下呂温泉
先日の四日市での結婚式の続きです。
下呂温泉「湯の島館」に逗留したのですがそれには目的がありました。
一つ目:店長と私、疲れの取れ難くなった体を温泉で癒す事です。
二つ目:53年前の酪農実習生の松井粂造さんと会うことです。
今現在下呂温泉の小川屋という温泉旅館で働いていることが分かり尋ねてみました。するとどうでしょう・・あけてビックリ玉手箱!
手前から、自分、家内そして松井さん。連絡を取り合ってお会いしたからいいようなもの、お互い松井さん?広瀬さん?と確認しあうほど変わり果てた姿に驚きでした。それもそのはず、当時の松井さんは20才のがっしりした体格だったし、自分はと言うと11歳の美少年。それが松井さんはそれ以来営繕とはいえサラリーマンでしかも73歳。自分は青年時代を飛び越し高齢者の仲間入りを果たした肥満爺です。
松井さんは飛騨の山間部の百性の生まれ。アメリカへの酪農実習を目指して事前に北海道へ、という事で我が家に実習に来たそうです。その後ベトナム戦争が激しくなりアメリカへの研修生派遣事業がなくなり、アメリカ行きは雲散霧消。その後この小川屋さんに勤め50年目だそうです。当時の思い出として・・
昭和39年1月に父が松井さん宛に送った手紙を今も大事に保管していました。律儀!
更に彼の奥さんはタイの女性で40才の時かの地を訪れ、15才の少女と結婚し今に至るも奥さんは寒い日本に住みたがらず子供や孫達とタイに在住。現在自分の末娘は6才。孫も6才だそうです。驚き!!
犯罪?に近い年の彼女と出会ったときの写真だそうです。
兎も角元気そうでした。
三つ目:我が家に代々伝わる系図の真贋を確かめようというものです。
赤線の引いてある、「飛州間下明神ノ社主方ヘ偶居」の部分の確認が目的です。
下呂温泉の谷合を流れている川は飛騨川でその昔は益田川と呼んでいたそう。そして今の下呂市は旧益田郡の萩原町、小坂町、下呂町、金山町、馬瀬村の5町村が20年ほど前に合併して生まれたそうです。益田川、益田郡と間下と字が違いますが江戸の昔は漢字ではなく読みが同じことが大事だったそうです。
間下明神の手がかりはつかめませんでしたが、下呂駅の向かいの明治屋という蕎麦屋で昼食をとっていると家内がこの地域のミニコミ誌を見つけたでは有りませんか
これは3ヶ月に一度の刊行物で、編集責任者の名前が載っているでは有りませんか。思わず店の人に聞くとその店のご主人がこの編集に携わっているとの事。お呼び頂きました。
ロマンスグレーの男性が明治屋のご主人齋藤さんです。
聞く所によると下呂市の前身、益田郡の歴史を守ろうということで活動しているとの事。神社仏閣に詳しい会員もいるので詳しく調べていただくことを快諾していただきました。
今後の系図の解明に向けて一歩前進した旅でした。