渡道百年祝賀会
その祝賀会は年が開けると92才を迎える父博昭の挨拶から始まった。
妹と年子なため、早くからおばあちゃんに預けられた自称おばあちゃん子だけあって、移住当時の苦労も沢山聴いている様だ。
岐阜の揖斐から列車で移動してくるのだが、宮城遥拝の為の東京泊を含め五日かかって十勝に着いたそうだ。最初に入植した芽室村報国では、屋根も壁も藁葺きの小作小屋で床など無く、干した馬草を広げその上にムシロを繋ぎ合わせて広げた。そんなところから開拓が始まったのだが、苦労はいかばかりか⁈
続いて帯広百年記念館の学芸員、大和田努先生から講演を頂いた。我が廣瀬家には、所謂移住古文書と言われる古系図があり、そこには我が家は鎌足から始まりそれから25代後の家胤が出家して以来600年間お寺の住職として、現在も揖斐川町の古刹上善明寺として威容を誇っている。
その上善明寺の初代空道家胤次男の助之進政継から我が家は始まって、更に五代の後に分家した宇右衛門政元(〜1702)から我が家が始まっている。話しはそれたが、廣瀬家が自立した1,470年の足利時代から宇右衛門政元が更に分家する江戸初期までの、所謂戦国時代の社会の動静を話して頂いた。
いくら古系図を眺めても名前が連なっているばかりで、歴史に疎い自分にとっては非常に有意義な時間だった。
勉強の後はいよいよ懇親会。
上善明寺前住職釋 壽宣師から頂いた祝辞を読み上げ、いよいよ乾杯。
乾杯の発声は息子貴章のたっての希望で、孫の鈴にやって貰う。
鈴を刺激しない様に参加者56名全員に着席のまま促す。
我が家では自分が「カンパーイ」を言わなきゃ済まない鈴も、ただならぬ雰囲気の中での発声を躊躇していたが、家族の期待に応えてとびっきり大きな声で「カンパ〜〜ィ!」
大役を終えた3歳の鈴が「あ〜ぁ、恥ずかしかった!」だって