、ソウル観光や牧場訪問も含め楽しい5日間だった。
講演終了後、会場で懐かしいイ ゼンボク君の顔を見つけ翌日夜彼の奥さんも交え食事をともにする。
彼は未だ大農場の夢は果たせずいたが、飼料会社に勤めていた。
その後韓国の酪農振興会や農学系の大学とは個人的にも交流が続き、所謂六次化や教育ファーム活動などの視察が続いていたが、その後の口蹄疫発生に伴い自然消滅してしまった。
WTO締結時も中酪の職員と釜山と福岡は高速船で2時間の距離。西日本は韓国の牛乳に席巻されるのでは...などと話していたが、その事を当時広瀬牧場を視察に訪れた韓国の農学系の教授と学生の一行に冗談めかして話すと、教授からは「イヤイヤ、世界一乳質が良く美味しいと言われている北海道の牛乳が、既に山口県まで毎日運ばれていて、逆に韓国に来るのでは⁈と心配している」などの会話も思い出される。

近年の日韓関係は最悪と言われるほど悪化しているが、見えないお化けが怖い!と昔から言われている。
政治は政治。民間は民間と割り切って交流しては...

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