1・17
平成7年1月17日早朝、いつも牛舎作業をしながら愛聴していたHBCラジオの''エノさんのオハヨーさ〜ん!"を、その時は病院のベッドの上で聞いていた。東京発の全国放送のこの番組が始まって間も無く、ナビゲーターのエノさんが「アッ、たった今東京のスタジオは地震が揺すっています。結構大きいようですが...、漸く収まりました。各地の震度などの情報は入り次第順次お伝えします。」番組を進めながら震度情報を逐次流していたエノさんは「不思議な事に大阪を中心とした関西地方の情報だけが入って来ていない様です。どうした事でしょうか?」
そして数時間後その地震は、取材のヘリなどの映像から神戸を中心にライフラインやビル、住宅などに甚大な被害を与え、後に「阪神淡路大震災」と命名され関東大震災にならぶ災害として記憶されて来た。
倒壊したビルや住宅に押しつぶされたり、身動き出来ない人達が延焼して来た火事で焼け死んだりと6,000余名が亡くなると言う大惨事だった。
病院のベッドで日がな一日テレビに釘づけだった。
消火活動もままならない中倒壊した建物の中に閉じ込められながらも命を取り止めた人を次に襲ったのは延焼して来た火だ。生きたままジワジワと焼かれて死んで行った人はどんなに恐ろしく苦しかった事か!
地獄絵図さながらの恐怖だ!
あれから23年も経ったのか⁉︎
昨年の1月17日は拡張型心筋症が悪化し帯広厚生病院で迎え、今年は昨年7月に大阪大学附属病院でうけた治験ハートシート移植手術の定期検査の為に今、大阪大学附属病院522号室で迎えた。
では23年前の1月17日はと言うと、前年の平成6年秋口、JA厚生連主催の健診で右の胸に怪しい影が見つかり肺癌が疑われた。その後精密検査を受けるもガンとは特定出来ないまま年末を迎えてしまい、翌7年1月5日に入院し、10日に右胸の肺の上葉切除手術を受け療養中の事だった。
元気そのものの人生を送って来たと思いきや、結構病歴のデパートかオレは...