M&C cafe
何て事無いハヤシライスの写真だが、M&C Cafeと聞いて、「あぁ、丸善の4階にある喫茶店」と分かる人は、オレにとってなんと無く身内の様な親しみを感じてしまう。
9月25日にアップした、天童市訪問の帰り道の事なのでニュース性はないのだが...。その天童市訪問翌日24日新幹線で午後1時過ぎ東京駅に到着し、JALに搭乗する迄4〜5時間有ったので、丸の内側にあるOAZOに立ち寄る。食後の薬を飲むのも病を得てからの大事な仕事なので、エスカレーターで真っ直ぐ件のカフェに飛び込み(待たされる事が多いが...)ハヤシライスとアイスコーヒーを注文。出て来たのが写真の一品だ。オレにとってoazoに有るこのカフェはoasisだ。洒落て言っているのでは無く、東京砂漠の中のオアシスだ。
と言うか、成人した頃から喫茶店は繁忙を極める酪農に従事する様になってからは、親の目を逃れ息抜き出来る唯一の場所、心のオアシスだ。
喫茶店の遍歴は高校卒業前後に始まり、当時は帯広ステーション2階の純喫茶「飛鳥」に良く通った。その頃はコーヒーの味もわからず、砂糖を沢山入れて飲んでいたっけ。飛鳥ではスパゲッティのナポリタンが絶品だった。オレにとってナポリタンの味の基準は飛鳥で、他の店に入ってそれ以下だと落胆したものだ。否、今でもだ!
もう少し成長してから通ったのは東四条に有った喫茶「樹林」だ。青年団の先輩に連れられて行ったのだが、すぐに此処も大のお気に入りとなった。店内で流れる雑音的な音楽を聞きながらここではカウンターに座り、マスターとの会話が楽しかった。しかし、それまで雑音にしか聞こえ無かったジャズが突然心地よい音に聞こえ始めた。オレがジャズの魅力に開眼した瞬間だったが、童貞を失った程の衝撃だった。名前は忘れたが、マスターは店では黄色いサングラスをかけ、車はブルーのマーキュリーと言ったデッカな外車に乗っている所謂トッポイお兄ちゃんだ。しかし、当時3Kと言われた酪農についても凄く興味を持ってくれ、色々な事を聞いてくれる聞き上手な人だ。いつもの様にカウンターに陣取った。頼んだコーヒーを出してくれたマスターが、「この前、早朝広瀬さんの牧場を訪ねたら、朝もやの中にのんびり佇む牛達が幻想的で、街の喧騒の中にいる自分にとっては宝の様な風景だった」と言っていた。酪農の応援をしてくれている様で嬉しく、今でも心に残る一言だ。
同じ頃通い始めたのが、柏林台の「しらかば」と近くの「グルービー」。西3条の道時計店の地下の「無有」と書いてナウと読ませるピザのとびっきり美味しい喫茶店。そして東8条の教育会館の一画に有った「絵麗」。ここはチキンの唐揚げが美味い。何れの喫茶店もスタバやドトールといった今風な喫茶店と違い、マスターやその奥さんの人柄が、その店の雰囲気やコーヒーのスパイスとなって心地良く99%は独りで行ったものだ。
その喫茶店の一つで当時のガールフレンドにも思いの丈を伝えた。
さ、もう止めとこっと。何せもう66年も生きているのでキリがない。
さてoazoのハヤシライスより、女房のが一番だ!
今日も検査で飯抜き。
腹が空いたのか、食べ物に話題が言ってしまうが、そこで買い求めた「百姓から見た戦国大名」(ちくま書房)は、わが廣瀬家が分立した足利時代の時代背景が詳しく述べられていて、引き込まれた。
1470年代に天上寺(現、揖斐川町上善明寺)として歴史に登場し、我が家の基礎を作った廣瀬家胤のちの空道法印始まる時代のもので、記憶力の弱いオレとしては、付箋を沢山貼り付け後刻まとめて見たいものだ。
遅い昼ご飯を頂き、喫茶店の話から離れる事が出来た⁈