所謂、命の教育
道新18面に「子噺」のコーナーがあり、札幌の3才の男の子と母親との会話が目を引いた。
健志「ママ、サンマのかば焼き食べたい!」
母がスーパーでサンマを買って、台所でサンマをさばく。頭をとり、内臓が見え、身を切る。
母「健志はサンマのかば焼き好きだもんね」
健志「ママ、サンマのかば焼きって怖いんだね...」
母「......」
昔オレが子供の頃だから60年も前の事だが、とり肉は晴れの日やおもてなしに、ブタ肉などは正月のご馳走だった。
毎日エサをやり可愛がっていた家畜だが、その日トリやブタの足に綱を結わえた後、おもむろに首を切られ、木の枝などに血抜きの為逆さに吊るされる。
オシッコをチビルくらい恐ろしく、建物の陰から盗み見したものだ。それでも料理されると美味しく頂いた。
ご飯を一粒でも残すと、目がつぶれるとか、食べ物を粗末にするな、などと口うるさく言われたものだ。食べ物って命を頂く事と、自然とわきまえていたような気がする。しかしスーパー、コンビニでは惣菜コーナーが充実していて、命を頂いている実感が全くないと言っても過言じゃない。
牧場体験で「オスの子牛はオトナになっても乳が出ないので、肉になるんだ。」と子供に話すと、同行の親からは露骨に嫌な顔をされる事がある。
「全ての食べ物」は「全て命」と言う事を伝えるのは至難の技だ!