シンボル
北海道酪農は、開拓政策に異を唱え冷害に強い農業と言うことで、黒沢酉蔵、宇都宮仙太郎氏らが提唱、実践し広まりを見せたのです。
戦時中物資、肥料不足等で疲弊した農地に有機肥料をと言うことで戦後酪農が推奨された。そのための政策もあり昭和35年頃には日本全国で45万戸くらいにまでに増えたのでした。広瀬牧場もその1つで昭和23年に一頭のホルスタインの子牛を飼った所から始まっています。一頭が二頭、三頭・・・と増えていき、そのシンボルとして飼料貯蔵庫としてのサイロを立てるのが多くの牛飼いの夢でした。
立派なレンガ造りのサイロです。酪農に夢を持って建てたんでしょうね。牧場主の意気込みや高揚感が見てとれます。それがどうでしょう。
家族の病気?離婚?後継者がなかったか酪農を選ばなかったか?借金?牛舎も無ければ、住宅も跡形無く雑草や雑木の中にサイロ一人、静かに佇んでいます。
つわもの共が 夢の跡。 悲しいかな、今は離農のシンボル?!