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2017年4月16日(日) 12:25

呼び出し音

  今朝8時頃友人から携帯に電話があった。

番号表示で友人と分かり、出てみると・・あれ?聞き慣れない女性の声。

「廣瀬さんですか?〇〇の娘です。父の携帯に広瀬さんの番号が入っていたので電話させて頂きました。」

何か胸騒ぎがよぎり「はい、そうです。何か?」

「父の容態が急変して、3日ほど前からモルヒネも投与され意識の無い時間が多くなり、後は時間の問題です、と言われました!」

10日に私自身の循環器科の診察があり、その結果のメールを〇〇君に送っていました。その返事は翌11日にあり「8,9日と自宅に帰ったけれど、情けないことにヘロヘロになっちゃってさ。でも病院に戻ると、採血したり検査したりして適切な処置をしてくれるので少しは体も楽に成ってきているよ!」との事だった。

そして、今朝の娘さんからの電話。「父は自分のことはさることながら、廣瀬さんの容態もいつも心配していました。そして廣瀬さんが足を運んでくれるといつも喜んでいました。そんな事でとりあえず息のあるうちにお電話させていただきました。」と言うではありませんか。私は「直ぐお邪魔します!」と言って病院へ直行。

病室に入ると、〇〇君の兄弟や子供達10人くらいが病室に詰めていた。

「オイ〇〇、聞こえるか?大丈夫か?」と声をかけるも反応は無し。「オレは広瀬だぞ!」と言うと、目をパチパチと開けるしぐさをしただけで無反応。家族に事情を聞くと痛み止めのモルヒネを投与し始めたので意識の混濁が始まったようだ。


〇〇とは高校時代からの友人で、大学時代には農家の後継者としての夢などを夜遅くまで議論したもんだ。

彼は自分の農場を孤児とか障害者とともに働けるようにする、今で言えば"セラピー農場"のような夢を持っていた。しかし分家の2代目として農業経営を確立することを最優先に、必死に働いてきた。自分はと言うと受け継ぐ農場を父のくび木から離れ、自分の思い通りに経営することが最優先の後継者だった。そしてお互いに還暦を迎える頃には〇〇は自立した無借金経営を確立し、自分はというと酪農教育ファーム活動や都市生活者のセラピーの目的の活動を確立し全国組織(地域交流牧場全国連絡会)を立ち上げ19年目を迎えている。

IMG_0039.JPGそんな二人でしたが、還暦を迎えた頃から体調を崩し〇〇は肺癌、自分は拡張型心筋症で入退院を繰り返し、3年ほど同じ病院の食事を食べた戦友とでも言える中になっていた。勿論高校と大学時代は同じ寮で所謂同じ釜の飯も4年ほど食べた。

 そんな友人が危篤!

携帯の着信が怖い!!

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