生還!
今日7/28昼、一般病棟(個室)に戻る。
手術は25日午前8:45からだ。
そして手術台へ名前、手術の部位など自主申告させられる。
(死刑囚も突然その日の朝告げられ、粛々と刑場に向かい滞り無く執行されるらしいが粛々と物事が進んで行く事を実感!)
ものの10分程で意識が無くなる。
目が覚めて枕頭の時計を見ると4:半だ。夕方とか...!勿論ICUだ。
まず鼻から栄養チューブ。口には呼吸チューブ。この呼吸チューブが曲者。呼気のタイミングが合わず、同時に痰が酷く息が出来ていない様な感じ。痰を出そうと咳き込んでみるもスカスカ空気が抜けて、どうにもならず苦しい!そんな未知の相手との戦いが2時間ほど続く!
それからが新たな戦いがすぐ始まるのだ。
手術をした位置が左胸のすぐ下。
横切りで長さ10数センチ。ブラジャーをすれば傷跡が隠れるくらいの位置だ(オレはブラはしないけどね!年を重ねれば、自然と隠れるか...)。傷は小さいけれど肋骨を一本切っているらしく、そこが咳をする度に激痛が襲う!
どれ位の頻度の激痛に悩まされたか...計算して見よう。
ローソンセレクトティッシュ一箱320枚(160組)×1.5箱÷10時間÷60分÷4(一回平均四度は痰が出る)この頻度で咳のための激痛に一晩悩まされる!
午前4:30看護婦に愁訴すると飲む鎮痛剤を出してくれた。そんなに我慢しないで早く言ってくれれば!だって(抵抗する気力無し)。
2時間程すると痛みが和らぐが咳をする時は同じの様だけど何とか頑張れる。その間幾つかの動きを要求される。
手術着から病衣に着替える時だ。
「ハイ広瀬さん身体を右に向けて見て⁈私も手伝うから!」
「う〜〜痛い!けどよっこらしょっと‼︎」
「広瀬さん力強いね。何か格闘技やって居たの?力強いわ!」
「そんなのやって無いけど百姓だから」
「ヒャクショー?」
「そう農業で牛を飼ってた!」
「え〜、虫を飼っていた?」
「ムシじゃ無くウシだ!」
「ヘェ〜むしだ」
全く噛み合わん...⁉︎
「だから、ムシじゃ無くウシ、ウシ、ウシ‼︎」
「ウシ⁈じゃあ牧場だ!すごいね〜〜」俺の痛いのを尻目に驚きの声をあげる。無邪気だ!
苦しみつつも、酪農教育ファームの必要性を文字通り痛感する。頑張るぞ〜〜‼︎!
午前6:半、少し痛みも和らぎまどろみ始める。
咳と痰は依然と出るが、強靭な心をもっているオレにはガマンができる。とはいえ、午後家内が来てくれた頃には、目元、目尻に半分乾いた目ヤニが付いて居て、何も言わずそっと拭ってくれるのであった。
体には胸からドレン。オ○ン◯ンには導尿管。その他首、両手首、背中など7〜8本の点滴チューブ。酸素マスク。一本の指先には血中酸素濃度の測定器などが付き、お茶の水博士が鉄腕アトムが誕生させるシーンを彷彿とさせる姿だ⁉︎
筋骨隆々と看護婦も認める体⁉︎のせいか、26日午後2時、集中管理室とでも言うのかCVCU室に移動させられる。ICU滞在時間は丁度24時間余り。
その後すぐにベッド横に足を下ろし腰の上げ下げ!
「車椅子大丈夫?」と有無を言わさない看護婦の命令に「ハイ⁉︎」と素直に頷くオレ‼︎
早速車椅子に乗せられ、心電図と胸部レントゲンへ...
クタクタだ!!!
CVCUのベッドに戻るなりダウン!
その間も痛み止の薬の要求配分が頭にセットされると、苦しみながらも咳と痰も器用に排出できるようになると、咳き込むオレに「ハーイ広瀬さんガンバレ!」「ハイその調子!」「上手、ジョーズ!」「ハーイよく出来たね!」「頑張ったね!」と、拍手して貰えた。何か複雑...
午後3時に家内が来てくれ、あちこちから様子伺いのメールた電話を頂いた様だ。
一人では生きて居ない。何処かにオレの事を気にとめてくれている。
楽しき哉人生!嬉しき哉人生!生きていればこそである。
そして27日が過ぎ、28日の朝が来る。
中江先生の回診があり、その後ドレンと導尿管が抜け、点滴も2本3本と外れ残るは二本のみ!
そして今日28日昼一般病棟(個室)に移る!
どうだすごいだろ〜!超特急だ!
中江先生にお聞きすると、執刀医は堂前先生、移植は澤先生と堂前先生、縫合が中江先生との事。
オレは老後を取り戻したぞ〜〜!
先生、看護師さん、コーディネーター、そして気に掛けて下さる皆さんありがとう!